切り離せない知識やスキル

様々な場面や文脈において、倫理的な判断を伴うのであり、そうした判断をする際の「指針」が必要になります。例えば、前述のデザイン思考を働かせていくうえでも、態度及び価値観は重要になってきます。デザイン思考のアプローチで問題を考えていくためには、例えば、その解決策が実際にうまくいくのか、ユーザーは何を必要としているか、今考えている解決策が社会的・文化的に適切なものと言えるか、解決策が審美的な観点から訴求力があるものなのか、といった様々な観点から考慮することが求められます。そのためには、ユーザーの視点で考えたり、相手の立場に立って考えるという態度が必要となりますし、社会的・文化的なコンテクストに沿った倫理的な判断が求められる場合もあると考えられます。

以上のように、コンピテンシーを発揮していくうえで、知識やスキルと態度及び価値観とは切り離せないのです。なお、こうした倫理的な判断については特にAIの普及との関係でより重要になってきますが、この点については後で白井氏は説明しています。

いわゆる「21世紀型スキル」においては、伝統的に重視されてきた知識や認知的スキルに加えて、社会・情動的スキルや態度及び価値観の重要性が改めて強調されています。しかしながら、歴史を振り返れば、知識とスキル、態度及び価値観を組み合わせようとする考え方は、決して新しいことではなく、様々な時代や文化においても、そのように考えられています。

日本人にとって最も身近なのが、「知・徳・体」という言葉であり、「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」とも表現されています。文部科学省が作成している学習指導要領の解説によると、「こうした力は、学校教育が長年その育成を目指してきた『生きる力』そのものであり、加速度的に変化する社会にあって『生きる力』の意義を改めて捉え直し、しっかりと発揮できるようにしていくことが重要となる。このため、本項において『生きる力』の育成を掲げ、各学校の創意工夫を生かした特色ある教育活動を通して、児童に確かな学力、豊かな心、健やかな体を育むことを目指すことを示している。なお、本項では(1)から(3)までにわたって、それぞれが確かな学力、豊かな心、健やかな体に対応する中心的な事項を示す項目となっているが、これらは学校教育を通じて、相互に関連し合いながら一体的に実現されるものであることに留意が必要である」としており、「生きる力」の具体的な内実が「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」であり、また、これらが「相互に関連し合いながら一体的に実現される」としています。

「知・徳・体」の一体的育成のような考え方は、「コンピテンシーの育成に向けた包括的なアプローチ」とも重なることになりますが、「徳、智(知)、体」を中核とする「三位一体」型モデルは、日本だけでなく中国や韓国においても共有されています。中国においては、「五育」として、「徳・智・体・群・美」という概念があるそうですが、中国の伝統文化によれば、「徳」が個人の最も重要な美徳と考えられており、それに「智(知識、知性)」と「体(身体的健康、体躯)」が続くものとされているといいます。こうした個々人に関することに加えて、「群(社会・集団における相互作用のスキル)」は集団の一員であることの重要性を示すものであり、また、「美(美学)」は、生徒が美術や音楽をはじめ、様々な文化の鑑賞を奨励するものです。

なぜ重要か

コンピテンシーの概念については、それが単に知識やスキルを獲得するということを超えて、複雑な需要を満たすために知識、スキル、態度及び価値観を統合的に動員していくことです。しかしながら、このことが強調されているということは、裏を返せば、今なお、教育の主目的が知識やスキルの獲得に置かれていて、態度や価値観が二の次とされてきたということでもあろうと白井氏は言います。ここでは、いったん立ち止まって、知識やスキルとの関係で、態度及び価値観がなぜ重要なのかを考えてみようと彼は提案しています。その理由としては、次に述べる2点を指摘しています。

第一に、態度及び価値観を獲得することが、知識やスキルの獲得に影響を与えることです。例えば、学習に対するモティベーションがなければ、知識やスキルの獲得が進まないことは明らかです。また、多様な考え方に対する開かれた考え方を身につけていたり、あるいは自己意識や自己コントロールなどを身につけていれば、その後の知識やスキルの獲得がより順調に進んでいくと考えられます。知識やスキルを効率的に身につけていくためには、これらの態度を早い段階で身につけることが重要となります。

