逸話

映画のレッドクリフPart?は、日本人が好きな三国志を題材にしているので大当たりのようです。この三国志は、話の展開が面白いだけでなく、それぞれの作戦の駆け引きの痛快さがあり、その場面が逸話として伝えられ、日本でも名言になったり、慣用句になったりして、普段からなじみのある言葉が多いことも人気の秘密かもしれません。その中で、映画の主題である「赤壁の戦い」は、三国志の序盤のハイライトだけあって、さまざまな逸話が生まれています。しかし、それは、事実というよりも、それを面白おかしく爽快に伝えているので、本によって少し違っています。
有名なものに、「反間の計」、孔明が夜陰に紛れて矢を盗む「草船借箭の計」、曹操の艦隊を鎖で繋ぐ「連環の計」、そして、先日書いた「東南の風」などがあります。
その中の「苦肉の策(くにくのさく)」は、映画では少し違って描かれていましたが、この言葉は今でも「苦し紛れに生み出した手段・方策」という意味の慣用句として使われています。もともとは、この兵役の戦いで使われた作戦の一つで、害は他人から及ぼされるもので、自らは及ぼさないであろうという人の心理を利用したもので、「苦肉の計」「苦肉の謀」ともいわれています。
周瑜率いる劉備・孫権連合軍が、曹操軍の艦隊に立ち向かうために火で焼き払う「火計」という作戦を用いるのですが、誰が敵陣に潜り込んで火をつけるかというときに、周瑜の家来であった黄蓋が提案した計画です。黄蓋は、この戦いで曹操軍に対抗するための有力な対抗案が出せないとして司令官である周瑜を罵倒します。しかし、周瑜はこの言動を咎め、兵卒の面前で鞭打ちの刑に処します。黄蓋の体は傷だらけになり、敵である曹操軍に投降を申し出ます。曹操は最初疑っていましたが、蔡和から黄蓋が杖百打の刑を受けたという手紙を受け取ると、使者の言っていることが真実だと信じて投降を承知します。こうして偽装投降に成功した黄蓋は曹操軍に放火することに成功し、曹操軍は壊滅することになるのです。
また、中国のことわざに「ガチョウの羽根の扇子を揺らす(揺鵞毛扇)」という言葉があります。何かを画策する様子を指しています。映画の中でも、諸葛孔明はいつも手に「羽扇」というガチョウの羽で出来た扇子を持っています。扇子というより、団扇(うちわ)のようです。この扇子は、後漢から晋時代にかけて文人の間で流行していたものを、諸葛亮も白羽扇を愛用していました。三国志描いたどんな作品にも、ほとんどの孔明は白羽扇を持っています。映画の中で、周瑜が「なぜ羽根扇子を持っているのか」と孔明に聞いたら、孔明は、「熱くならないためです。」と答えたので、周瑜が「あなたのような人でも熱くなることがあるのですか」というシーンがありました。
また、「華容道(かようどう)」という言葉がありますが、これは場所の名前です。赤壁の戦い後、曹操は退却するときに華容道を経て江陵に向かおうとします。途中、華容道を抜ければ曹仁の待つ城まで戻れると思ったのもつかの間、そこで、関羽が曹操を待ち伏せしていました。その時、曹操に恩義のある関羽は,静かに道を開け、これで恩義は返したと去っていました。「華容道」とは、関羽が過去の曹操との義理のために、曹操を逃がしてあげる話です。
昔は、さまざまな逸話から生き方を学び、道徳観を身につけていたのでしょうね。

