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社内木鶏~2019年8月~

 

毎月の初心会議で実施している「社内木鶏」。

今月は到知の8月号の記事の中から、お二人の記事を選びました。

 

(「社内木鶏」については下記をご覧ください)

 

https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei/

 

今回、コシノさんと川原さんの記事を読んで、一番印象的だった内容は「一所懸命、まじめに仕事をするだけが人生じゃなくて、遊びの中にどれだけ仕事を見つけていけるか。そうすると仕事が遊びに、遊びが仕事になって、最終的に人生が潤ってくるなと私は思うの。日本人にかけているのはその部分で、もっと「遊びの精神」を大事にすれば、日本はより優雅で文化的な国になれると思います。」という文章でした。

 

この一か月を振り返ると、聴福庵でのプレスリリースでも感じましたが、なぜ現代の人々が疲弊していくのか、なぜ「働く」ことと「プライベート」を分けるのか。なぜ、「自分」を優先するのか。そういった現象の理由に「現代社会の構造が文明に偏りすぎ、経済合理性を追求するがあまり、時代のスピードが上がりすぎている」ことを感じます。その影響で文化的なものが消えて行ったり、文明自体を扱える「文化人」が減少したり。生きることに精一杯になり、自分自身のことばかりを考えざるを得なくなってきていることを実感します。

 

そんな社会を変えていく社会変革集団としてカグヤが存在しているのだということを改めて強く心に刻むとともに、この現代をどのように「文化的」に生き、変革していくのかということの一つの考え方をこの数か月で教えて頂いたように思います。それは「居場所」づくりです。先日、一円対話の自由テーマで、「この夏の一番の思い出」というテーマがありました。この夏を振り返ると、明らかに自分が「居場所」と感じられる場所が増えていることを実感します。家庭や会社ということだけでなく、今年の夏に3家族で行ったキャンプ、小学校つながりの家族、某企業のテニス部やテニススクール、聴福庵やとあるビジネストレーニングのクリニック、場の研究所、わが子が卒園した保育園と、自分の「居場所」だと自分が思う場が増えているということでした。

 

この数か月で学んだ「居場所づくり」の原理原則には、『自分のことばかり考えていたり、自分の利益を求めたり、相手のためにと思っても、自分の名前が残るような行いをしたり、見返りを求めたりしていては、その場にいのちは宿らず、居場所にはならない』と学びました。反対のことをすればするほどに、場は「居場所」へと変わり、「居場所」と自分自身は相互に関係性を持つようになる。その教えはまるで子どもたちがゾーンでお互いを思いやったり、助け合う中で生まれる「居場所」のように感じました。「居場所」が増えると人生はとても豊かになり、その「居場所」が仕事も遊びもひとつにした「生きていく」という主体的で文化的な力を磨いてくれるように思います。

 

そして、今月は小林正観さんの言葉も学ぶ機会を頂きました。「出会いは人の心を広げてくれる。別れは人の心を深くしてくれる。」その言葉を頂いたおかげで、その「居場所」をいつかは失うかもしれないという想いにも、意味をつけることが出来ました。自分のいのちを与贈できる有難い機会は見渡せば無数にありますが、その無数にある機会の中で、縁あって出会えることを楽しみに。人生に活かして行きたいと思います。

 

ミマモリスト 眞田 海