また、態度の獲得は、知識やスキルの「転移」に対しても影響を与えると考えられます。例えば、プラジルのストリート・チルドレンを対象とした研究があります。ストリート・チルドレンたちの多くは、路上で商品を売っている際には基礎的な計算ができているのですが、学校において行われるような数学の間題となるとできなくなるといいます。とりわけ、数学の問題において文脈が与えられていない抽象的な間題の場合には、正答率が極端に低下するといいます。こうした結果からは、同じ計算というスキルにかかわることであるのにもかかわらず、それが用いられる文脈についての認識が異なることで、スキルがうまく発揮されないということになるのです。すなわち、スキルを発揮するための文脈や状況に関する認識の在り方が、耘移に大きな影響を与えるのではないかということが示唆されています。また、態度やふるまい、方略などが、どのような影響をもたらしているかについての文献調査によると、生徒が自分自身の能力についての認識や、将来の成功への期待、活動にどの程度の価値を見出しているかといったことが、モティべーンヨンや粘り強さなどに影響を与え、特に低学力層において学力の向上につながるといいます。

第二に、態度及び価値観は、コンピテンシーを発揮していく際の「指導原理」として機能します。このことは、とりわけAI技術が発達していく中で、特に人間に期待される力でもあるとされています。例えば、批判的思考力を発揮するということは、複数の選択肢について妥当性を評価したり、その中から最適と考えられる選択をするといった認知的プロセスですが、そうした判断は、何らかの基準にしたがって行われることになります。すなわち、様々な場面や文脈において、「何が正しいのか、正しくないのか」、「何が良いことなのか、悪いことなのか」といった倫理的な判断を伴うのであり、そうした判断をする際の「指針」が必要になるのです。

態度とは

ラーニング・コンパスにおいては、態度及び価値観を、「個人や社会、環境に関するウェルビーイングの実現に向けて行う、個人の選択や判断ふるまいや行動に影響を与える主義や信条である」と位置づけています。コンセプト・ノートにおいて示されている定義によると、「価値観」とは、「公私を問わず、人生のあらゆる場面において、意思決定を行うに際して人々が重要だと考えることを下支えする指導原理」のことであり、「一定の判断を行うに際して、何を優先するかとか、改善のためにどうしたらよいのかといったことを決定するもの」です。また、「態度」とは、「価値観や信条によって下支えさえ得るものであり、その人がどのようにふるまうかに影響を与えるもの」であり、「特定の物事や人物に対して積極的または消極的に反応する性向を表すものであり、態度は特定のコンテクストや状況によって変わってくるもの」とされています。

「態度及び価値観」については、似たような意味を表すものとして、各国や国際機関、シンクタンク等が示している学習枠組みであるとか、研究者による研究上での使用に際して様々な用語が用いられています。例えば、affective outcomes(情意的帰結)、aptitude(適性)、attributes(属性)、beliefs(信念)、dispositions(性向)、ethics(倫理)、morality(道徳性)、mindset(考え方)、social and emotional skills(社会・情動的スキル)、soft skills(ソフトスキル)、virtues(美徳)またはcharacter qualities(キャラクターの質)といったものです。ラーニング・コンパスでは「態度及び価値観」という言葉を採用していますが、そもそものプロジェクトの目的が、他の提案を排除して概念や用語の統一を図ることではなく、様々なコンピテンシーの枠組みに対して共通言語と共通理解という大枠を提供するということであるので、これらの表現を必ずしも排除するものでないことには留意することが必要であろうと白井氏は言うのです。

また、価値観についてはそれが問題になる場面や文脈によって捉え方も変わってくるだろうと言います。コンセプト・ノートでは、以下の4つに分類しています。

・個人としての価値観:一人一人が、どのような人間なのか、また、充実した人生を切り拓き、目標を達成していくために、どのようなことを期待するのか、といったことに関するもの。

・対人関係における価値観:人間関係の在り方に影響を与える原則や信条であり、他者に対してどのようにふるまうかとか、対立が生じる場合も含めて、他者との関係にどう対処するのかといったことに関するもの。それぞれの文化を反映するものでもあります。

・社会としての価値観:その文化や社会における優先事項や共通する原理・原則、社会の秩序や組織における生活を形作るような指針を規定するもの。こうした価値観社会や組織における構造や文書、民主的な実践において大切なものとされていたり、あるいは世論において認められているような場合に残り続けるものです。