麻酔

 サイエンスの2月号に「髪の毛でわかる古代の薬」と題した記事が掲載されていました。その記事は、古代アンデスでは植物からつくった幻覚作用をもつ薬が治療に使われていたというものです。その記事によると、「アメリカ先住民の社会では,精神活動に影響をあたえる植物が霊的な儀式や民間療法に用いられたことが知られている。また,南アメリカの古代アンデス地方の墓に鼻から吸引する「かぎたばこ」が入れられていたことから,幻覚作用をおこす薬が古くから利用されていたと推定されてきた。」その推測が事実であることがチリ北部で発見された「ティワナク文化期(西暦500?1000年ころ)」のミイラ群の毛髪を分析してわかったそうです。この毛髪を分析してみると、アンデス地方に生えている特定のツル科植物に含まれている精神に作用する「ハルミン」という物質が検出されたようです。この物質は、アンデスの人々は幻覚作用をおこすためではなく,治療用の薬としてこの植物を使っていた可能性が高いといいます。いわゆる、今で言うと治療の時に使う麻酔のようなものだったのでしょう。
このような体をマヒするNARCOTICS(ナルコティクス)という言葉を「麻酔」と訳し、そのほかにも「麻薬」「麻痺」「麻疹」など、五体の痺れを示す表現にすべて麻の字がつくのは、大昔、中国の人がこれらの麻酔は麻(大麻)からもたらされると考えたからだそうです。
その由来に関係する人物が、日曜日に見た「レッドクリフPart?」に出てきます。映画の中で、曹操軍は、兵士たちの間で疫病がはやり、困ります。その時治療する曹操の専属医である「華陀」という人物が登場します。彼は、「後漢書」の「華陀(かだ)伝」によると、西域の胡人で、「麻沸散」という大麻から作った麻酔薬を、酒と一緒に病人に飲ませ、麻酔状態になったところで腹と背を切開し、胃腸にあった患部を摘出し縫合し、一か月で快癒させたとあります。この薬は麻(大麻)から作られたので麻沸散といい、以後、ナルコティクスに関する言葉にはすべて「麻」の字がつくとしています。
特にこの麻沸散は、外科手術の時に用いられた麻酔薬で、華佗はこれを使用して世界で初めての全身麻酔による切開手術を行ったといわれていますが、この命名には華佗自身の悲話が伝わっています。
「華佗元化には妻と「沸」と言う名前の1人息子がいました。ある日のこと。華佗が妻と沸を連れて山中に散策へと出かけ、華佗と妻が二人で薬草を探している間、息子の沸は1人で遊んでいました。華佗と妻は必要な薬草を手に入れ、さて帰ろうかと周りを見まわしてみると息子の姿が見当たりません。急いで探し回ると、我が子が力なく倒れているのを見つけました。急いで介抱してみましたが、すでに沸は事切れていました。沸は毒の実を食べたのでした。華佗はその実を調べてみると、どうやら適量であれば麻薬効果があることがわかり、念願の麻薬完成にこぎ着けた華佗は、その麻酔薬に我が子の名である「沸」をつけ「麻沸散」と名づけたのです。
この華陀は、曹操があまりに頭痛がひどいときに「よろしければ私が頭を切り開いて中身を見ましょうか?」と言って、麻酔の存在を知らなかった曹操の怒りを買い、殺されてしまったと映画のパンフレットに書かれてあります。他の資料には、手術を暗殺と思い込んだ曹操によって殺されてしまい、華陀の医学は後世にあまり残らなかったと書かれてありました。
レッドクリフで「茶」を知り、「麻酔」も知ることができました。

