どう褒める?

半信半疑のままで、でも世間一般では“良い”と言われているからほめる、やらないといけないのだろうという程度でほめても、十分な効果を期待することはできないと言います。ほめればほめるほど、社員たちのモチベーションは上がるのでしょうか。このような現場の疑問には答えていく必要があると山浦氏は思っていると言います。もし、そんな魔法のような方法があるならば、現場の人たちが苦労することはなかったでしょうし、研究者ももっと他のことに力を注いだはずだと言います。ですから、ここで改めて彼は問うています。「ほめることは、組織で働くリーダーたちにとって役に立つものなのか」と。

山浦氏のプロジェクトチームでは、過去に「部下に対するポジティブ・フィードバックが機能しないとき」という論文を発表したそうです。この問いは、2005年4月25日、西日本旅客鉄道(以下、JR西日本)の福知山線で発生した列車脱線事故がきっかけだったそうです。乗客と運転士を合わせて107名が死亡、562名が負傷したこの列車事故を契機に、JR西日本は2006年に、安全研究所を設立しました。これは、ヒューマンファクター(人間の行動特性)研究の一環として立ち上がったプロジェクトだったそうです。

事故原因は多岐にわたりましたが、その中でも特にマスコミが大きく取り上げるようになったのは、“日勤教育”と名づけられた上司と部下の教育体制でした。日勤教育とは、インシデント(鉄道運転事故が発生するおそれがあるとめられる事象)を発生させた運転士に対する再教育の俗称で、上司の裁量による懲罰的性質の強い教育が行われていたのではないかと指摘されたのです。

JR西日本の場合、これ以降、事故を引き起こす可能性が、教育のあり方やリーダーによる対応にあるとするならば、組織風土を変革しようと取り組みを開始しました。「叱る文化」から「ほめる文化」への変革です。ただ、この組織変革を実現するためには、ほめることがリーダーの“良い”対応であることが示される必要がありました。

では、ほめることは本当に効果的な対応なのでしょうか?この問いに対する答えを導くために、アルバイトとして募った大学生80名を対象に、実験的な方法を用いて実証を試みたそうです。以前に、一部紹介した研究です。大学のある一室を職場に見立てて、実験とは知らない部下役の学生たちにその一室に入ってもらいます。そこでは、初対面の上司(サクラ)と一緒に仕事を行います。上司役は、JR西日本の管理者経験者の方でしたので、実験にリアリティを出すには十分でした。部下の仕事として求められたことは、産官学連携プロジェクトのイベントがあり、そのイベントに参加する来客者の電話対応です。イベント会場までの道順について、安全でわかりやすく説明する仕事です。電話対応の開始前に、上司と部下は、10分間交流をしてもらいました。実は、ここからすでに実験操作が行われていました。

一つの条件〔関係性高群」では、この10分の間に、日常的な会話をしてもらいました。他方の条件「関係性低群〕では、上司には、目の前のパソコンで忙しそうに仕事をするなどして、会話がしにくい状態をつくってもらいました。この実験を行う前の研究検討会などでは、10分程度で関係性(の認知)に明確な違いが本当に出るだろうかという声もあったそうです。

どう褒める?” への4件のコメント

  1. 初めてコメントをさせていただきます。
    先日は、園見学や貴重なお話しの場を設けていただきありがとうございました。
    保育の中で迷った時や困った時、藤森先生のご意見を参考にしたいと思い拝見していました。読んで吸収するだけでなく、自分からも発信してみようと思い、コメントをさせていただいております。内容に関することでなく申し訳ありません。これからも拝見、コメントさせていただきます。

  2. y.hiroさん、コメント仲間が増えて嬉しいです!よろしくお願いします!

    褒めることの有効性については、教育者は皆関心がありますね。現代の若者は叱られ慣れていない、褒められて育っている、などと表現されることがありますが、悲惨な事件や社会情勢によって変化の一途を辿っていることがわかります。そうした変化は、決してマイナス面のみを表出しているわけではないことも理解しています。自己一致を図り、自分を十分に発揮できる人材によって世界で活躍する人たちも増えている印象です。JR西日本の実験結果が気になりますね。

  3. あまりに褒められ過ぎても、本質的に褒めていないと、そこに思いがないとなんとも言えない気持ちになりそうですね。結局は1人の人としてちゃんとみてくれているかということが大切になるのかもしれません。その人のことを思っての助言や賞賛は必ず相手に伝わっていきますね。方法が手段になるのではない関わりを大切にしなければいけないと感じました。 褒めるか、叱るかのようなどちらか一方という考え方はある意味では強引なのかもしれません。それがきっと本質ではあるのでしょうが、しかし、そうだからといってケースバイケースだよねにばかりに縛られてしまっても、広く多くの人に伝わることができなくなってしまいますね。何が言いたいのか分かりにくくなってしまいましたが、これだと言い切ることの大切さも最近は感じます。

  4. 「褒める」「叱る」というのはハラスメントと似ているのかもしれないとふと感じました。受け手となる人にとって、それが受けとめるだけの関係性であったり、意図が伝わらなかったら、その本質は伝わらないように思います。いくら褒められても本人が「褒められた」と思わなければそれは下手をするれば「嫌味」になってしまいます。逆に「叱られ」ても、言われている内容が納得いけば、「変わるきっかけ」になるかもしれません。結局、その人にとって効果のある選択肢を取れるかどうかというは人によって違うのだろうと思います。だからこそ、日頃のコミュニケーションや信頼関係といったものが必要になるのでしょうし、褒めることや叱ることに対しても、結果ばかりではなく、過程を見直したりと、注目する点を察していくことが大切になるのだろうと思います。先日あった「心理的安心」というのはこの部分にあるのだろうと思います。とはいえ、こういった風土を作ることはなかなか難しく、簡単なことではありません。

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