信頼崩壊

調査の結果、信頼崩壊の発端の多くが、相手に対する極めて攻撃的で陰湿、辛辣な言動によることを示していたそうです。例えば、その一つは、「ある日、裏で批判めいたことを言っていたと人づてに聞いた」というものです。それを耳にしてしまった日を境に、関係性が崩壊したという内容は、上司、部下を問わず挙がっているそうです。

ちなみに、これは「ウィンザー効果」と言って、面と向かって批判されるよりも、第三者を通じて悪口を聞く方が、インパクトが強くなることがあるので要注意だと山浦氏は言っています。なぜ、第三者の言葉の方を信じてしまうのか不思議な話です。しかし、私たちが常に相手との関係は大丈夫か、信頼に足る相手かなどと日々探っていることの反映だと考えれば、説明はつきそうだと言います。人の気持ちや関係性は移ろいやすく脆いということなのではないかと言うのです。そして、第三者は、あたかも自分たちを客観的に判定してくれる存在で、その第三者からお墨付きをもらえれば安心し、そうでなければ、またさらに念入りな探索を始めようとするのではないかと言います。このような心理的な作用があるからこそ、ネット通販のレビュー機能が成り立っているのかもしれないと山浦氏は言うのです。いずれにしても、私たちの言葉は、自分が思っているより良くも悪くも影響力があり、思いがけない危険を孕んだものでありそうだと言うのです。

“部下によるミスの隠蔽が発覚して、仕事が危機的な状態に陥った”その日に、信頼関係が崩壊したケースなどもあるそうです。このケースをよく見てみると、ミスだけではなく、それが隠蔽されていたという不誠実さ、その影響は組織レベルで深刻なものだった、という三重奏だったそうです。

つまりミスの隠蔽が、なぜ破壊的なインパクトをもたらすかと言えば、一つは、信頼できそうだと期待を寄せていた矢先に「まさかこの部下が…」「こんなとんでもないミスをしでかして…」、しかも「隠蔽までして…」と、裏切られたショックや失望感、怒り、あるいは相手を信頼しようとしていた自分に対する後悔の念も含んで、いくつものネガティブな感情に襲われるからだと言うのです。そしてまた、これらのネガティブな感情が、「そういう人だったのか」と、その人の人柄や気質に確信を持って帰属するからだと言うのです。

これが仮にたまたまのことで、この状況ならば仕方がないと情状的量の余地を持たせることができるならば、関係崩壊は免れるかもしれないと言います。しかし、一般に、私たちは、その人が長年培ってきたもの、例えば、性格、価値観・道徳観などは、そう簡単に変えられないと山浦氏は考えています。悪いコト、しかもそれが深刻なコトであった場合はとくに、その原因を相手の人柄に帰属させ、「もう、こんな人とは付き合えない!」と思ってしまいやすいと言うのです。安心して付き合える相手だとは思えないからです。

他方、信頼関係崩壊の発端が、上司の場合もあると言います。「取引先との商談があるのに、上司は有給をとって海外旅行に出かけた」「上司が部下である自分の手柄を横取りして会社に報告した」「仕事の責任をすべて部下に押し付けてくる言葉が発せられた」「上司が会議録の改ざんを指示してきた」などです。これらはいずれも、その日、その瞬間に致命的な不信感を部下にもたらしたケースです。ある日、明るみに出た非倫理的な言動や価値観、利己的なふるまい、上司の権力の腐敗に触れてしまったとき、信頼関係は地に堕ちてしまうと言うのです。

関係が悪化

山浦氏は、こんな体験を紹介しています。ある企業で講演を終えた後、参加者から手が挙がり、「すでに終わっている関係のときにはどうすればいいのでしょうか?」と質問されたそうです。彼は、こんな質問があったときに、みなさんなら、どのように答えるのかを聞いています。彼は、それ以来、この質問の答えを求め、研究を続けているそうです。そして、この答えを、次のテーマの中で、明らかにしていきます。

上司と部下の関係性について数多くの研究がなされてきましたが、関係が悪化した場合の対処法についての研究は、まだ道半ばの状態だそうです。多くの人が経験知を頼りに対処してきた、もしくは、対処できなかったかもしれない問題だと言うのです。インターネットで検索してみると、対処法として藁人形のサイトがヒットするくらいですから、なかなか手ごわい話だと言うのです。この質問者と同じ悩みを抱えている方々の立場を想定し、組織心理学の研究で明らかになっていることを、山浦氏は、話していきます。