気象分析

気象を読むというのは、とても重要なことだったでしょう。それは、衣食住に関係するからです。特に、食は多いに天候が影響しました。それは、生活自体が自然と共生していたからです。確か以前のブログに書いたことがあると思いますが、ある時から人間は自然を征服しよう、押さえつけようとしてかえって自然の脅威にさらされることになってきてしまっています。もう一度「自然と共生する」ということは、「自然に沿って生きる」ということであり、「自然を読み取る」ことが必要になってきています。
本当のことはわかりませんが、初めて自然を読んだのは、「ノアの方舟」だったかもしれません。日本では、日食のときに天岩戸が閉ざされ、同じ皆既日食が原因で卑弥呼が殺されたという説があります。自然現象は、人間の暮らしに役に立つこともあり、また、暮らしを襲うこともあり、また、それを利用して民を統率したり、戦いに利用したりしました。
自然の力を借りて戦った有名な逸話の一つに「借東風」という言葉があります。これは、その字の通り、「東風を借りた」ということで、東風を利用して戦ったということです。このタイトルの京劇があり、そのDVDも発売されているくらい有名な逸話です。この「借東風」という言葉は、いまでも中国でよく使われるそうですが、たとえば、会社で部下が素晴らしい企画書を提出したときに、上司はそのままほめるのではなく、さりげなく「君の提案は正に“諸葛亮借東風”だね」などと使うそうです。この言葉の由来のエピソードが、映画「レッドクリフPart?」の主題です。
「赤壁の戦い」では、劉備と孫権の連合軍は、敵対する曹操の大軍に比べて圧倒的に戦力的に少ないのにもかかわらず、その曹操の大軍を破ったという歴史的に有名な戦いです。このなかで勝利を呼び込んだのが「冬場における東南の風」を利用した戦艦への火攻めだったのです。曹操軍は、艦隊を鎖で繋ぐ「連環の計」の作戦を立てたのに対して、そこに火を放つ「火計」の策を考えますが、風向きが逆で味方のほうに火が来てしまうということで困り果てていた周瑜に対して、孔明が「東南の風を起こしましょう」と提案し、まさにその風が起こり、大勝利を得るという話です。
季節は冬でしたので、この時期には「東南の風」はほとんど吹かないようですので、「三國志演義」では、諸葛孔明が七星壇を築いて祈祷を行ない、3日3晩「東南の風」を吹かせたことになっていますが、正史の「三国志」には、強風が吹いたという程度しか記述はないそうです。どちらにしても、風が変わりそうだという読みがあってこの計を使ったということで、孔明は、当時の風水学の一部、現在の気象学に卓越していたのでしょう。
「東南の風は、呼んだのか、読んだのか。」ということで、映画のパンフレットに大東文化大教授の渡邉義浩さんが書いています。
「そもそも、近代以前の戦いは、すべてを合理的な判断で行うわけではない。うらないなどの呪術が、軍事と密接に結びついていた。こうした呪術的兵法を“漢書”では、“孫子”などとの“兵家”と区別して、“兵陰陽家”と呼んでいる。軍を起こすときに、その日時の吉兆を定め、天体の方角に留意し、天象・気候を観察して、鬼神の助力を得るという、きわめて呪術性の高い兵法である。」
しかし、孔明は人智を超えた呪術的な能力で風を呼んだのではなく、あくまでも風が起こる場所を気候の観察から予測したのではという考え方のようです。

「愛」の前立の兜を身につけた直江兼続は、利によって動く戦乱の世にありながら、上杉謙信の「義」を尊び重んずる生き方を引き継いでいます。今の時代に求められている「義」の心、その「義」をひたすら追求し、その義によってまっすぐに生きようとした精神が、今NHK大河ドラマで描かれている「天地人」の主題かもしれません。
今日、早速妻と見に行った「レッドクリフPart?」のパンフレットには、映画感想家の大林さんがこの映画のことを「男たちの魂は、“仁・義・礼・智・信”という思想から外れることなく、女たちの心は決して“愛”に迷うことなく、かくも熱き死闘を繰り広げた。」と書いています。そして、ウー監督の一貫するテーマは、「正義、勇気、友情、絆、愛」であるとしています。そして、「義」を軸に「希望」を描くことにブレはないといいます。したがって、「“義”と“愛”がある限り進化し続ける」とウー監督を総評します。
この映画のもとである「三国志」は、吉川英治作品と、横山光輝の作品で知った私の中の主人公は、「義を重んじ、常に民のことを思う劉備玄徳」ですが、この映画は、どちらかというと、孫権の司令官「周瑜」と、劉備の軍師である「孔明」との友情と、作戦が中心に描かれていました。映画は、全体としては、漫画を見ている感じでしたが、パンフレットの最初に書かれているウー監督の日本人に向けて書かれてあるメッセージに、この映画を見る意味を感じます。
「私たちが暮らしている今は、過去に生きた人々の勇気ある行動が積み重なってできてきました。世界的不況・不信の時代だからこそ、一人一人の決断で今を変えて新しい未来を作りましょう。みなさんがそれぞれの“奇跡”を起こす時です。未来に勇気を。」
物事の正しい道筋や、人間のふみおこなうべき正しい道のことを「義理」といいます。いわゆる対人関係や社会関係の中で、お互いに守るべき道理のことを指すこともありますが、そうではなく、いわゆる「正義の道理」を意味する場合は、朱子学柄来ています。林羅山は、「義理」を「人の履むべき道」という意味で使っていますし、中江藤樹には、「明徳のあきらかなる君子は義理を守り、道を行ふ外には毛頭ねがふ事なく」と「文武問答」で書いています。
先日のブログで紹介した上杉謙信の「家訓」の中にも3番目に「義理」が出てきます。「心に欲なき時は義理を行ふ」とあります。心に欲がないときにこそ、義理の道を行うことができるということです。人は、いろいろな行動を起こす時、仕事をするとき、利益を得ようとする時、何をその根拠とするのでしょうか。そこには、私は「大義」が必要だと思います。しかし、何が「人のふみ行うべき重大な道義」である大義であるかは、とてもむずかしい判断です。ですから、上杉謙信は、大義を持って動くときには欲を持ってはいけないと言ったのでしょう。そして、このような精神があったからこそ、「義」の将として後世になっても評価されたのでしょう。
映画「レッドクリフ」、NHK大河ドラマ「天地人」ともに「義」がテーマであることは、偶然なのでしょうか、今の人に求められている精神なのでしょうか。

