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らしさで貢献する社会へ

自宅から自転車で15分くらいのところに、息子が大好きな「博多ラーメン」の

お店があります。

 

このお店、とても美味しいと東京都の中でも有名なお店なのですが、

同時にもう一つ、「美味しい」以外にも有名なお店でもあります。

 

色んな口コミに書かれていますが、「店主の愛想がない」「不愛想」「声が小さい」

「返事がない」「怖い」「無表情」、、「面をゆでる時のタイマーを鳴らしっぱなしにするな」

 

などなど、、、

 

私も初めてお伺いし、最初にその「塩対応」に、わお!と思いましたが、、、

 

しかし同時に思うことがあります。

 

人は何でもかんでも、平均的に出来るような人間じゃないとお店やっちゃいけないのだろうか?!

 

と。

 

愛想よく、返事出来ないとラーメン屋はやっちゃいけないのだろうかと。

 

完璧な人は世の中にはいません。

 

さて、そんな私たちでありながら、誰かに完璧や、「こうあるべき」という自分の価値観を

他人にどこまで押し付けることが出来るのか。

 

私は、「自分がそう思うなら自分自身がそれを大事にしたらよい」と思います。

 

そして、「いやなら行かなければいい、美味しくてまた行きたいなら行けばいい」と思います。

 

この店長は、東京に本物の博多ラーメンのおいしさを届けたいと九州から上京し、

住宅地の目立たない場所でひっそりとお店を構えています。

 

確かに不愛想ですが、寡黙な店主って悪いのでしょうか。

 

人には得意不得意があります。その得意不得意に、平均や「こうあるべき論」を押し付けることは、果たして本当に相手の為、世の中のためなのでしょうか?!

 

それは相手の為ではなく、自分が「こうでなきゃいけない」と思っている価値観を守りたいという自分の為であるように感じます。

 

確かに、愛想はありません。

しかし、その不愛想な出で立ちがビックリするほどに変わるタイミングがあります。

 

それは、食べ終わって、「ごちそうさまでした」と食器を店主に返した後、

子どもたちが入り口に向かう時、後ろから怖い顔で追っかけた後、

お菓子を一つずつ渡す時、鉄仮面が笑顔でくしゃくしゃになるんです。

作り笑顔では出来ないような、ほんとの笑顔です。

 

子どもたちにだけ見せるその笑顔に、なんだか昔ながらの地域の怖いおじさん、不愛想なおじさんがふと見せてくれた優しさと、今の日本に必要な姿のひとつを体現してくださっていると感じました。

 

そして同時に、私自身が自分事として感じていることでもありますが、

日本の課題を感じます。

 

http://www.caguya.co.jp/kokoro/30297.html

 

 

ミマモリスト 眞田 海