ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2017/08/27

「陶冶観」

今日はドイツの保育について
セミナーにて学ばせていただきました。

バイエルン州の保育基本方針をお話しいただく中で、
こんなお話があり、とても感動しました。

「プランの要となるのは、幼児施設でも保育者でもなく、子どもである」

陶冶とは、大人がするものではなく、子ども自身がするもの。
子どもたち一人一人にそれぞれの「陶冶観」というものを持っている。
大人はそれを理解して、見守り、引き出していける環境になっていくこと。

それを大切にしている。

そんなお話をお聞きしました。

保育がなぜ一斉では無理があるのか。

それは

一人ひとりが育とうとするプロセスや観点、感性、タイミングはそれぞれに違うから。

そして、育つのは子どもであって、大人が育てるのではないということ。

先日も、園長先生から

『「ゲスト」ではなく「スタッフ」として生きることが大切。』

とお話を頂きましたが、国は違えど共通するのは、
保育の中でも、保育提供者(スタッフ)と保育受給者(ゲスト)という風に
大人と子どもを分けるのではなく、お互いがそれぞれの役割の中で
日々保育に参画して行くことが大切なのだと学びました。

これは、職員間でも家庭でも同じことが言えるのかもしれません。

子どもや職員に対して、「ゲスト」として見ていないだろうか。
その人のあるがままを自分は受け入れているだろうか。
自分の価値観で評価して裁いていないだろうか。
相手を変えようとしていないだろうか。
自分が真心を尽くしているのだろうか。

一人ひとり違うからこそ、一人ひとりから学ぶ気持ちと姿勢が大切なのだと
教えて頂いたように感じます。

また同時に自分自身に対しての眼差しも大切だと感じます。

「誰かに育ててもらおうと思っていないか」

「自分自身が持つ『陶冶観』と向き合い、理解しようとしているだろうか」

「日々自分自身の『陶冶観』から振り返っているだろうか」

自分自身の人生。魂が喜ぶ育ちを大切にしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海