職業

 数年前に「13歳のハローワーク」という本が、ずいぶん話題になりました。この本は、幻冬舎から刊行された村上龍の著書で、その後、学校で教材として採用されたりしています。この「ハローワーク」というのはもちろん和製英語ですが、「職業との出会い」という意味では、私はなかなかいい名前だと思います。
 この本が話題になったのは、もちろん職業紹介なのですが、著者の村上龍本人の職業観を語るエッセイが掲載されており、職業は生きるための手段ではなく、生きる目的そのものであるなどと述べられています。そのために、何の職業に就こうとするかは、どのように生きるかという問いを突き付けられていることになります。そんなときに、自分をよく見つめます。何が好きなのだろうか、何をしているときに没頭できるのだろうか、何がしたいと思っているのだろうかなどです。
 この本が話題になったのは、単に職業を並べて紹介するのではなく、好奇心を対象別に分けて、その対象の先にあると思われる仕事・職業を紹介しようという目的で作られていることです。また、その人に向いた仕事、その人にぴったりの仕事というのは、誰にでもあるといいます。ですから、この本は、できるだけ多くの子どもたちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しいと考えて作られています。しかし、人はなかなか自分の特性、個性、資質がなんであるかわかりにくいものです。まして、他人はなおさらわかりません。しかも、今は、昔に比べて非常に多くの仕事・職業があります。しかも、10年前にはなかった新しい職業もたくさんあります。
 村上氏は、この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思っています。「それは、「偉い人と普通の人」ではないし、「金持ちと貧乏人」でもなく、「悪い人と良い人」でもなくて、「利口な人とバカな人」でもありません。2種類の人間・大人とは、自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人のことです。」
 昨日の日曜日に映画「おくりびと」を見てきました。わが子が、遺体を棺に納める「納棺師」になると言った時に、どのように反応するでしょうか。当然戸惑うでしょうね。死というだれもが避けたがる、一見地味で触れ難いイメージの職業ですが、死というものを冷静に考えると、この映画の英題である「Departures」(出発)なのです。ですから、主人公が求人広告「旅のお手伝い」という文言を見て、旅行代理店と思って尋ねます。しかし、この映画は、こんな職業があるのだと気付くと同時に、その所作の美しさを背景にさまざまな愛の形を表現します。生きているということは愛を与えたり、愛を失ったりすることであり、死は、そのような愛に気づかせる門出のような気がします。
 納棺師と言わないまでも、わが子が「こんな職業に就きたい!」と言った時に、それを認めるだけの子どもに対する信頼を持てるかというと自信がありません。アニメ界の父ともいわれる手塚治虫が、大学で医者への道を目指していましたが、学業とマンガを描くこととが両立しなくなってきます。大いに悩んだ彼は思い余って母親に相談をしました。すると彼女が「あなたはマンガと医者とどっちが好きなの?」と聞きました。手塚は即座に「マンガです」と答えました。「じゃ、マンガ家になりなさい」という母親のひと言で手塚は進路を決めたのだとのちに述懐しています。そして、「母のひと言で決心がつき、充実した人生を送ることができました。」と自伝に書いています。
 村上氏の言葉を思い出します。

