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行事

日本古来の行事から学ぶ

年中行事や室礼、祭りを通して、日本古来の信仰心を取り戻したり、季節の巡りに寄り添った暮らしを味わい自然に感謝しながら、本来の行事のあり方を見直しています。

暮らし

場づくりの難しさ

10数年ぶりの東京でのお盆です。

 

精霊馬をつくったり、おじいちゃんの好きなものをお供えしたり、

子どもたちは夏休みの課題かのように楽しそうに作っています。

 

 

お墓参りに行った後には、子どもも大人も、「面白い本や文化」に出合える

代官山の蔦屋に行ってきました。

https://store.tsite.jp/daikanyama/

 

美術館や博物館に行くと、そこに飾られた文化物そのものから影響されたり、その文化物を大切にしようという建物そのものから影響されたりと、不思議と自分の感性が高まることがあるように思いますが、代官山の蔦屋は通常の本屋やCDショップ、文房具店とは趣を変えて、「手に取って座って読めるスペース」や「カフェの飲み物を飲みながら読んでよい設計にしていたり」と文化や価値観をより顧客が感じられるような設計にしていることが、美術館のような、博物館のような没入感を与えてくれる場所であることを感じます。

 

それぞれに「ゾーン状態」になって好きなものを見つけ、そして吟味して購入したのは

とても幸せな時間だったように思います。

 

改めて思うのは、この「没入できる環境」の大切さです。

 

精霊馬を作るときも、お墓参りする時も、本を買いに行く時も、、、

これを作業のように効率よく「作らせ」たり「させ」たり、「買わせ」たりする思想から脱却し、「作りたくなるような」「やりたくなるような」「買いたくなるような」環境を作ることに思想をシフトすること。それが、文化を作る土台なのだと感じました。

 

今日は、妻が精霊馬を子どもたちが作る際に、どんな風に迎えに行ったらご先祖様は喜ぶかな、その馬はどんな格好がいいかなと、子どもたちに投げかけたり、いろんな姿を見ましたが、その声掛けで子どもたちが楽しそうに考え始め、深め始め、そして「思い」を持って精霊馬を作る子どもたちの姿からも、「没入できる環境」の準備、いわゆる見守る保育の考え方が改めて大切なのではないかと感じる瞬間でした。

 

その点、迎え火を私がする時は、夕飯や色々とやりたいことも重なってしまい、、

とってもその辺の「没入できる環境」の準備がへたくそで(泣)

悲しいぐらいに子どもたちが参画してくれませんでした。

 

やっぱり、「させる」じゃだめだなぁ、、と改めて感じる一日でした。

 

 

ミマモリスト 眞田 海