学び

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毎日更新。カグヤの日々の取り組みをご紹介。

学び

自らの修養

自分自身がしっかりと実践していることになっていないと

相手に何かを伝えることが出来ないのだろうかと思う時、

 

そこには本質が半分あるようでそうでないようにも思います。

 

正解や知識はいくらでも調べられる世の中です。

 

会社で働いていれば、会社で実践していることは

いくらでも語ることが出来ます。

 

実践しているからこそ語れるものもあれば、

実践していても語れないものもあるように思います。

 

例えば「傾聴」という一つをとっても、

会社で実践しているからこそ語れる部分もありますが、

自分が「傾聴」の何が難しく、どんな時傾聴していないのかというように、

「傾聴」することの難しさや深さを自らで理解していかないと、

語れないものもあるように思います。

 

様々な声やアドバイスを本当に「傾聴」しているかというと、

都合の悪い言葉や、自分の価値観と違うアドバイス。

信頼関係が築けていないと思っている人からの声から始まり、

身近な人、「親」や「兄弟」「家族」の声を本当に「傾聴」しているかというと、

私自身、とても難しいです。

 

関係性が近い人ほど難しいものです。

 

自我を優先する甘えや、「頑固さ」をはき違えて

耳をふさぎやすいのは近い人ほどそうなります。

 

自分自身の「修養」が今どの深さであるのか。

 

「実践」の深さを感じられるからこそ「語れるものがある」

 

実践しているから語れるもの。

実践していても語れないもの。

 

深さや自分への教えという目に見えないものを

しっかりと見つめていきたいと思います。

 

 

ミマモリスト 眞田 海