封切り

 私は映画をたまに見ますが、大体は妻と見ることが多いので、見に行く日は日曜日の昼間です。「夫婦50割引」という、どちらかが50歳以上の夫婦2人であれば、一人1000円というキャンペーンが継続されている映画館が多いので、二人で行っても、ほぼ一人分で見ることができるので助かります。それから、話題作は日曜日は込んでいることが多いのですが、ネットで事前予約ができ、座席指定ですので、日曜日でも見に行くことができます。また、妻が一人で見に行く時は、レディースデーの昼間に行くことが多いようです。私は、今は忙しくて、一人で映画を見に行くことは少ないのですが、行く時は、平日の夜の部です。
 私は、中学生のころから映画をよく見に行きました。住んでいたのが、浅草のロックや、有楽町という映画館が数軒並んでいる街に近いということもあって、気軽に行きました。そのころ見に行く映画は、私の場合、ほとんど洋画で、特に「ウエストサイドストーリー」の影響で、ミュージカルはほとんど見に行きました。
 そのころを思い出してみると、映画を見に行ったのは「ロードショー公開」でした。映画におけるロードショーとは、「映画の封切り」のことをいいます。しかし、もともとは違う意味でした。最初は、おもにアメリカの演劇界で使われていた言葉で、新しい作品をブロードウェイで上演する前に、その作品がどのくらい受け入れられるかを、地方を回って上演を行い、そこでの評判をみました。そのように、ブロードウェイよりも前に行う上演のことを、一般に「ロードショー」といいました。それが、映画では逆に、まず、都市部で先行して上映を行い、そこでの評判や観客動員を見て、全国展開をするかということをきめました。この「都市部での先行上映」のことを「ロードショー」といったのです。私は幸い、都市部に住んでいたので、誰よりも早く封切映画を見に行くのが趣味でした。しかも、その中でも第1回目の上映に行くことを目指しました。
 ロードショーの第1回目は、さまざまな特典がありました。よくあるのは、その映画のポスターをプレゼントされます。ですから、私の部屋は、映画ポスターをパネルに水貼りをしたものが何枚も飾ってありました。また、出演者たちが舞台あいさつをする時があります。そのほか、特に面白い経験をしたことがありました。「最高にしあわせ」というミュージカルを見に行ったときに、その映画の鑑賞者みんなが立ち会いをして人前結婚式を挙げた時です。会場が映画館で、仲人が高島夫妻でした。
 私がロードショーの封切り日に見に行ったということは、何曜日だったのでしょうか。私の高校は、そのころから隔週土曜日が休みだったので、土曜日だった気がします。今も、封切り日は土曜日のことが多いようです。それが最近変わってきつつあるということが、先日の新聞記事に書かれていました。
最近、大手洋画配給会社の注目作を中心に、金曜封切りが目立っているというのです。次回作の「ハリー・ポッターと謎のプリンス」も世界同時の金曜公開が決まっているそうです。この作品が世界同時ということは、ほとんどの国での初日は金曜日なのです。日本でも、1990年ころに金曜日封切りにしたことがありましたが、当時は定着しなかったようです。それがまた金曜公開になったのは、「週休2日制が根付いて、金曜夜はゆったり過ごす人が増えてきた。そんな社会環境の変化への対応」と言っています。劇場側からも「金曜夜は映画、という生活リズムを確立したい」という機運が出てきたようです。ただ、金曜封切りとなると、映画初日の“主戦場”は夜の上映になるために、ファミリー向け作品などには適さないとみられ、どうも作品ごとに判断するようです。
生活様式の変化は、いろいろなところに影響するのですね。

