自然から学ぶ

私たちの復興「自分たちに出来る事をする」

カグヤでは2011年の東日本震災から、自分たちなりに復興を始めました。それは、「自然から学び、自然に沿った本来的な生き方を実践する」こと。これまでの人間都合の生き方を改め、自然のつながりの中で生きる取り組みをご紹介いたします。

2017/01/29

三草二木のたとえ

今日は、ある保育園の理念研修でした。

来年度から園長交代という節目でもあるため、
改めて、全職員で理念を再確認していくことに。

そんな中で、
「100年後の職員たちにも守ってほしいことは何か」と、
職員同士でディスカッションすると・・・

「大人も子どももありのままでいれて、
それぞれ違うからこそ、その違いを認め合うこと」

という声がありました。

また、園長と副園長の関係にも触れ、

「園長、副園長は対照的だから、ありのまま。

園長は、苦手なことに対して、

『すみません。よろしくお願いします。』と
副園長にお願いして、
頑張ろうとしないところがいい。

自分で自分を認めている。

だから、子どもたちにもそんな風に
『できなくちゃ、じゃなくていいんだよ。』

と言える。」

とも、仰っていて

普段から、理念が体現されていることが
伝わってきました。

・・・・というのも、こちらの保育園は、
お釈迦様の教えを基にした仏教保育園。

ちょうど、研修の最後には

保育園の「理念ブック」にも掲載されている
「三草二木のたとえ」というお釈迦様の説法を、
皆で確認し合いましたが、

とても心に響く、素敵な教えだったので、
こちらでもご紹介したいと思います。^^

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この世界には山があり、谷があり、川があり、海があり、

そしてそこにはたくさんの
小さな薬草、中ぐらいの薬草、大きな薬草もあり、

大きな樹木も、小さな木も、きれいな花も小さな花も、
ありとあらゆる草や木があります。

そこには、同じように太陽はあたり、
雲が湧き、等しく雨が降り注ぎます。

その雨はたとえどんな小さな花にも、
大きな木にもあまねく平等に降り注ぎます。

降り注ぐ雨は平等ですが、
小さな花は小さいなりに、大きな樹木は大きいなりに、
その受け取る量はまったく異なります。

それでもそれぞれが自らの命を精一杯輝かせ、
生き生きと成長していくのです。

小さな花が大きな樹をうらやむ事も、
大きな樹が小さな花を見下すこともいらないのです。

仏さまのお慈悲は降り注ぐ雨のように、平等に注がれるのです。

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まずは、自分自身が、
与えて頂いてることに感謝して・・・

自分を認め、他者を認め、
それぞれの持ち味を伸ばし平等であることで、

比較や競争社会の刷り込みをとっていけたらと思います。

かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子