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毎日更新。カグヤの日々の取り組みをご紹介。

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社内木鶏 ~2020年2月~

本日は、月に一度の「初心会議」でした。

 

毎月、初心会議の朝には、皆で人間学を学ぶ月刊誌「致知」を読み、自身の実践と照らし合わせながら、皆で感想を共有し学び合う「社内木鶏」を行っていますが、今月もこちらのブログで感想文を発信していきたいと思います。

 

◆社内木鶏
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei_about/

 

 

 

致知の2月号の記事の中から、今回私が選んだ記事は「パッションによって切り開いた我が人生 」です。

 

◆パッションによって切り開いた我が人生
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2019/202002_nishimoto_horiki/

 

今回、とても共感した内容は、「人は何かあると必ず人のせいにしたり環境のせいにしたりするじゃないですか。そうではなくて、全部を自分のせいだと考えろと。そうするといろいろなものが見えてくるというのです。」という、堀木さんが多くを学ばれた呉服問屋の社長の教えです。社長のように「ポストが赤いのも電信柱が高いのも、全部わしのせいや」と言えるには、程遠いものがありますが、私自身も何かのせいにしていたことを、自分のせいとしてみることで、見えてくるものややれることなどが変わってくることは、体験から感じるものがあります。

 

こうした木鶏の度に、今でも毎回思い出す自分自身の初心や原点ではありますが、私は社会人になっても「このままでいいのかな」という気持ちがありつつも、自分の人生に対して、どこか親や会社のせいにして、向き合えなかった、行動できなかった時期がありました。それが20代半ばを過ぎようやく「20歳を過ぎたら自己責任。自分の人生を自分で決めて生きてみよう」と会社を辞め、遅咲きと思いながらも自分の意志で歩み始められたことは、私にとってとても勇気のいることでしたが、あれが本当の意味での人生のスタートだったように思います。その後、2度目の転職活動をする際に、カグヤと出会い、自身の迷いを打ち明けたところ野見山社長から「宮前さんが納得する就職活動をして下さい。」と、自分に正直に生きることに対して、背中を押してもらった、見守られた言葉は、それこそ今でも心に残っています。

 

そういう意味では、どこで働いても、なんの仕事をしていても、それこそ働いていなくとも、自分自身が何かのせいにせず納得していればそれは幸せなことであり、その反対に、はたから見てどんなに恵まれていたり幸せそうに見えても、本人が周りのせいにして納得していなければ、幸せとは言えないのかもしれません。自分の人生を世間のモノサシに預けなければ、正解不正解はありませんから、ある意味後悔をしてもいいから、その時その時でどれだけ自分が納得して生きていけるか、時にどちらかを選ばなくても「選ばないことを自分が選んだ」という自覚をもって、自立した人生を歩んでいきたいと改めて感じています。

 

ちょうど先日、新潟である研修に参加しましたが、世の中には本気で理念を優先して働ける職場は非常に少ないことを実感するからこそ、カグヤの役割もまた大きなものだと感じました。カグヤHPにも「子どもたちが創り出す未来そのものを丸ごと見守り、そして彼らの生きる力を信じることを第一義とする=子ども第一義を理念としています。」とありますが、そんなカグヤで働くからこそ、「誰もが役割をもって生まれてきた」ということを信じて、自分の人生を誰かのせいにすることなく、そんな自分の生きる力を発揮していいんだよ、自分勝手でなければ制限をかけずに自由に生きていいんだよ」と、子どもたちに伝わるよう、仕事や生き方を通して伝えていけたらと思います。そしてこんな時代だからこそなおさら、一緒に働く人の想いと理念を繋いで納得しながら働けることを大事にして、これまでの仕事、会社の在り方という制限を自らとっぱらい、子どもが憧れる生き方働き方を追求していきたいと思います。

 

かぐやかコーディネーター

宮前 奈々子