偏見

 アメリカで、黒人であるオバマ氏が大統領になると聞いて、違う国のものでもある感慨があります。とくに私の世代は、黒人差別問題が表面に出てきて、それをテーマにした映画の中に名作がたくさん生み出されました。
 その代表作ともいえる作家ハーパー・リーのピュリツァー賞受賞作を映画化した「アラバマ物語」を監督し、アカデミー賞監督賞候補にもなったロバート・マリガン氏が、今月20日、亡くなったことが報道されました。1962年に映画化された「アラバマ物語」は、人種差別が横行する米南部で社会正義を貫こうとする弁護士の姿をグレゴリー・ペック主演で描いた作品です。このグレゴリー・ペック氏は、この作品の10年ほど前に公開された「ローマの休日」でも有名です。彼は、「アラバマ物語」で、主演男優賞を受賞しています。
 不況のドン底だった1932年、アラバマ州メイコムという小さな町に2児の父親で、男やもめで正義感の強い弁護士アティカス・フィンチが住んでいました。彼は、身に覚えのない暴行事件で起訴された黒人トムの弁護を引き受けます。町の人々は黒人に偏見を持ち、黒人などを弁護したらただではすまぬと警告したり、冷たく当たります。アティカスは不正と偏見を嫌い、何よりも正義を重んじる男で、そんな町の人の反応にも脅しに動じない父親の姿を彼の子どもたちは尊敬し、その勇気ある行動を目の当たりにしながら大きく成長してゆきます。しかし、裁判の判決は、被告の無罪を必死に弁護したにもかかわらず、陪審員は有罪と決定します。アティカスには、控訴審で判決をくつがえす自信があったのですが、搬送されていく途中で有罪判決でショックになったトムが脱走してしまい、殺されてしまいます。なんともいえない結末でした。この映画を見たときに、アメリカで行われている陪審員制度に疑問を持ったものでした。もう一つ、偏見の恐ろしさをこの映画は描いています。それは、精神障害から親に家に閉じ込められて引きこもっている隣人に、子どもたちが襲われたときに助けられます。誰がいい人で、誰が悪いひとということに対して、外から見える偏見の恐ろしさも描いていました。
もう一つ、黒人差別と、戸惑いを描いた映画の名作に、1967年に製作された「招かれざる客」があります。
 新聞社を経営し、人種差別と戦ってきて人格者で通っていた父親もとに、娘がお互いの両親の許しを得るため婚約者を連れてきます。白人の娘の彼は、なんと黒人だったのです。彼は、世界的に著名な医師で立派な人格者でした。母親は驚きますが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていきます。しかし、父親は、彼がいくらりっぱな人物であっても、納得できません。それは相手の両親も同じでした。白人と黒人の結婚はタブーであり、これからの二人の人生において、持ち上がるであろう様々な反感や、困難さや軋轢を親は心配するのです。黒人である彼が、反対する自分の父親に向かってこう言います。「古びた信念を唯一最良と頑強に押し通す、そんな世代が死に絶えるまで僕たちは重荷を背負うんだ。自由になれない。僕は黒人としてでなく、人間として生きたいんだ」
最後には、娘の父親は、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認め、こう言います。「これから多くの人たちの反感と嫌悪が君たちを待ち受ける。永久にそれを乗り越えていかねばならん。だが、互いの絆を強くし、決して負けるな!」

