江戸時代は、私たちが思っている以上に少子化であり、その対策を幕府や各藩が行っていることにびっくりします。また、当時の都会である江戸では、今の東京に見られる現象と同様なことが起きていました。それは、有配偶率、特に男性の有配偶率の低さです。縄目氏の調べたところによると、幕末江戸各地の男性の有配偶率は、5割程度となっており、農村部の「皆婚」ぶりと比べ極めて低いものとなっているようです。現代の東京と比較しても男性の有配偶率は大差がなかったというのです。最近の少子化の原因として大きく上げられる結婚しない男性ということがありますが、江戸時代において江戸各地では、同じことが起きているのです。住民の職業を見ても日雇稼、棒手振等の不定期就労者が多く、昔も今も江戸(東京)は独身者と非正規雇用が多い街だったと縄目氏は指摘します。
また、最近は、離婚が多いという話もよく聞きますが、明治以降の推移をみると、明治初期・中期の離婚率が現代より高かったことがわかります。明治民法施行(明治31 (1898) 年)以前の日本の離婚率の高さが推測されるのですが、江戸時代の離婚率は、どうだったのでしょう。縄目氏は、陸奥国下守屋村と仁井田村を例にとっています。それによると、平均普通離婚率は4.8 に達しているといいます。これは現代の米国を上回る高水準なのです。また、武家の離婚率も高かったと推測されています。また江戸時代は、配偶者との死別に伴う再婚も多く、夫婦が一生寄り添うという家族のイメージは、離婚率が低下し、平均寿命が延びた明治以降に形成されたものだと縄目氏は、指摘しています。
そういうわけで、江戸期の人口と家族について言えば、1家族4人程度の直系家族、低かった出生率、人口の減少、都市部での高い未婚率、現代より高い離婚率− 江戸期の人口・家族を巡る状況は、ある意味で明治∼昭和前期より「現代的」な側面があったとさえ言えるのではないだろうかと縄目氏は考えています。
では、明治から昭和中期にかけてはどうだったのでしょうか?明治中期から1920 年代にかけての高出生率・高死亡率の「多産多死」の時代がやってきます。そして、1920年代から戦中を挟み1960年代までの「多産多死」から「少産少死」への「第一次人口転換」の時代を迎えます。そして、1970 年代から、人口置換水準を下回る少子化の進行による「第二次人口転換」の時代が始まり現在まで続いてきているのです。
第一次人口転換では、戦後日本において想定されてきた、夫婦が2~3人程度の子どもを生み、また夫婦何れかの親と同居する場合もあるという 「標準的」 家族像が、江戸期に成立した直系家族を出発点としつつ、出来上がっていきます。数字的に見てみると、明治初期の出生率は比較的低かったものの、 明治中期以降高い出生率を維持し、 1920(大正9)年には普通出生率が36.2 とピークに達します。この年の出生数は200 万人を突破し、1873(明治6)年の出生数(約80 万人)の2倍半に達しています。この結果日本の人口は同時期に3,481 万人から5,596 万人へと2,000 万人以上増加しており、正に人口爆発といっていい急増ぶりを示しています。一方、死亡率も高く、普通死亡率は一貫して20 を超えている。 この時代が多産多死であったことがわかります。
この傾向について、縄目氏は、農地の生産性に縛り付けられていた江戸時代から、工業化の時代を迎え、生活水準が向上し、出産を抑制する必要が少なくなったこと、医療・衛生・栄養等の改善等により平均寿命が伸びたこと等を考えています。しかし、私は、出生率と、戦争は大きく関係していると思います。特に日露戦争で一般庶民において多くの犠牲者を出し、そのために多産が奨励化されたということがあるように思います。それは、ある意味で兵隊という労働力を多く必要としたからです。しかし、縄目氏は、戦争の影響については触れていませんが、どうなのでしょうか。