・人間としての価値観:対人関係における価値観と重なる部分が多い。国連人権宣言やSDGsなどの国際的に合意された文書に示されることが多い。

価値観とは

アジア以外の国においても、例えばバルト三国の一つで、近年、 PISAの結果を伸ばしていることで注目されるエストニアにおいても価値観は重視されており、正直さや思いやり、生命の尊重、正義、人間の尊厳、自他の尊重などの「一般的人間的価値観」と、自由、民主主義、母語や母文化の尊重、文化的多様性、寛容さなどの「社会的価値観」が、カリキュラム上の目標とすべき価値観として位置づけられているそうです。

これらの態度や価値観は、各国のカリキュラム上で取り上げられるだけでなく、国際機関等が策定する公的な文書においても重視されるようになってきているそうです。例えば、国連が定めている国連憲章や世界人権宣言、国連ミレニアム宣言などにおいては、「平等、自由、正義、尊厳、団結、寛容、平和と安全、持続可能な開発」といった価値観が盛り込まれていますし、欧州評議会が策定した「民主的文化のためのコンピテンシー枠組み」においては、「人間の尊厳や人権、文化的多様性、民主主義、正義、公平、平等、法の支配」などの価値観と、「文化的他者や他の信条に対する寛容さ、敬意、市民意識、責任感、自己効力感、曖昧さに対する寛容さ」といった態度が含まれています。

こうした各国のカリキュラムや国際機関が策定する憲章や宣言など各種の公的な文書においては、表現こそ違うとしても、概ね共通して重視されている価値観が見えてくるようです。すなわち、コンセプト・ノートの表現によれば、「人間としての尊厳、敬意、平等、正義、責任感、グローパル意識、文化的多様性、自由、寛容、民主主義」といった価値観です。

これらの態度や価値観は、ウェルビーイングを実現していくうえで重要な役割を果たすことになると言います。例えは、敬意とは、単に他者に対するものに限らず、自分自身を大切に思うことでもあり、文化的多様性を重視したり、環境を守ることにもつながる広い概念ですが、他者の存在や考えを大事にすることは、緊密な人間関係を構築するうえでの前提となります。あるいは、平等や社会的公平にしても、所得の平等は、生徒のウェルビーイングや社会的な信頼、薬物乱用や自殺の減少、より長い寿命、より優れた学習成果などと関連性が見られるようです。

もっとも、様々な「21世紀型スキル」の提案において態度や価値観の側面が重視されていたとはいえ、Education20プロジェクトにおける議論において、当初から態度及び価値観が位置づけられることが決まっていたわけではないそうです。むしろ、当初の段階では、 OECDが策定しようとしていた学習枠組み(後ラーニング・コンパスと呼ばれるもの)の位置づけが定まっていなかったこともあり、一部の国からは、態度や価値観などの要素をコンピテンシーの枠組みに入れることに対する反対論や慎重論も出されていたそうです。その背景にあったのは、態度や価値観は、学校教育ではなく家庭教育の役割であるという認識でした。これに対して伝統的に「知・徳・体」の調和を重視してきた日本や韓国などからは、態度や価値観も教育の重要な要素であるとの意見が主張されたのです。また、折しもフランスにおいてテロが続発していたことなどもあり、仮に幅広い知識や高度なスキルを有しているとしても、それが社会に対して有害な形で行使されることに対する懸念の高まりもありました。また、そもそもラーニング・コンパス自体が、必ずしも学校教育のみを対象とした枠組みではなく家庭教育や生涯学習をも視野に入れた学習枠組みであるとの性格が示されたことから、態度及び価値観をコンピテンシーの要素の一つとすることで合意が得られたのだそうです。

態度・価値観

では、2030年に求められる「態度及び価値観」はどのようなものがあるのでしょうか。既に述べてきたように、コンピテンシーを十分に発揮していくためには、知識とスキルだけでは不十分であると考えられています。例えば、移民の増加に象徴されるように、社会が多様化するにつれて、他者や他の文化に対する敬意や、公平、責任、誠実さなどが、これまで以上に重要になってくるでしょう。こうした側面を強調する動きは、知識やスキル以上の教育を目指そうとする「21世紀型スキル」の動向において、より重視される傾向にあるのは、既に白井氏は言っています。

