ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2017/06/07

「日本とは」

今日は私が10代のころにヨットでパートナーを組んでいた
オーストラリアの方と16年ぶりにお会いしました。

オーストラリアの方というとなんだか堅苦しく感じますが、
要は相棒です。バディです。

今は53歳となりましたが、
いつまでも関係性は変わらず、
一目あった瞬間、溢れる思いから、喜びが爆発し、
いつになっても、命を共にした仲間や、
青春を共にした仲間との再会は
至上の喜びであることを感じます。

そんな人生の同志であり先輩との再開の喜びを
味わう中、子育ての先輩でもあるパートナーに
子どもたちの現状を聴くと、今は、スカイダイビングの
インストラクターとして、オーストラリア、日本など世界を股にかけて
活躍する男になっていたり、弁護士になるものの、
悪いことをした人の弁護をするという矛盾に苦しみ、
教師の道を歩んだ娘さんの話をお聞きするなど、
しっかりと自分の道を歩んでいることを聞き、

どんな子育て感を持っているのかをお聞きしました。

すると、大きく言えば

「長期的にみて子どもたちにとって良いと思える
判断軸を大切にした」

具体的に言うと2つ。

「借金をしてまでもモノを買おうとする人に育てるのか、
 ねだって買ってもらうような人に育てるのか
それとも、欲しいものを貯金して購入することができる人に育てるのか」

そして、

「困っている人を助けられるようなことを大切にした。」

と教えてくれました。

どういう風にしていたのかを聴くと、

「欲しいものをどうやって手に入れるのか。
 今欲しいものを自分で手に入れようとすると
 どうすると手に入れられるのか。一緒に考えて
 たとえ2年かかる計画でも、一緒に付き合った」

「たくさんの家族で何かをしようとしたら、
 集合時間より前に、その場に行き、場の準備や
 整備など、自分たちが率先して役立てる場に
 自分も子どもたちも体を運んだ」

と教えてくださいました。

今では、子どもたちは刈り取ることよりも積み重ねることの大切さや
自分の楽しみよりも仲間への貢献を喜びと感じられる子どもに育ったなど、

今の子どもたちの姿が自分の子育て感に
ある種の達成感を感じているとおっしゃいました。

聴くほどに、日本人の子育て感や
二宮尊徳の教えを連想します。

尊徳の教えにこんな教えがあります。

遠くをはかる者は富み、
近くをはかる者は貧す。

それ遠きをはかる者は、
百年のために杉苗を植う。
まして春まきて、秋実る物においてや。
故に富あり。

近くをはかる者は、
春植えて秋実る物をも、
尚遠しとして植えず。
唯眼前の利に迷うて、まかずして取り、
植えずして刈り取る事のみ眼につく。
故に貧窮す。

これは要約すると、富を得る人は
先の事を考えて行動するという事です。

そしてそれは、金銭のことにのみならず、
すべての原理原則であるといいます。

この原理原則そのものであるように感じます。

自分の利益よりも全体を考えて自分を活かそうとする姿も、
また等しく同じことのように感じます。

奥さまが日本人であることが起因するのかは分かりませんが、
信念とする子育て感が子どもたちへの環境となっていたことは
間違いがなさそうです。

18を過ぎるまではその信念も実らず、
信じる心が折れそうになったと教えてくれましたが、
今もまた、その信念を貫き続ける信じる心には
人として、親として、国籍を超えて尊敬の念を抱きます。

そして不思議なのは、、、
あんなに内弁慶で初対面を嫌う子どもたちが
たくさんの質問や会話を投げかける姿でした。

改めて自分の子育て感を刷新してくださる存在にであることの
有難さを感じるとともに子どもたちにとっても
大切な体験となったように思います。

求めない強さ。
与える強さ。
信じる強さ。

これが世界共通だとしたら、
その実践手段にはそれぞれの国の文化が色濃く反映されるはずです。

日本ならではの環境や風土、文化にあった実践を
行動から学んでいきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海