人間関係が崩壊した職場で、いい仕事などできるわけがありません。なぜなら、仕事は誰かのニーズがあってはじめて生まれ、それに応えようとして営まれるものだからというのです。一定レベルの良好な人問関係が維持されていなければ、より良い成果を期待することはできないと言うのです。データによれば、関係性悪化・崩壊を経験することによって、自分の仕事遂行が低下あるいは、非常に低下したという部下は半数近くを占め、同じ部署の人の仕事に悪い、もしくは非常に悪い影響が及ぶという人は、6割を超えるそうです。

そこで、組織で働く人、特にリーダーの立場にある人が、知っておかなければならないのは、関係性の悪化や崩壊を感じている人たちの心理だと言うのです。それは、以前、明らかにしてきた、不満を抱いている人の心理とは様相が異なると言います。怒りや憤慨の他に、失望や心の傷という、人間のダークサイドの部分が加わるのです。そこで、山浦氏は、人間のダークサイドを十分に認識することができれば、人間関係の質の底上げになるはずだと考えているようです。

まず、山浦氏は、現場の様子を少し共有していきます。信頼を失うのは「あっ」という間です。この「あっ」ということになる決定的な出来事が何であるのかは、人それぞれ思い浮かぶ場面があるでしょうが、はっきりとはその傾向は認識できていないかもしれないと言います。そこで、20代から60代の働く男女を対象に、インターネット調査を行ったそうです。回答者には、上司または部下を1人思い浮かべてもらい、「信頼関係がどのように変化したか」について、信頼の程度を点数で評価し、その推移を回答してもらいました。

調査の結果わかったことは、信頼関係が低下したケースの半数以上が、「出会った頃の信頼関係をしばらく維持していたのに、ある日の出来事を境に、急激に悪化した」という点数の変化だったそうです。さらに多くの場合、一緒に年間の仕事をひと通りやり終えて、お互いの人となりも分かってきた頃に、信頼関係が崩れる出来事が起きていたそうです。

この調査では、信頼関係崩壊の発端となった出来事の内容についても、回答してもらったそうです。信頼崩壊の発端の多くが、相手に対する極めて攻撃的で陰湿、辛辣な言動によることを示していたそうです。

共通する行動

ハーシュマンによれば、強く忠誠心を抱く人ほど、離脱を決意するまでの間に、工夫を凝らして発言を行使すると言います。このような人は、離脱することを心ひそかに、でも確かな選択肢として携えながら発言すると言います。そのような覚悟を持った部下から(離職をちらつかせて)発言されたならば、“ふつうは”上司も組織も動揺し、何らかの対応をせざるを得なくなるはずです。つまり、忠誠は、発言力を増すために必要な行動だというわけです。

このことは、部下の立場にある人が心すべき留意点も教えてくれます。それは、どんなに良い議論を持ちかけたとしても、それが自分自身の売り込みや、自分の立場を有利にしようとする利己的な動機だけをちらつかせるものなら、期待する成果は得られないということだと言うのです。

ハーシュマンは、「発言は『利益の言明」として認識されることもある」と言っているそうです。もし、組織や仲間を思う気持ちがなく、自己利益を守るための発言だと上司に認識された場合には、上司に対する心証は悪くなり、上司が期待するような結果に至らなくなります。発言・議論が意味を持って上司に聞き届けられるのは、自分のためであることに加えて、仲間や同じ境遇にある人への苦しみの排除のためにもなることが、意識されているときだというのです。特に、パワー動機の強い上司の場合には、部下の利己的な動機に刺激されて、悪影響を生じさせやすくなるので要注意だと山浦氏は言うのです。

上司にしても、忠誠心のある部下から意見されたら、ふつうはそれなりの認識と対応をすべきところです。ところが、事態を適切に捉えられない上司は、組織が衰退に向かうようなことをすると言うのです。

「黙殺(発言を無視する)」「惰性(ルーティン・ワークをあてがう)」、そして「排除(組織から追い出す)」です。管理職者層は、組織の衰退に直面したときに、これら3つの行動パターンを示すと言います。山浦氏は、「部下の想いを十分に理解せず、善処どころかこれら3つの行動をとっていることはないでしょうか。」と言っています。