実際、Education2030の一環として行われた、カリキ、ラムに関する政策質問票調査(PQC)に対する各国の回答によると、多くの国のカリキュラムにおいて、例えば、自分自身や他者、国家、多様性、環境などを大切にする気持ち、共感性、誠実さ、レジリエンスといった要素が教育の目標として挙げられています。また、カリキュラムの中で明示的に示されていないとしても、その国や地域における学校の文化や学習環境における様々な経験を通して、自然に一定の態度や価値観について学んでいくことになります。別の言い方をすれば、学校は.各国・地域の文化やアイデンティティを伝える機能を果たしてきたということだというのです。例えば、「望ましい行動に対する考え方が、どのように伝えられるか」、「生徒と大人の間で、合意形成がどのように行われるか」、「生徒の声が、どのように考慮されるか(あるいは、考慮されないか)」といった、学校における様々な経験・行動を通じて、各国・地域の文化やアイデンティティが継承されてきたと言うのです。

ところで、知識やスキルに加えて、態度や価値観も重要であるという「21世紀型スキル」に典型的に見られる考え方は、日本人からすれば、特段目新しい考え方とは言えないだろうと白井氏は言います。というのも、日本の教育では、伝統的に態度や価値観が重視されてきたからです。教育基本法が「人格の完成」(第1条)を教育の目的に掲げていることからはじまって、そもそも学校教育全体として「知・徳・体」のバランスの取れた育成が重視されています。また、学習指導要領においても、道徳科を中心として教育活動全体において道徳教育を行っていくこととしていますし、また、特別活動においては、他者との関係構築や自身の生き方や在り方について考えるなど、「21世紀型スキル」の特徴とも言える要素は、既にカリキュラムの中に位置づけられているのだというのです。各教科等の授業や学校行事、掃除や給食の時間、部活動などを含めて、学校教育は、日本人の態度や価値観の形成に大きな影響を与える経験として、伝統的に継承されてきたと言うのです。

もちろん、態度や価値観を重視しているのは、日本だけに限ったことではないようです。例えば、シンガポール教育省が示している21世紀型コンピテンシーの枠組みでは、その中心に置かれているのは「中核的価値観」であり、具体的には、他者に対する敬意、責任感、レジリエンス、誠実さ、ケア、調和といった概念が挙げられています。シンガポールの場合には、批判的思考力や創造性などの認知的な側面はもちろん、自己管理や自己意識、社会性、人間関係のマネジメント、責任ある意思決定などの社会・情動的な側面も含めて、一人一人を形作っていくうえでの全ての基盤になるのが、これらの「中核的価値観」とされています。

模倣学習

実用的スキルについて特徴的なのは、これらの多くが、「模倣学習」と呼ばれるような、模倣や観察、繰り返しなどによって身につけられることだと言います。こうしたスキルは、いったん身につけてしまうと、必ずしも意識をして行うということがなくなってきます。これは全く無意識的に行っているということではなく、ーつーつの動作が一連の連続した動作となることで、意識する必要がなくなるということによります。例えば、通常歩いたり走ったりする際には、膝やかかとの動きなどを意識することはありませんが、氷の上であるとか、凸凹した荒れた地面の場合であれば、ーつーつの動作を自然と意識していることは、実際の経験上からもわかることだろうというのです。

こうしたスキルの中には、家庭などの環境において自然に身につくものも多いと考えられますが、そうなると、教育の場面においては、実用的スキルについてどのように考えるかが重要になってきます。この点、コンセプト、ノートでは、「実用的スキルに対する特別な必要性や特定の教育目的を担保すること、また、そのために教育的に介人していく必要性は、状況によって変わってくる」とされています。例えば、文字を書くということについても、アルファベットの場合には、若干の表記の違いがあっても、誤解やスペリングのミス程度と理解されて済むかもしれませんが、日本を含むアジアの諸国の場合には、漢字やひらがな、カタカナ、ハングル文字などについては、それらを書くこと自体に一定のスキルが必要とされ、不誠実な記述は、アルファベットのミスの場合とは違う意味をもつ場合があるというのです。

ここで、少し私は違和感を覚える部分があります。この実用的スキルの特徴が、「模倣学習」と呼ばれるような、模倣や観察にあるとすれば、当然、模倣するためには、その地相が必要ですし、観察による学習もその対象がなければなりません。ですから、これらのスキルが「家庭などの環境において自然に身につくものも多いと考えられますが、」ということは、最近の少子化の進んでいる地域では、困難になってきている気がします。ですから、このスキルを身につけるための教育について、大人からの介入には慎重になるべきだと思います。実用的スキルの多くは、子ども集団の中で生活する中から、お互いに刺激し合って、身につけていく部分が多い気がするのです。

