先月に続き、今月も月に1度の藤堂さんとのzoom会を行いました。
その中で、大変興味深いお話を教えていただきました。
「水は上から下に流れる。」というのが自然ではあるが、人間には下から上にいく力がある。
木を見ても、根元から水分をすって、何メートルも上に水を運んでいる。
自然に任せると上から下だけど、命が加わると下から上にいく。
蒸発もそう。
命があることによって、自然の流れでいうもの、物理現象に逆らうようなエネルギーがうまれている。
・・・と。
更にその時「自然(しぜん)と自然(じねん)」のキーワードが出たので後から調べてみたところ、
仏教では、「自然」を「じねん」とよみ、「自ら然る(おのずからしかる)」という意味に解釈し、人間の作為のない「そのまま」の在り方が「自然(じねん)」であり、人間も自然の中に含まれ、等しく、共に生かされている存在である、ということのようです。
よく使う「自然(しぜん)」の方は、山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるものを指して使われることが多い言葉で、明治以降、西洋語のネイチャー(natura)の翻訳語として言われきて、人間と対比するものとされ、人間が生活・繁栄するためにあるように使われたとも。
「自然(じねん)」という言葉、あまり馴染みがなかったのですが、外側にある客観的な生態系ではなく、人間の内側にある「このようにありたい」、という理想的なあり方を表し、「人間は自然を超えた存在でなく自然の一部である」と捉えているわけで、自分自身が長年大切にしている感覚だっただけに、なんで今までこの言葉に注目しなかったのか・・・^^;
そう考えると「自然の循環」の中には、自然の一部である人間も入っており、改めて、自然界の中の人としての役割、「人の徳」「人の命」も大事な働き、存在であるはずでしょうから、
私たち人間が、自然に生かされていることを忘れず、また私たちの存在によって自然をより生かせるよう、「自然(じねん)」の考えを大切にしていきたいものです。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子