上司は、部下がどのような戦略を用いているかを見聞きするだけで、その部下の特徴、例えば、組織や仕事に対する部下の認識や信念、目標を知ることができると言います。また、自分のリーダーシップのスタイルが、部下にどう見られているのかも推測できると言います。このような内省する力は、組織が衰退に向かうことを食い止めるために必要な自助努力だと言うのです。優れたリーダーに求められることは、ふつうは認識できる感覚を持って、リスクを負って発言しなければならなかった部下たちの心情を、推し量ることだと山浦氏は言うのです。

「権力」についての重要ポイントを最後に山浦氏は挙げています。

1.「立場が人をつくる」という言葉があるが、悪い意味でもその通りで、権力を持つほど、人は自己利益に走りやすくなり、相手の立場でものを見ることが難しくなる。2. 自己利益に走るほど、メンバーからの信頼を失うので、リーダーには「内省する力」が求められる。それは、他人からどの程度信頼されているか認識する力である。3.リーダーは、自分に対するメンバーの影響力行使の仕方を目をそむけずに見ることで、内省する機会が得られる。4.メンバーがハードな方法で意見を主張するときほど、リーダーの信頼が低下しているので要注意だ。

戦略を選ぶ

どの戦略を使おうか——その決め手になる要因は、山浦氏はいくつかあると言います。一般的には、人は自分の言動によってどんな結果になるか、その効果を予測した上で、一番効果があり、かつ自分が実行できる範囲内にある影響戦略を選びます。とくに重要なのは、相手(上司)が誰か、どんなタイプの人か、ではないかと言います。独裁・専制的な上司と、チームワーク重視の配慮的な上司を想像すれば、わかりやすいはずだと言います。

独裁・専制的な上司から納得のいかない指示をされたら、ただ黙って従ってしまいがちです。要求をする際も控えめに、上司のご機嫌を損ねないようにと、必要以上に神経が使われます。一方、民主的な上司であれば、自分が納得いくように説明を求め、自分の仕事の状況もわかってもらおうとするでしょう。

前に山浦氏が話しした、社会的な資源交換関係(資源交換を頻繁かつ十分に行っていて、相互に信頼し合った関係性)にある上司に対する場合もこれと同様で、部下は合理的な説明をし、納期や協力体制の相談や、代替の提案をするなどして解決を試みる傾向にあると言います。

他には、何があなたの言動の選択を左右しているでしょうか。例えば、タスク(要求の内容)によっても、私たちは影響戦略を使い分けていると言います。仕事の改善案や商品企画や予算を思い通りに承認してもらおうとするときや、自分の希望するプロジェクトに志願し、アピールするときなど、組織的な目標やそれにかかわる要求の場合には、客観的なデータを含めながら、ロジカルに説得しようと試みます。これを、「合理性の戦略」と言います。

あるいは、同志を募り、その総意として直訴する可能性が高いのです。これを「結託性の戦略」と言います。他方、育児やその他の家庭の事情で、個人的な配慮をお願いしなければならないときにはどうでしょう。和やかな雰囲気のときに、下手に出ながら話をもちかける傾向が強くなります。これを、「迎合性の戦略」と言います。

おもしろいのは、多くの人は、仕事の場面においては、合理性の戦略が最も効果的であると認識していますし、研究上でもその効果は認められているそうです。そうであるにもかかわらず、仕事上のさまざまな要因を考慮して、正論だけで押し通すわけではないと言うのです。ときに相手を慮り、可能な限りことを荒立てずに解決しようとして、影響戦略を調整していると言います。逆に、性質がまったく異なる戦略がとられることもあると言います。いわゆる、倍返しや謀反と呼ばれるのがそれだと言うのです。要求を通そうとする思いが高まるほど、いわゆるハードな戦略を選択するようになるそうです。不満に思うことが繰り返されたり、提案書や改善案に対して十分な説明がないまま、いつまでも聞き届けられなかったり、明らかに不当な扱いを受けたときなどです。ここまでくると、部下にとっては、会社人生を賭けた闘いそのものだと山浦氏は言うのです。

組織に属する人には、3つのオプションがあると言ったのは、政治経済学者のハーシュマンだそうです。「離脱(組織のメンパーであることをやめること)」「発言(組織のメンバーとして声をあげて、組織を改善に向かわせること)」、そして「忠誠(組織への関わりの程度を強めること)」の3つです。

