ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2016/08/09

「心の執着」

先日、当主とクルーが京都にて
イエローハットの鍵山秀三郎さんが主宰する
「トイレ掃除日本を美しくする会」の方に講師に来ていただき、
掃除道の実践に参加する機会がありました。

素手で便器を掃除するという実践であること、
自分自身が磨かれていくということ。

クルーの報告を聴くと、
自分の心がうずきます。

しかし同時に、
行動としては可能かもしれないですが、
素手でトイレの便の汚れを掃除することに
心が拒否していることを感じます。

道具があれば、出来る。
道具が無くてもできるけれど、やらない。

そう選択している自分に気づきます。

良いと聴いていても、
やってみたい気持ちがあっても、
条件が整わないとやらない。

心の弱さを自分の中に感じます。

そして同時に、
その弱さを磨くありがたい機会であることも
感じていました。

朝起きて、心を震わせ、
トイレの前に立ってみますが、、、
こびりついた汚れを見ると、

こ、、、これを素手で触るのか、、、

と、相変わらずな自分が居ます(笑)

しかし、エイヤと掛け声を掛けて、
いざ素手で触ってみると、
汚れも便もただの「モノ」であることに気付きます。

便器の表面も、きれいだと思っても
実際に素手で触ってみると、、、、
かすかなザラツキやぬめりがあることに気付き、
必死に手で磨き続けていると、
つるつるになっていきます。

そして、自分自身の心には大きな変化が生まれます。

それまであんなにあったこだわりや
モノに対する執着心のようなものが
あれよと消えていく事に気づきます。

掃除をして拭われたものは
便器の汚れだけではなく、
自分自身の執着やこだわりでした。

自分の執着や怠惰な心にひとつ、
綻びが生まれました。

ここからさきは、やはり自分の事ばかりを磨こうとせず、
もっと日常の当たり前のところから
掃除を始めたいと感じます。

自分の心にはまだまだ
朝に対する執着やこだわりがあります。

朝の使い方をまた一つ、今日の学びから
活かしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海