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社内木鶏 ~2018年9月~

先日のブログ(詳細はこちら)でクルーが発信してくれた通り、9月の「社内木鶏」での気づきを私もこちらのブログで発信します。

 

選んだ記事は「大病を乗り越えて見えてきたもの」です。

https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2018/tamuraayako/

 

【感じたこと】
(人生・仕事にどう生かすか・この1ヵ月木鶏に迫れたか 等)

 

それまでずっと「痛い」「辛い」しか考えることができなかったのが、普通でいられることのありがたさを実感するようになりました。文中にある、たむらあやこさんのこの言葉のように、大病を乗り越えた方が必ずと言っていいほど口にされるのが、日常当たり前になっていることが如何に有難いか、ということ。

 

まだ感覚がまばらにないと言われ、完治している訳では決してありませんが、このように感謝を土台に持ち、同じ病気で苦しむ人の力になれたらと願いながら生きていらっしゃる方々のお話を聴く度に、「乗り越える」とは一体どういうことなのかと考えさせられます。

 

先日は、ある保育園の園庭勉強会に参加してきた際、やはり子どもたちにとっての安全・衛生面のお話で、難を取り除くのではなく、この「乗り越える力」を養うことが出来る環境についてお話を伺いました。事の大小はあっても人生の生き方から見れば、この「乗り越える」という力はとても大きなテーマに感じられます。

 

 

話は少し異なりますが、先日の福岡出張の際に、私たちが再生を手掛けている築150年の古民家『聴福庵』の2軒隣にある、長年手入れをされていない古民家を内見する機会をいただきましたが、今の生まれ変わった聴福庵のイメージがあった私にとっては、家主がいなくなり暮らしを失った家の姿からは思った以上の衝撃を受けました。

 

柱や造りは立派ではあるものの、壁が壊れていたり床が抜けそうになっていたり、またどう見てもその家に合わないようなトイレや風呂が後から無理やり作られていたり…と、このような状態の家を実際に見たことが初めてであったため、その姿は人間で言えば、まるで「痛い」「辛い」という大病を患っているような状態のようであり、無理やり対処療法を施しているかのようでもあり、そしてこの家と同じように、已む無く取り壊されようとしている古民家が他にも沢山あるのだという現実。

 

自分自身が健康だと、まさか大病を患っている方が世の中にどれだけいらっしゃるかなど中々考えもしないように、古民家を含め昔から受け継がれてきたものがどれだけ消え去っているのかと考えると、ご縁を頂いて再生してきた私たちの『聴福庵』は、本当に幸せな家であり、その家が喜ぶようにと修繕を続けてきたことによって、自分たちもまた大きなものを頂いていることを感じます。

 

※自分たちの手で再生をしてきた古民家『聴福庵』は、日本人としての暮らしや生き方・自然の智慧を教えてくれる場でもあります。

 

先日の聴福庵の滞在中は、熊本の茅葺き職人さんと囲炉裏を囲んで楽しく食事をし、その後に今までの再生の様子をまとめた「聴福庵ムービー」を一緒に観る時間を頂きました。

 

 

傾いていた家の柱を直し、床下に大量の炭を入れ、漆喰を塗り、畳を作り、井戸を掘り、瓦をふき、、そんな自分たちで修繕してきた姿を見て「なんでもやるんですね!」と職人さんは驚いていらっしゃいましたが、そこから職人さんとの距離がとても近く親しくなったことを感じました。

 

自分自身もまたムービーを見返し、この古民家を自分たちの手で治していった歩みを改めて振り返ることで、自分たちが一体何を再生しているのか、その大きさを実感する機会をいただき、その取り組み自体が古民家や日本文化への愛着や誇りというものを生み出していることを感じました。

 

※職人さんの力を借りながら、自分たちの手で修繕し体験していくことを大切にしています。

 

傷んだ古民家を一つひとつ自分たちの手で丁寧に修繕していくことは、人間で言えば病気や困難と一つひとつ向き合い、それを乗り越えていくようなものなのかもしれず、それは決して作業ではなく生き方の学びのようにも思えます。

 

何事も分けずに学びを頂きながら、今あるご縁に感謝の心をもって臨み、子どもたちにとって大切なものを伝え遺していけるよう、自分自身のいのちをつかっていきたいと思います。

 

ビジョンリスナー
大河内 盛友