ミュンヘン市における参画の取り組みを、さらに一歩進めて、2012年、子どもたちからの苦情を聞かなければならないという法律ができ、子どもたちにインタビューすることによるアンケートを採ることになったそうです。
「子どもには、それぞれ権利があり、それを活かしてあげるプロセス」を持つものとして捉えますと言います。そこには、日本とは違う「平等」という考え方があります。平等とは、日本では分け与える平等ですが、ヨーロッパでは、権利の平等であり、それは必要なときに等しく受け取ることができる平等だと言います。そして、子どもは正義については、大人以上に厳しい行動を取ることがわかっていると言います。それは、平等についても子ども自身はわかっていると言います。
そして、その2年後再びドイツに行った時に、こちらから参画についての取り組みをしている園をリクエストして、見学をしました。それが、2018年6月21日のブログで紹介されているものです。その時の報告として、次のように書かれてあります。
「参画」は、「ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なもの」として位置づけられています。それは、ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なものとし、ここの社会で、考えを深めながら過ごすため、子どもたちはいろいろな希望を持っていますが、様々な問題に直面するときに、どうすればいいのか?そんなときに道を自ら切り開いていく手伝いを保育者はしていきます。たとえば、状況を話し合ったり、子ども同士で意見交換をしたりします。トラブルにたいしても、和解だけでなく、解決策を見つけていくことが子どもにとっての民主主義なのです。たぶん、この延長線上に「オープン保育」があるのでしょうね。
これまでのドイツ研修報告から見る「参画」を振り返ってみましたが、どうもつまみ食いのような気がして、一度きちんと整理してみたいと思っていました。それは、これからの保育の課題となる気がするからです。そんな時に、書店でロジャー・ハート著「子どもの参画」(萌文社)という本を見つけました。英文では、CHILDREN’S PARTICIPATIONです。ドイツでこの言葉を知った時、園の男性職員は、その発音が気に入ったらしく、何度も発音していました。しかし、この本は、サブタイトルに「コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際」とあるように、特に保育に関するものではありませんが、その理論を学ぶことはできると思います。
この本の発刊にあたって、監修者の一人として木下勇氏が寄稿しています。そこには、最近、「子ども会議」とか「子ども探検隊」など、子どもを巻き込んだ催しが注目されていますが、そこには子どもの参加を謳いっていますが、それが果たして「子どもの参画」なのであろうか、表面的なことではないかと自問しています。日本では、まだ大人には子どもを信じていないところ、一個の人間として見ていないところがあるのではないか、大人が直面している課題についても、子どもにきめ細やかな情報を与えて、一緒に考えるパートナーになっていないのではないか、また環境の改善に身近なところから取り組もうとしても、子どもの参画以前に日本では住民自身の主体的な参画ができていないのではないかという声を聴くことが多いというのです。