OECDでは、さらに「心身の健康の重要性」を訴えています。前述したように、自殺や肥満などが社会的な問題になっている中で、生徒の健康や心身のウェルピーイングを確保していくことは、世界的に重要な課題です。健康的な習慣や健康に関する知識を身につけるためには、そのための教育を行っていくことが必要だと言います。多くの先行研究によると、若い頃に身につけた習慣は、大人になっても変わらないことを示していることから、早い段階で健康に関する習慣を形成することが重要になるというのです。また、これまでの研究の蓄積により、運動が生徒の心身の健康や認知、学力にもたらす効果が明らかになってきています。例えば、幼児期の基本的な運動スキルの発達や運動協調性、運動や運動能力といったものが、その後の認知作用や学力に影響するといった研究成果も出されているそうです。

実用的スキル

伝統的に、認知的スキルは職業上の成功を決める最も重要な要因であると考えられてきました。しかしながら、社会・情動的スキルは認知的スキルを働かせるための基盤として重要であるというだけでなく、最近の研究によると、特に職業上のステイタスや収人といた要素については、認知的スキル以上に直接的な影響があるといいます。その意味では、将来の職業を決めるうえで、社会・情動的スキルは認知的スキルと同等か、場合によってはそれ以上に重要になり得るだろうと白井氏は言います。こうした新しい研究結果は、最初に述べた、マクレランドによるコンピテンシー概念の提案にも、そしてまた「ソフトスキル」や「非認知スキル」を重視しようとする「21世紀型スキル」の動きにも合致するものとも言えるのではないかというのです。

次に、スキルの第三のカテゴリーが、身体・実用的スキルです。身体・実用的スキルについては、「物理的な道具や一定の手順、機能などを使いこなす力」として定義されています。例えば、新しいICT機器を使ったり、楽器を演奏したり、工作をしたり、スポーツをするなどのマニュアル的なスキルや、自分で服を着たり、食事や飲み物を準備したり、自らを清潔に保つといった生活上のスキル、さらには肉体の強靭さや筋肉の柔秋性、スタミナなどの自分の能力を上手に活用するスキルなどが含まれます。なお、身体的スキルと実用的スキルは、いずれも一定の動作を伴うものであることから、両者は重なりあうものであると考えられています。

コンセプト・ノートにおいては、特に芸術との関係で身体的スキルの重要性が強調されており、これまでの研究においても、音楽や美術に関する活動が、認知的スキルを発達させることにも非常に有効であることがわかっているといいます。すなわち、「芸術分野において身体的な能力を獲得するためには、相当な認知やメタ認知のプロセスが生じる必要がある。芸術が身体的スキルを通じて表現されるものであるとしても、芸術に熟達するためには、認知やメタ認知のプロセスも必要になる」からであるといいます。音楽が得意な子は数学もできると言われることがありますが、実際、芸術的な活動を行うことが認知の改善につながったりするといわれています。

実用的スキルというと、手先の器用さや工作の技能などがイメージされるかもしれませんが、ここでは、幅広いものが想定されています。例えば、服を着る、掃除をする、自らを清潔に保つ、食事の準備をする、書いたものを通じてコミュニケーションを行う、何らかのテクノロジーを使うといった多くの日常的な動作は、いずれも実用的スキルを必要とします。実用的スキルも時代によって変化していくことになるので、現代では、例えば、スマートフォンを使ってテキストでコミュニケーションをとるためには、小さなキーパッドを使ってメッセージを作り、それを送るという形の実用的スキルに熟達することが必要になっています。

社会・情動的スキル

AIに代替されることが困難な仕事として、複雑な社会的関係性が必要となる仕事が挙げられており、とりわけ社会・情動的スキルを身につけることの重要性が強調されています。一例を挙げれば、社会の高齢化が進むことによって、へルスケアに対する需要が増大することが想定されます。当然、それに伴って、へルスケア関連の仕事も増大するでしょうが、それは、単に物理的なお世話をするだけでなく、例えば、気配り(care)や社会性、高齢者に対する敬意(respect)などの社会・情動的スキルを、より一層必要とするようになるだろうといいます。こうしたスキルは、 AIによっては代替が困難なのです。ここであえて付け加えることとして、私は前から言っている「Education & Care」という訳を「教育と養護」としてしまっていましたが、最近はそのままcareを使っているのは、そこには、「世話をする」という意味合いよりも、「気配りする」という意味の方が近いからです。ですから、白井氏は、そう訳しています。