ボンド

映画ニュースで、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ピアース・ブロスナンなどがジェームズ・ボンドを演じた007シリーズの22作目にあたる映画「007/クォンタム・オブ・ソラス」の製作発表会見が行われたことが流れていました。ボンド役は、前作と同じダニエル・クレイグだそうです。また22代目ボンドガールに、新人女優のジェマ・アータートンとオルガ・キュリレンコが抜てきされています。
今年は、ボンドシリーズの原作者であるイアン・フレミングの生誕100周年という記念の年です。フレミングは1908年ロンドンに生まれ、自分でも実際に1939年から007も所属するMI6に勤務し、第二次世界大戦中には安全保障調整局のスパイとして活動したそうです。ですから、彼の作品の007シリーズは、それまでの経験から書かれています。シリーズ第1作は、「カジノ・ロワイヤル」で、1964年に遺作となったとなったのは、「黄金の銃をもつ男」です。彼の死後、このシリーズは、公認されたジョン・ガードナーが2代目、更にレイモンド・ベンスンが3代目のボンド作家として書き継いでいます。そのほかの彼の作品には、絵本「チキチキバンバン」があります。この作品はミュージカル映画になっていますが、007シリーズにでも出てきそうな仕掛けのいっぱいある自動車が登場します。
 私は、中学生の頃、東京創元社から出版された「カジノ・ロワイヤル 秘密情報部〇〇七号」を夢中になって読み、そのあと早川書房と交互に続々出されたフレミング原作の007シリーズは全部読みました。
そのあと、ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーが演じた映画が公開されます。「007」は原語で「ダブルオーセブン」ですが、映画では、第1作から第7作まで「ゼロゼロセブン」といわれています。この007シリーズの小説の映画化にあたって、最も映像化に向いているということで6作目の「ドクター・ノオ」が、テレンス・ヤング監督で映画化されたのが1962年でした。そのときのタイトルは、「007は殺しの番号」でした。この映画はとても安上がりに作ったのにもかかわらず、予想以上の大ヒットとなりました。
このときに主役を演じたショーン・コネリーは、フレミングからも不評だったようですが、原作のイメージに一番近いと私は思っています。といっても、他の俳優の作品は見ていないのでわかりませんが。私が見た映画で印象に残っている作品は二つあります。一つは、シリーズ第2作「007 ロシアより愛をこめて」です。この映画は、公開時の邦題は「007危機一発」でした。この中で、初めて色々な装備が施されている「アタッシュケース」が登場します。ほかにも、このシリーズの魅力は、毎回登場するボンドガールですが、この作品に登場したダニエラ・ビアンキには魅了され、その写真を持ち歩いているほどでした。
もう一つの作品は、日本を舞台にした第5作「007は二度死ぬ」です。ボンドガールは、若林映子と浜美枝でした。日本に始めて上陸するときに、「ボンドという名前は、日本では接着剤のことをいう」と聞かされたボンドは、日本語では変な意味でないことを知り安心する場面とか、丹波哲郎扮するドンと秘密の話しをするときに、部屋の周りの障子を全部開け放ち、「こうすれば、近づいてくる怪しい人がすぐにわかる」というせりふで、日本の逆転発想を知り、今でも、それを保育に生かしているほど、これらの映画から影響を受けました。

正史と演義

 最近は、なんとなく映画を見ていなかったのですが、ここ2週続けて映画を見ました。昨日は、ブログで取り上げた「まぼろしの邪馬台国」です。映画は、邪馬台国がどこにあるかということではなく、宮崎康平の夫婦愛を描いています。その映画の中で、宮崎が自分の書庫に妻になる和子を案内します。そして、そこにある書物を次から次に指し示し、盲目になった今、それらを読むことができなくなったことを訴えます。その中で邪馬台国がどこにあるかが記された「魏志倭人伝」は、この書物に書いていると指し示したのが「三国志」でした。
 三国志というと、先週見た映画「レッド・クリフ」のような、曹操・孫権・劉備らが争い合ったことが書かれている書物という印象があります。ですから、魏志倭人伝とはどうも結びつかない気がします。しかし、「魏志倭人伝」の正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」といい、全文で1988(又は2008)文字からなっている書物です。中国の正史「三国志」は、「魏国志」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「蜀国志」15巻、「呉国志」20巻、計65巻から成る書物です。その中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の中に、倭人の条があり、それを「魏志倭人伝」という略称が普通に使われ、特に日本では授業のなかではこの呼び方を使います。
 区別するために、この歴史書である「三国志」を「正史」とか「正史三国志」と呼ぶようになりました。この「正史」とは、王朝が正式に認定した歴史書の事で、中国の西晋代の人陳寿により西暦280年?290年頃に編纂されたものです。映画レッド・クリフで描かれている曹操は、魏書30巻の中で「武帝紀第一」に書かれており、劉備は、蜀書15巻のうち「蜀書三先主伝第二」に書かれ、諸葛亮は、「蜀書五 諸葛亮伝第五」に書かれ、関羽・張飛・趙雲は、「蜀書六 関張馬黄趙伝第六」に書かれ、孫権は、呉書20巻のうち、「呉書二 呉主伝第二」に書かれているという具合です。
 一方、歴史書の「三国志」やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした英雄や、様々な説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって書かれたのが、「三国志演義」です。この講談などから発展して作られた通俗小説である「三国志演義」が、日本では「三国志」として流通しました。これは、何も日本に限ったことではなく、世界中で、「三国志」の世界は「三国志演義」を基として発展を続けていったのです。しかし、この演義は、面白おかしく書いた部分があり、そのために創作された部分も多くあり、史実とは異なる場合も多いようです。また、登場する地名・官職名・武器防具などにも三国時代の時代考証からみておかしいものもあるようです。
日本では、この演義を基にしていくつかの文学作品がかかれました。私が、三国志に夢中になったのは、作家吉川英治が演義を元にして著した小説「三国志」と、これを元にして独自の解釈等を織り交ぜて描かれた、横山光輝による全60巻(文庫版は全30巻)(潮出版社)の歴史漫画です。吉川英治の「三国志」では、諸葛亮の死で終わっていますが、漫画のほうは、蜀が滅亡するまでを描いています。
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 2週続けてみた映画は、奇しくも、ともに「三国志」に関係がありました。

