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武道の中にある自然観

先日、地域の子どもたちに武道を体験してもらえる場を用意しようと、地元の市の協力を得て武道体験イベントを開催しました。

 

私は空手道協会の一員として参加しましたが、他にも剣道や柔道、少林寺拳法などの様々な武道協会が集まり、模範演武を披露したり、体験会を行う充実した一日となりました。

 

 

もともと私は子どもの頃から武道をしていた訳ではなく、成人してから『武士道』に触れ、武の道とは「人が生きていく上での精神の拠り所となるもの」であり、後世の人たちに伝え遺していきたい日本人の伝統的精神であることに気づき、子どもが生まれたことをきっかけに空手道を志すようになりました。

 

娘が今後の人生を生きていく中で、何か芯となるものを遺してあげたい。その為にはまず自分自身が手本となることが大切ではないかと思い、子どもと一緒に空手を始めた経緯がありますので、今回の武道体験イベントは私たちにとっても初心を思い返すような有難い機会でした。

 

 

最近、空手を教える立場となってようやく気づいたことなのですが、武道を体験から深めていくと、その中には「自然」があることを実感するようになりました。

 

空手道を始めたばかりの人は、みな突きも受けも「自分の力」を一杯に使って行おうとします。その方が力強い突きや受けが出来ると思うからなのでしょう、私自身も最初の頃はそうでした。

 

ですが、空手道は腰の使い方が重要であり、腰を入れること・腰を切ることによって筋力以上の力が引き出されます。それを今まで私は「身体の使い方」として、どこか技術的なものとして理解しているところがありました。

 

しかし最近、この腰の使い方は、実は「自然の力」を使っていることに気づきました。腰を入れるとは、自分の体重を乗せることであり、それは地球の重力の力を使うこと。腰を切るとは、電車が急停車した時のように反動の力を使うことであり、それは引力や遠心力を使うこと。どれもが自分の力だと錯覚しがちですが、実はそうでないことに気づきます。

 

何事も「自分の力」で何とかしようとしている時は大した力は発揮されず、自分以外の「神仏自然の力」をお借りする時、本来の力は発揮されるのかもしれません。武道の鍛錬にはその自然観が含まれており、このように自然の智慧を活かそうとすることもまた日本人らしい伝統的精神のように思えます。

 

2020年の東京オリンピックでは空手が正式種目に追加されましたが、競技以上にその日本人としての武道の精神を深め、子どもたちの未来へと伝承していきたいと思います。

 

 

ビジョンリスナー
大河内 盛友