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咸宜

今回の両親との旅行では、昨日発信させて頂いた福澤諭吉だけでなく、江戸時代の教育者でもある広瀬淡窓のゆかりの地、大分の日田市にも行く機会があり・・・せっかくなので、そちらにある広瀬淡窓の旧家(資料館)にも行ってみることに。

 

 

そんな広瀬淡窓によって創立された私塾に「咸宜園(かんぎえん)」がありますが、こちらは江戸時代の中でも日本最大級の私塾となり、80年間でここに学んだ入門者は約4,800人に及んだそうです。

 

また「咸宜」という言葉は、「ことごとくよろし」と読み、そこには三つの意味が込められているとか。

 

一つ目は、江戸時代当時は「士農工商」という身分制度があり、武士以外の階級には学問を学ぶ機会が恵まれない状況にありました。広瀬淡窓はそのことに常に疑問を持っており、「ことごとくよろし」と塾の名を変更したのは、「どんな階級の出身者でも学ぶことが出来る」という意味を込めたと言われています。

 

二つ目は、学問というのは決して偏ってはならない、つまり「一つの学問に拘泥して、偏りがあってはいけない。広く様々な学問を学ぶべきである」という意味を、「ことごとくよろし」という言葉に込めたと言われています。この考え方は、朱子学を始めとする、あらゆる学問を修めた広瀬淡窓ならではとも。

 

そして、最後の三つ目は、塾生の個性を尊重する教育方針をこめ持っていたことから「咸宜」と名を付けたと言われ、これには「鋭きも 鈍きもともに 捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに 使い分けなば」と、それを象徴するような和歌も残されており、

 

鋭い理解力のものもいれば、鈍い理解力のものもいる。だが、鋭い錐(きり)にも、鈍い槌(つち)にも、それぞれにきちんと道具としての役割があるように、鋭い頭の者も、鈍い頭の者も、必ず社会において何かの役目を持って生きている。どちらも、見捨ててはいけないものなのである。

 

・・・という内容からは、広瀬淡窓の教育方針が非常によく表れているようでもあります。

 

それにしても、昨日のブログでも発信させて頂いた福沢諭吉もそうですが、いつの時代にも立派な教育者にはなんだか共通点を感じるもの。

 

私自身、教育に携わる仕事をさせて頂いていることもありますので、こうした立派な教育者の方々が残した言葉、教育方針、理念について、仕事を通して守り、守られながら・・・少しでも体現し子どもたちへと大事に繋いでいけたらなぁと感じています。

 

かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子