ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2015/08/25

「誇り」

今日はGTサミットの最終日でした。

全国の先生方が一堂に集まり、学ばれる姿は
すさまじい熱気を感じます。

「職員が見守る保育を一生懸命に学び、実践しているのだから、
私たち園長や管理職がもっと保育について学ぶ姿勢を大事にしなければ」

というセミナー内での発言をお聞きすると、
皆さんが主体的に同じ夢に向かって歩みを続ける素晴らしさを感じます。

また、講師の方が見せてくれた動画での保育シーンについて
「先生方はこの動画を見て、どう感じられますか?
 これは見守るということでしょうか?」

と問いかけられた時には、私自身、
「自分の見守るという価値観」を問われました。

空想や概念を学ぶ時と違って、
実際のその事例を見るという事をしてみると、
直に自分に突き付けられて分かりやすいですね。

自分がどんな価値観を持っているのか、
自分の信念からの答えは何なのか?と問われるとても
集中した時間を過ごさせて頂きました。

そして何より、講義の最後に各参加者の方々の発言をお聞きしたときに
それぞれの皆様がそれぞれに、「見守る」という言葉、保育道に
「誇り」を持っていらっしゃることを感じました。

見守るとは何か。

ただ信じて待っていればいいのか。
待っているか、介入するかという二元的なものなのだろうか。

それは、大人が「きっとこうなるだろう」という大人の願いを信じて待つのか。
それとも、子ども達の発達段階によって待ち方や見守り方は変わるのだろうか。

様々な考え方や方法はその時々によって色々とあるのだと思います。

しかし、藤森先生の今日の締めのお言葉をお聞きすると、

「あなた(大人)の見守りは、普段の子ども達の姿に既にちゃんと表れていますよ」

と教えを頂いたように思います。

それは、先生方の声掛けや見守り方に目を向けるのではなく、
子ども達が子どもたち同士で掛けている声掛けや、見守り方、
助け合い方。その普段の何気ない姿そのものに、あなたの見守りの姿勢が
現れてくるのですよ。

と受け取らせて頂きました。

親として、子どもを見たとき、子どもの普段の姿、言動、
そこにはしっかりと自分自身の見守りの姿が映し出されているのだと感じます。

そしてそれは何も子育てに限ったことではなく、仲間との関係、
親との関係、友人との関係とも関係し、人間として社会で生きるということ
そのものに関係してくることなのだと感じます。

今回の学びのお蔭で改めて、自分の行動を見直すきっかけを頂いたように感じます。
また明日からの実践に活かしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海