さらに、社会・情動的スキルがより重要になってくる別の理由として、社会の多様性の増大も挙げられると言います。例えば、移民の増加に伴って、学校のクラスや職場など様々な場所において、民族的・文化的・言語的な多様性が増大しています。そうなると、他者への共感性とか、異なる文化に対する敬意とか、自己意識といったスキルがより重要になってくるのです。

その際、社会・情動的スキルを認知的スキルと切り離すのではなく、これらが相互に関係し合っている点に留意することが必要です。例えば、他者視点の獲得という認知的スキルが十分でなければ、他者への共感性といった情動的スキルを育んでいくことは難しくなるだろうと言います。また、例えば、自制心やレジリエンスをもって学習に取り組むほど、より多くの学習成果につながるなど、社会・情動的スキル自体も認知的スキルの発達に密接に関連しています。認知的スキルを育んでいくためにも、例えば、忍耐力、自制心、責任感、好奇心、精神的な安定性などの社会・情動的スキルが重要になってくるというのです。

このことは、社会・情動的スキルのレベルが低い場合には、認知的スキルの発達にも悪影響が生じるということでもあります。実際、「ピッグ・ファイプ」の5要素のうち、特に「誠実性」については、学力など教育面への影響が強く、また、「開放性」については、特に学校への出席状況や選択する教育コースのレベルなどと関係があるといいます。

また、社会・情動的スキルの重要性を示すものとして、コンセプト・ノートにおいても紹介されている事例が、General Educational Development (GED)に関するヘックマンらの分析です。GEDとは、アメリカやカナダにおいて行われている、高校中退者に対して行う試験であり、ライティング、エッセイ、リーディング、数学、理科、社会について、約8時間にわたって行われる試験です。GEDは、一定の学力試験を通った者に対して高校卒業のディプロマを与えることで、その後の大学教育や労働市場への道筋を広げることを企図したものでした。ところが、分析によると、学力的には通常の高校卒業者と同等と考えられるGED合格者の多くが、例えば、根気強さ、自尊感情、自己効力感などの「非認知」に関する能力が低いというのです。実際、大学のドロップアウト率や離婚率の割合が高く、一方では、飲酒や喫煙などのハイリスクの行動をとる傾向が見られるなど、GEDの結果によって、認知に関する側面だけをハイスクール卒業と同等に扱うことの課題が指摘されているのです。

スキルの更新

デジタルやICT関連のスキルは、陳腐化が早いとなると、より重要になってくるのが、個別の新しいスキルを獲得するということよりも、新しいスキルを継続的に獲得し、自らのスキルを常に更新していく力ということになります。Berger & Freyは、「融合的スキル」を身につけさせるようにしていくべきであると指摘しています。ここでいう「融合的スキル」とは、「創造性やアントレプレナーシップ(起業家精神) 、技術的なスキルの組み合わせであって、新たに登場してくる新しい職業へのシフトを可能にするスキル」であって、これから注目される職種の例として、テレピゲームのデザイナーなどが挙げられています。例えば、テレビゲームのデザイナーの仕事をこなしていくうえでは、ゲームの中核となる特徴についてデザインすることはもちろん、ゲームのメカニックから物語の作成、登場人物のキャラクター設定、デザインに関する文書の作成や管理、プロダクション・スタッフに指示したり、共同作業しながら、デザインされたとおりにゲームを作成していく、といった様々なタスクが求められるのです。こうしたタスクを実行していくためには、例えば、デザインやメディア・コミュニケーション、心理学などに関する知識、プログラミングや批判的思考力、複雑な問題を解決する能力などのスキル、知的好奇心や遊び心、情熱などの態度及び価値観といった、まさに複雑で融合的な能力が求められることになるというのです。

次に、第二のカテゴリーが社会・情動的スキルです。社会・情動的スキルは、「非認知スキル、ソフトスキル、性格スキルなどとしても知られ、目標の達成、他者との協働、感情のコントロールなどに関するスキル」です。

