軍隊は、敵との心理的距離を広げるための方法としてほかにも、兵士が本来備えている共感力と、暴力に対する嫌悪感を、薬によって弱めることもできます。トロイの木馬からワーテルローの戦いまで、朝鮮戦争からベトナム戦争まで、人を酔わせるものの助けなしに戦った軍隊はほとんどないと言います。ドイツ軍が3500万錠のメタンフエタミン錠(通称クリスタル・メス。攻撃性を引き起こす)を用いなければ、1940年にパリは陥落しなかった、と学者たちは考えているそうです。
また軍隊は、兵士を「訓練」することができます。第二次世界大戦後、アメリカ軍は、他ならぬマーシャル大佐の勧めによって、それを始めました。ベトナム戦争で新兵は、新兵の訓練プログラムであるブートキャンプに放り込まれました。そこでは、仲間意識だけでなく、最も残酷な暴力も賞賛され、声が嗄れるまで「殺せ!殺せ!殺せ!」と叫ぶことを強要されました。第二次世界大戦の退役軍人は、その多くは人の殺し方を習わなかったのですが、この種の訓練の映像を見て衝撃を受けたそうです。
今日、兵士の射撃訓練の標的は、紙に描かれた同心円ではなく、現実味のある人影だそうです。加えて、銃の発砲は自動化され、兵士は考えることなく、条件反射的に発砲するのです。狙撃手の訓練は、さらに過激だそうです。効果が実証された訓練の一つは、訓練生を椅子に縛りつけ、特殊な装置で目を見開かせ、一連のおぞましいビデオを見させるというものだそうです。
わたしたちは、暴力に対する生来の嫌悪感を根絶やしにする方法を、いくつも見つけています。現代の軍隊では、仲間意識はそれほど重要でなくなったというのです。その代わり、あるアメリカの退役軍人の言葉を借りれば、「兵士たちは作り出された(敵への)軽蔑」を備えているとブレグマンは言うのです。
こうした条件づけは成功しました。この技術で訓練された兵士を、旧式の軍隊と戦わせると、必ず後者が粉砕されます。1982年のフォークランド紛争を見てみると、数ではまさっていても、時代遅れのアルゼンチン軍が、訓練を受けてシューティングマシンと化したイギリス軍に勝つ見込みはありませんでした。
アメリカ軍も「射撃率」を高めることに成功し、兵士の発砲率は、朝鮮戦争では55パーセントでしたが、ベトナム戦争では95パーセントに上昇したそうです。しかしこれには代償が伴いました。訓練で何百万という若い兵士を洗脳すると、彼らが心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負って帰還するのは当然だろうとブレグマンは言います。事実、ベトナム戦争後は、多くの兵士がそうなったそうです。数えきれないほどの兵士が、人を殺しただけでなく、彼らの内なる何かも死んだのです。
最後になりますが、敵と容易に距離をとれる人々が存在します。それは指導者です。
高みから命令を下す、軍やテロ組織の指導者は、敵に対する共感を抑圧する必要はありません。そして、興味をそそるのは、兵士は一般に普通の人間ですが、指導者はそうではないことだと言います。テロの専門家や歴史家は、権力者には明らかな心理的特徴がある、と主張しています。アドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッペルスのような戦争犯罪人は、権力に飢えた、偏執的なナルシシストだと言います。アルカイダやISの指導者は、人心操作が巧みなエゴイストで、同情や懐疑といった感情に悩まされることはまれだとブレグマンは言うのです。