戦後70年を踏まえて感じることがあります。
それは、日本の特徴の一つに憲法で戦争を悪としていることではないかと
感じます。
そして、型取っているかもしれませんが、
日本人の特徴であり誇るべき特徴だと
触れ合う諸外国の国々の方々は仰います。
それこそ、学生時代に一緒にヨットを乗っていた
アメリカの先輩は、
「カイ、あなたの国はすごいよ」と仰います。
何故ですかとお聞きすると、
戦争は、基本的には何かあればやむを得ないことだと
法律が定めているからだと言います。
お聞きすると、日本人の凄いところは、
「和をもって尊しとする」
という精神だと仰います。
相手の意見がいいか悪いかという観点ではなく、
それをどんな学びにしていくか、そのことを踏まえてどう、
世界を幸せにしていくかという「福」の観点があるという事だと
感じます。
しかし、それと戦争が悪いとは関係ないことです。
福になるからと言って戦争をしていいとはなりません。
大前提に「戦争は悪いこと」決定していることの背景を
この一日考えました。
それは、子ども達で言えば「争う」事はあります。
しかし、相手の自由を奪い続けることはしません。
見ていると、謝ったり、譲ったり、与えたり、と
自分がした行動に合せて、埋め合わせをしています。
これは何なんだろうかと感じます。
それはなんだか
「与えるものは与えられる。奪うものは奪われる」
という現象をそもそも人間と言う存在の理念そのもので
体験してくれているように感じます。
子ども達は奪い続けることに幸せを感じていません。
与えることに幸せを感じています。
それは、子ども達だけでしょうか?
私たちも本質的には同じではないでしょうか?
そう問い直すほどに自分事になっていく苦しさと有難さを感じます。
家族との会話、仲間との会話、友人との会話、様々な人々との会話。
その時々に「与えているか、奪っているか」その自分の根本的なスタンスは
戦争を無くすというアクションの最初の一歩のではないかと感じます。
まずは自分事として、歩んでいきたいと思います。
眞田 海