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失われゆく能力

7月の連休中、近くの公園でセミの声を聞きました。
今年初めてのセミの声。
長い梅雨が明けもせず、この時期にしてはやけに涼しい日が続いていましたが、季節がちゃんと巡っていることを感じました。

 

毎日を室内で過ごしていると暑い寒いといったことに煩わされることもなく、雨が降ったことにすら気づかないことさえあります。
ふと覗いた窓の外に雨に濡れたアスファルトを見たとき、雨の気配にも気づけなかった自分が何だか取り残されているような気持ちになることがあります。
この取り残されているという感覚は、空や大地、自然といった命に一番近い世界から、人間という自分が完全に切り離されてしまった寂しさに近いかも知れません。

 

生き物たちは、空気の温かさや冷たさ、風の流れや太陽の傾きを感じ取り、その命を紡いでいます。
一方、人間は時間という概念に命を営んでいるような気がします。

 

ここ数年、局所的に大雨が降ったり雷が鳴ったり、気温も所によってかなり差が出たりと、気候までも日本を分断していることを感じます。
人間は知恵と技術で快適な暮らしを手に入れましたが、反面、とても大切なものを失ったように思います。

 

以前、ブログで感覚が鈍って土鍋ご飯が焦げる話を書きましたが、感覚が鈍るということにも同じような寂しさと同時に焦りも感じます。
それは人間が生物として持って生まれた自己防衛という、一番大切な能力を失っているような気がするからです。
まだ医学的にも科学的にも解明されていない、何となく危険を感じたり、視界に入っていないものが見えるような感じがしたりするといった不思議な感覚も自己防衛のひとつではないかと私的には思っているのですが、街中で生活しているとその能力こそ、どんどんそがれていっている気がします。

 

この度のコロナも、人間に対する自然からの警告ではないかと感じます。
私たち人間は命を守るためこの脅威と闘っていますが、同時に畏敬の念をもってその声に耳を傾け、対峙する姿勢を改めなけばとも思います。

 

 

ミッションパート

佐藤真樹