相手の立場

設定した2つの条件の一つ〔パワー保持高群〕の大学生には、「思い通りに他人を動かした経験」や「他人を評価したときの経験」を書き出してもらい、もう一方の〔パワー保持低群〕の大学生には、「他人の意思で行動させられた経験」や「他人から評価された経験」を書き出してもらいました。この後、各条件に割り当てられた人たちは、自分の額に、マジックベンで「E」の文字を、できるだけ素早く書くように伝えられます。

実は、この実験で見たかったのは、「Eの文字の向き」でした。〔パワー保持低群〕では、相手から見てEと読めるように書く傾向にありました。ところが、〔パワー保持高群〕では、自分の視点でEの文字を書く傾向、すなわち、相手から見ると逆に書かれた状態が顕著に表れたのでした。

このことを受けて、ガリンスキー教授たちは、「権力を手にした人は、相手の立場でものを見て考えることが難しくなる」と結論づけたそうです。上司たる者、地位に見合った風格や品格を備えていれば理想的なのですが、現実にはそうではないケースもあります。しかも、この実験が示唆するように、本人はほとんど意識をせずに、不親切にもの文字を逆に書いてしまっていることが多いと言うのです。

気づいてほしい人が、最も自分の悪行に気づかないままでいる様子を表しているように思える内容です。そして、企業やスポーツチームにおける権力の腐敗が、特定の上司一人の問題で済むことはなく、組織全体のマネジメントに反映されるのが常であり、それは不祥事となっていくつも明るみに出ています。正論が正論としてすんなりと通る倫理的な感覚は、人間のちょっとした利己的な心理、個人のレベルから綻び始めて崩れていくのかもしれないと山浦氏は考えているのです。

リーダーが権力の腐敗にのみこまれないようにするためにできることはないのでしょうか。組織心理学では、部下が上司に要求するときに用いる方法を、「(上方向への)影響戦略」と呼んでいるそうです。部下の影響戦略を見ることで、上司は自分が部下からどのように見られているのか、内省することができると言います。そして、この影響戦略は、9種類に整理されているそうです。

1.合理性:事実にもとづく証拠や専門的な情報を示して、論理的に説明する。2.情熱性:熱意を込めて、相手の価値観や理想に訴えかける。3.相談性:意思決定や計画立案への参加、あるいは支援やアドバイスを求めたりする。4.迎合性:上司の機嫌を伺い、意見に同調する“偽の民主主義”的なふるまい。5.交換性:承諾してくれたら次は必ず援助すると約東する。昔の恩を思い出させる。6.個人性:要求する前に、個人的な関わりを持ち出して依頼する。7.より上の権威性:より高い権威者の支持、ルールや慣習などを盾にして訴える。8.主張性:従うべきルールを指摘し、繰り返し要求する。ときには脅しや圧力を含む。9.結託性:同僚や自分の部下の指示を取り付けて訴える。の9種類です。

例えば、1は合理的な戦略で、2は情緒面をより重視した戦略だと言います。並び順の数字が小さいものはソフトな影響戦略、数字が大きいものほどハードな影響戦略です。部下は上司と良好な人間関係を築けていると思えば、自分の要求を通そうとする際に、合理性や情熱性をもって上司に訴えかけるのではないかというのです。しかし、部下が7あるいは8や9のハードな影響戦略でもって、上司に要求をしてくるようであれば、上司と部下の関係はかなり危険な状態だと言います。部下から信用されていないと認識すべき関係性と言えるのではないかと言うのです。

上司の本性

「パワー動機」が強い上司は、部下のアイデアに耳を傾けてそれを真剣に受け止めることもなく、せっかく自ら課題に取り組もうとしている部下がいても、その彼、彼女を育てようともしません。山浦氏は、「あなたの上司は、どんなふるまいをしていますか。」と聞いています。さらに、「上司が強いプレッシャーを受けているとき、どんな仕事ぶり、采配ぶりですか。部下に何と言いますか。」それが、あなたの上司の本性だと彼は言うのです。

このような上司という権力を持った人間の心理を踏まえたならば、正論が忌み嫌われることがありそうだと言います。自分は正しく、自分で何もかも把握してコントロールしたがる上司を説き伏せるだけの資料を持って、あなたが話をしに訪れたとします。そのとき、このパワー動機の強いタイプの上司は、あなたが自分のことをコントロールしたがっている(パワー動機の強い部下だ)と錯誤してしまうでしょう。どんなに正論であっても、あるいは正論であるがゆえに、上司から煙たがられたりする可能性があることは、知っておいて損はないと言います。