四季

 昨日の東京は、この冬で二度目の大雪に見舞われました。昨日の夕方から舞い始めた雪は、深夜に向けて大雪になり、八王子は、今朝は一面の雪景色でした。と言っても、雪国よりは少ないかもしれませんが。しかし、春が近いだけあって、今日はとても暖かい1日でした。ですから、雪は融けてしまいましたが、そんな日に出かけて、その雪が解けた土の上にこんなものを見つけました。
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「日のあたる 窓の硝子や 福寿草」(永井荷風)
福寿草は春一番新年を祝う花として喜ばれ、福を招く、縁起の良い花として「福寿(幸福と長寿)」の草という意味で「福寿草」と名づけられています。この花を見ていると、春が近づいたことを感じるとともに、もうすぐ寒い冬が終わって、花が咲き乱れる春が来るのだという期待が膨らんできます。毎年、きちんと春が巡ってくるのですね。また、雪解けや花の開く姿から、太陽のありがたさが身にしみます。その当たり前のことの大切さを感じる映画を見てきました。
 その映画は、こんなメッセージで始まります。
「50億年ほど前、巨大な小惑星がまだ若かった地球に衝突したその衝撃は計り知れず、惑星そのものを23.5度も傾けてしまう。しかし、この衝突事故は大惨事となるどころか、我々が知っている「地球」の誕生に重大な役割を果たすこととなった。この傾斜がなければ、今のような驚くほど多様な地形や四季の移ろいもなかっただろう。そして、生命が生息するための完璧な条件も揃わなかったのだ。」
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 この映画は、今話題のネイチャー・ドキュメンタリー映画「アース」です。太陽を道先案内として、北極から赤道直下、南極と舞台を移して行きます。そして陸、海、空などを背景にダイナミックな地球の景観、さらにそこに暮らす動植物たちの驚くべきドラマが、展開して行きます。当然、その奥には、「地球温暖化」に対する警告のメッセージも流れています。
そのメッセージは、やはり話題になった「不都合な真実」と比較されることが多いのですが、アラステア・フォザーギル監督と本作の共同監督を務めた、マーク・リンフィールド監督が、こんなコメントを言っています。「『アース』は必ずしも温暖化を食い止めるために撮った作品ではありませんが、本作を観ることで多くの人たちが、今残っている自然の素晴らしさを再認識し、それについて何か考えてもらえたらいいなと思いますね。『不都合な真実』が「もう、これしか自然が残っていない」という危機を訴える作品なのに対し、「アース」は「まだ、こんなに地球の素晴らしさが残っている!」という前向きな作品。まずは、地球の本当の美しさについて知ってもらうことが大切なのです。」
 私が子どものころ見たウォルト・ディズニーによって1953年に製作されたドキュメンタリー映画「砂漠は生きている」を思い出しました。これは、アメリカ合衆国南西部の砂漠に生きる動物たちの日常を記録した作品で、当時、アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー長編賞を獲得しています。この映画は、濃艶なサボテンの開花を微速度撮影で捉え、砂漠の落日を望んで終わります。
 花の開花は、自然を大切にする心を開かせるようです。