ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2017/01/28

「厄は役」

今日は今年が本厄の妻の厄払いと
家内安全の祈祷を自宅近くの氷川神社で行っていただきました。

子どもたちも保育園時代から
お世話になっていることもあり、
宮司さんの子どもたちに対する温かいまなざしに
改めて日頃からの見守りに感謝の気持ちが湧いてきます。

厄年について調べてみると、
こんなくだりを見つけました。

「昔は、地域と住人、地域と自然、地域と神社が密接に関わって日々の暮らしがありました。
そして日常と分けて「晴れ」といわれる日があり、行事としていました。
冠婚葬祭の「祭」にあたります。
それが「祭り」であり「祀り」であり「政り事」だったのです。

そもそも「厄年」は、そんな祭り事に参加する人たちが「物忌み」といって、
神事に携わる行事に参加するための清めでした。

「厄」は「役」から来たという説もあり、地域の祭事の役割を持つような
大事な節目の年回りでもあったのだと考えられます。

一夜、お社(やしろ)に籠もり、穢れを祓って祭事に臨むということが行われていました。
このことから、「厄」は悪いことがやって来るというより、
自分の中に溜まってしまう穢れが災いを引き起こすということなのだと解釈できます。」

穢れが溜まりやすい時期だからこそ、
心を澄ませて穢れを祓うためにも、
実際に足を運ぶ必要があるのだと感じます。

心で念じるのではなく、足を運ぶ。

ここに穢れが祓われる要因があるのだと学びました。

忙しくなったり、分かった気になると、
頭で考えてばかりで足を使わなくなることが多々あります。

そんなときに穢れが溜まってしまうのかもしれません。

どんな時も、謙虚に暮らし、自分を使っていただける場所に足を運ぶ。

そうすることでお蔭様が穢れを祓ってくださるのだと感じます。

ネットで調べれば何でも情報が手に入る時代になりましたが、
だからこそ人生においてとても大切な教訓を今日は頂いたように思います。

子どもたちと一緒に、自分を使って頂ける場所に足を運んでいきたいと思います。

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ミマモリスト
眞田 海