権力の行使に夢中になってしまうリーダーの習性を、脳科学で検証した研究があるそうです。権力が自分の手中にあると感じているリーダーは、優秀なサブリーダーに対して、頻繁に指示を出し、難しい課題を与え、圧力をかけることで権力を行使し、成果に対する貢献度を低く評価することが明らかになっているそうです。社会心理学者のデービッド・キプニスたちは、この現象に「権力の腐敗」と名づけ、権力者たちが堕落していく姿だとしました。

人の行動は、脳の中にある以下の2つの神経システム(神経系)によって制御されていると考えられています。その一つは、行動抑制システムです。これには、悪ことを避けようとしたり進行中の行動を抑制したりする働きがあります。もう一つは、行動接近システムです。これには、報酬や目標に向かって行動を促進させる働きがあります。通常、2つの神経システムは均衡しているのですが、「権力の腐敗」が起きている際には、バランスが崩れているようだと言います。「権力の腐敗」が起こっているときには、「行動接近システム」が優位になるため、通常よりも報酬や目標に向かって行動すると考えられているそうです。言うまでもなく、ここで言うリーダーの報酬や目標とは、権力を行使し続けることなのです。

権力を手にすると、人はなぜこのように相手をコントロールしようとし、残虐な行為にまで及ふようになるのでしょうか。それは、相手の立場や感情を読むことが十分にできなくなるからだと言います。コロンビア大学ビジネススクールのガリンスキーらは、このことを示すために、ユニークな実験を行っているそうです。

まず大学生を集めて、〔パワー保持高群〕と〔パワー保持低群〕の2つの条件を設定しました。〔パワー保持高群〕の大学生には、「思い通りに他人を動かした経験」や「他人を評価したときの経験」を書き出してもらいました。書き出すことで、自分自身が力を有している感覚を高めてもらったのです。

一方、〔パワー保持低群〕の大学生には、「他人の意思で行動させられた経験」や「他人から評価された経験」を書き出してもらいました。彼らは、自分はさほど力を持っていないと連想させるための誘導でした。ここまでで、条件設定は完了です。

地位が人をつくる

山浦氏は、権力を持ったときの人間心理を学び、リーダーのポジションにいる人が、チームの人間関係を良好に保ちながら成果をあげるために、権力とどう付き合うべきか、考察していきます。まず、「地位は、人の倫理観をも変える」についてです。

地位が人をつくることは、広く知られていることです。このことを実証した、1971年に行われた、心理学者のジンバルドーたちによる「スタンフォード監獄実験」は有名な話です。ジンバルドーたちは、大学の地下室を実験用の刑務所に改造して、非常に大がかりな実験を試みました。

新聞広告などを使って、心身ともに健康で善良なアメリカ市民を募集。彼らをランダムに囚人役と看守役に分けました。囚人役は、胸と背中に囚人番号が記された囚人服を着用し、看守役には、制服や警棒、匿名性を高めるためのサングラスが渡されました。権力の差を強く感じるような服を着用した彼らに、実験用の刑務所の中で、それぞれの役割を演じさせたのです。その結果、初日こそ看守役は自分たちの役割に戸惑いを見せていたものの、数日で威圧的な振る舞いや、精神的な虐待をするようになり、囚人役もまた囚人らしい言動を見せるようになっていったのです。

この実験によって、人間はいかに置かれた環境によって形づくられるのか、役割を付与されて強い権力を得た人間がいかに倫理観を崩壊させ、非人道的な悪魔のような存在に化していくのかを、私たちは知ることになったのでした。ジンバルドーの著書『ルシファー・エフェクトふつうの人が悪魔に変わるとき」(海と月社)や映画『es(エス)』は、このスタンフォード監獄実験を題材にしているので、詳しく知りたい人に、山浦氏はすすめています。私も見たことはありますが、あまりにも残酷な変わり方で、最後まで直視することができませんでした。権力を握ること、特に長く握ることは、これほど人を変えてしまうのだということがよくわかります。

組織心理学の研究が明らかにしていることは、地位やそれに伴う権力を手にした人の多くが、「他人をコントロールする権力を失わないように努める」「部下か利己的に動くのは嫌うが、自分自身は、地位を揺るがされるような事態に敏感で、自己利益に走る」という傾向にあることです。

