ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2017/05/10

「共に育つ」

GW中に長野での自然環境の中では子どもたちは確かに
活き活きと遊んでいました。

それは、東京での暮らしの中で用意できない環境でもあります。

私が子どものころはまだ自然環境も確かにありました。
そして、それ以上に大人数の子どもたちだけの集団がありました。

そう思うと今の我が家の子どもたちが持てていない環境の一つに
子どもだけで自由に自治している子ども集団というものがあることに気づきます。

昔は子どもたちは自然と子どもたちだけで毎日外で遊んでいたものですが、
今は親が遊ぶ約束をしたり、場を持てる手伝いをしないと
中々難しいのかもしれません。

今、小学生の娘は学童に行っていますが、
学童も常に「先生」という大人がいます。

娘に昨日話を聞くと、学童では先生がいるから
ふざけられないから、楽しくないといいます。

「大人」がいることでの安心感を感じることもあるかと思いますが、
それは、「大人」がいない環境を体験したことがないと「大人」がいることを
「安心」とは感じづらいこともあるのかもしれません。

私自身、親から離れてみたり、別れがあるほどに
親からの見守りや安心感を感じ、親の有難みを感じます。

大人の存在を「見守り」と感じるか「監視」と感じるか。
それは、子どもたち自身がどんな体験をしてきたかということに
つながってくるのかもしれません。

今の時代、子どもだけで外で遊ぶということが
とても危険な気がしたり、親としても不安であったりします。

しかし、すべての危険を排除してしまっては、
子ども自身にそれらを乗り越えたり、避ける危機意識は
育っていきません。

子どもたち自身で過ごせるように、環境を用意していくこと。
子どもの育ちを信じ、邪魔しないために自分たち大人がどう変わっていくのか。

子どもが自らすべきことがあるように、
親にも親がすべきことがあるからこそ、
まずは自分自身が変わっていきたいと思います。

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ミマモリスト
眞田 海