社会的スキルと情動的スキルは、以前は別個のものとして捉えられていましたが、概ね1980年代から1990年代にかけて、両者を関連づけて捉えられるようになりました。情動と認知の統合の考え方については、既にピアジェが打ち出していましが、ガードナーが、伝統的に重視されてきた言語や論理数学に関する知能だけでなく、音楽や身体運動、対人関係などに関する様々な知能の重要性を指摘する「多重知能」の考え方を提唱してからは、個人内スキルと対人関係スキルの両面がより統合的に捉えられるようになってきました。私は、これを「心内知性」と「対人知性」という説明をしています。さらに、ゴールマンは、1990年代に入ってから注目を集めるようになった「情動的知能」という概念を打ち出していますが、ここでも、自己意識、自己調整、モティべーション、共感性、社会的スキルという5つの要素が挙げられており、情動的スキルと社会的スキルが統合的に扱われています。この「情動的知能」というのは、「Emotional intelligence」という、日本では、EQ力と言われて広まった「心の知能指数」です。白井氏は、ここでは、「情動的知能」と訳しています。こうした動向も踏まえ、 Education2030プロジェクトにおいては、社会的スキルと情動的スキルを統合的に捉えることとしたのだそうです。

さて、この社会・情動的スキルについても、これからの時代において、より重要になってくると白井氏は考えています。前述のBerger&Freyによると、AIに代替されることが困難な仕事として、複雑な社会的関係性が必要となる仕事が挙げられており、とりわけ社会・情動的スキルを身につけることの重要性が強調されています。

重要なスキル

OECDが行っているPIAAC (国際成人力調査)では、職業人にとって必要と考えられる様々なスキルについての測定を行っていますが、リテラシーなどの認知的スキルやICTスキル、STEMに関するスキルなどに加えて、「学習に対する構え」についても測定しているそうです。PIAACにおける「学習に対する構え」とは、例えば、「新しいアイディアを実生活とどの程度関連づけているか」、「新しい物事に直面した時に既有知識をどの程度関連づけているか」、「難しい物事について、根本まで立ち返って考えているか」といった質問をまとめてインデックスにしたものですが、この「学習に対する構え」の指標が高い場合、認知的スキルの一つであるリテラシーのレベルにかかわらず、積極的な学習への参加が見られるようです。

伝統的に、教育の世界においては認知的スキルが重視されてきましたし、実際リテラシーやニューメラシーなどの認知的スキルは、労働生産性などとの強い関連性も見られるそうです。一方では、こうした「学習に対する構え」など、メタ認知や学習方略に関することは、認知的スキルと並んで、新しい知識を共有したり、蓄積していくうえで必要であるとして、ビジネスの世界においても重視されようになってきているそうです。例えば、ピジネスの国際化が進む中で、グローバル・バリュー・チェーンの構築に向けた国際的な統合を果たしていくうえでも、「学習に対する構え」が重要な役割を果たしているとして、企業活動においても評価されているそうです。

また、AIの時代を迎える中で、こうしたメタ認知に関するスキルは、より重要になってくると考えられています。というのも、AIは特定の分野や領域については圧倒的な知識を有しているとしても、例えば、文脈や主観に基づいた情報を理解することができませんし、また、不確実性があったり、曖味な状態においては、十分に対応することもできないからです。たしかに、 AIは特定のタスクを効率的に実行することはできますし、ある程度であれば、複雑さや不確実さに対応していくこともできると考えられます。しかしながら、例えば、目標や文脈が明確でないような場合には、アルゴリズムがうまく働かず、機能停止に陥ってしまいかねません。その意味では、たとえひとつひとつの判断が完璧なものではないにしても、VUCAな状況においては、AIよりも人間のほうが、より柔軟に対応していくことができると考えられるのです。

様々なデジタル技術が社会に浸透していく中で、デジタル技術やICTに関するスキルはますます重要になってくるだろうと言います。実際、EC (欧州委員会)によると、専門的なデジタル・スキルを有する人材に対する需要は、毎年4%の割合で増加しているといいます。

もっとも、だからといって、デジタル・スキルを身につければ全てが足りるということでもないのは当然であると言います。すなわち、新しいスキルもまた、急速に時代遅れなものとして、陳腐化してしまう傾向があるからです。例えば、ヨーロッパ・職業訓練開発センターの調査によると、フィンランド、ドイツ、ハンガリー、オランダにおいては、労働者の16 %が過去2年間で自分たちのスキルが陳腐化したと認識しているということであり、特にデジタルやICT関連のスキルは、陳腐化が早いとも指摘されています。