部下は、職場での上司の様子を一部始終傍で見ているわけですから、部下たちに言うことと、上司自身がやっていることが乖離していると認識してもいますし、思いやりに欠けたふるまいだとも感じています。人が権力を持つと、もともとのパーソナリティに沿って、その権力を用いようとすると言われているそうです。権力への欲求が強い人は利己的に、反対に慈悲深い性格の人は自分の権力を利他的な対応に使うのだそうです。

例えば、「パワー動機」が強い上司は、自分と同じようにパワー動機が強そうな部下を冷たくあしらう傾向にあるそうです。パワー動機とは、地位や能力の面で、他の人よりも優れていたいとか、価値あるものを誰よりも先に自分が手にしたいと思う欲求のことです。

上司との関係性

紹介した実験結果のうち、興味深い点について、山浦氏は、少し補足しています。

もし、部下との関係性が良好でも、(自他ともに認めるほどに)がんばっている部下をほめないでいるとどうなるのでしょうか?自分なりに工夫を重ねて仕事をしている部下に上司が何のフィードバックも与えないでいた条件では、部下は「暗黙の叱責を受けている」と感じていたのです。上司と疎遠な関係性にある部下の方が、暗黙裡に叱責されているという感覚が高まりやすい傾向にありましたが、上司と良好な関係性にある部下も程度の差こそあれ、同様のことを感じていたのです。

「上司とはうまくいっている(はず)、そして今、自分は自分なりに考えを重ねて仕事にあたっているけれど、上司は何一つほめることはない」このように、良好な関係にある上司から、今回の仕事については何の労いも、前向きな言葉もなかったという部下は、ひと言のフィードバックをもらった部下と比べて、統計的に有意に叱責されていると暗黙のうちに感じていたのです。

この実験は、上司と部下が出会って間もない関係性初期のころを模したものなので、そうであるならば、新入社員の期間には、とくに意識して対応したいところだと山浦氏は言うのです。心しておきたいことは、疎遠な間柄だから言わない、良好な間柄だから言わなくても伝わっている、ではないということだというのです。人を前向きにする言葉は大切だからこそ、惜しみなく確実に届けたいものだと言うのです。

最後に、「隠れた不満」に関して、重要ポイントを整理して挙げています。「ほとんどの組織では、不満が隠蔽される傾向にある」「ただし、不満は“やる気”の裏返しであり、チームが変化するチャンスでもある。不満をいかに有効活用できるかが、リーダーの力量である」「不満を有効活用するためにできることは、大きく2つあり、一つは『組織のメンバーがリスクをとって不満を表明しても大丈夫だ』と思えるような環境をつくること。もう一つは、ほめることで、メンバーのモチベーションを向上させること」「ほめ言葉は金銭報酬にも匹敵すると考えられる。ただし、的外れなほめ言葉や、関係を構築できていない相手にほめ言葉を使うと効果は出ず、むしろ逆効果を招く」などを挙げています。

次に山浦氏が組織に蔓延するネガティブな関係として挙げているのが、「権力」です。リーダーにとって「権力とどのように付き合うか」は、非常に重要な問題だと言います。リーダーが権力を誇示したり、威圧的な態度をとれば、その瞬間は、成果を挙げることができるかもしれませんが、信頼は崩れ、長期的に見ればチームのパフォーマンスが低下すると言います。

実は、心理学や脳科学のいくつかの研究は、権力を持った人が組織の利益にならないネガティブな行動をとってしまうことを明らかにしているそうです。「立場が人をつくる」とは、責任のある地位につくことで、人が成長するという意味の言葉ですが、良いことばかりではなく、権力という強い武器を急に持ってしまっただけで、それを振りかざしてしまうのが、人間の本質なのかもしれないと山浦氏は言うのです。そうであるならば、そうならないために対処法を知って、メンバーからの信頼を失わないような行動をとれるように準備をしなければならないと言うのです。

上司からの対応

ポジティブな効果をもたらす2つの条件の2つ目は、「良好な人間関係」です。部下の責任感を高めたのは、「上司との人間関係」が良好な状態で形成されていたときだったそうです。上司がほめどころをほめると、部下の責任感は確かに高まっていきました。世間一般で言われている通り、ほめることは“良い”ことです。しかし、非常に重要で注意しなければならないのは、このほめ言葉のポジティブな効果は、そもそもの人間関係が良好に築かれているときに限った話だということでした。この実験の結果で言えば、出会ってすぐの10分間で形成された関係性が、その後の仕事に対する取り組みの姿勢をポジティブな方向へと変容させたことが、それにあたります。しかも、1回目にほめたときよりも、2回目にほめたときにはさらに資任を持って、手を抜かずに取り組もうという意識が高まったのです。

ところが、上司との関係性が十分に築かれていなかったときには、同じ言葉でほめたにもかかわらず、部下の責任感は初期値よりも低下し、その状態が維持されたのです。つまり、そもそもの人間関係が整っていないところでほめたとしても、ポジテイプな効果を持たないどころか、仇になることすらありうるということです。部下にしてみると、仕事を始める前の上司の対応や雰囲気からすると、ほめられているとは思っていなかったのではないかと山浦氏は考えています。

この結果は、上司からの想定外の対応に対して、部下が戸惑いを感じ、また上司の真意に対して疑念を持つことになったことによると、彼は考えています。この研究で明らかになったことを山浦氏は次のようにまとめています。

「ほめどころをほめることで、部下の責任感やモチベーションを高められる。」「人間関係の豊かな土壌がないところでどんなに美辞麗句を並べても、相手の心には響かない。」です。

山浦氏は、職場の中で、関係性が良好だと思える部下、あるいは後輩を思い浮かべてみてくださいと言います。あるいは、上司と比較的うまくいっているというならば、その上司を思い浮かべてくださいと言います。そして、「最近、あなたは職場でその人をほめましたか?」、あるいは「ほめられましたか?」と問うています。

さらに彼は、部下から時間をかけて練り上げられた企画書や試作品があがってきたとき、「それを見たあなたは、どのようなコメントを返しましたか?」、あるいは「上司からどのようなコメントが返ってきましたか?」と問うています。もしかしたら、次の指示が飛んできただけで、労いのひと言もなかったかもしれないと言います。「職場でほめられることはないよなぁ…」という状態が、“ふつう”になってしまっているようにすら感じることがあるのではないかと言います。

上司の立場にある人は、「言わなくても私が“良い”と思っていることくらいは、長い付き合いの中だから、雰囲気で伝わっているだろう」「悪いことは、早く伝えておかないと大変なことになる。でも、ほめるのは、この仕事がひと区切りになったときでいいだろう」と考えているうちに、結局は伝えそびれてしまったということはないでしょうか。

ポジティブな効果

ほめることは本当に効果的な対応なのかというこの実験が失敗すれば、現場の人たちの疑問に答えられなくなる肝心の部分でしたが、10分程度の実験でわかるのかという疑問があったそうですが、すべての実験を終えて行った分析の結果、〔関係性高群〕では、低群に比べて上司を信頼している(この上司となら一緒にやっていけそう、信頼できる等の認知・評価をしている)という結果が出て、関係者一同ほっとしたそうです。

さらに、10分間の上司と部下の交流を終えたら、電話対応を始める前に、部下には以下の目標を持ってもらいました。一つの条件〔基本目標の条件〕では、マニュアルに書かれた内容(電話対応のマナー)を遵守し、ミスを避けて安全確保を強く意識した道案内を電話で対応するようにと伝えられました。もう一つの条件〔工夫目標の条件〕では、相手に配慮してわかりやすい説明を心掛け、サービスの質向上に向けた工夫ある電話対応をするようにと伝えられました。

ここまでで、上司との関係性(高、低)と部下の目標(基本、工夫)の4条件ができ上がりました。そして、今後同様のイベント運営を行うときの参考資料にするというカモフラージュをして、上司との関係性(信頼できそうな人かどうか等)や印象評価、仕事に対する部下のモチベーション(仕事に対する責任感)などについても答えてもらいました〔初期値の測定〕。

記入後しばらくしたところで、外部(この人もサクラです)から電話がかかってきて、いよいよ対応本番です。部下が対応している間、上司はそばにいます。部下からすると、なかなか緊張する状況1回目の電話対応が終わった後、ほめの操作を行いました。〔ほめ条件〕では、上司は、「今、工夫して説明していて、よかったよ!」というひと言をフィードバックしました。〔ほめなし条件〕では、上司はとくに何も言わないままでした。

このフィードバック時間を見計らって、2回目のアンケート調査への記入を求めました。この後、同様の電話対応とフィードバック操作をもう1回繰り返して、実験を終了しました。

実験の結果です。ほめることは、ポジティブな効果をもたらしてくれるのか。答えはYESでした。ただし、それは限定的なもので、2つの条件を満たさなければポジティブな効果を得られないということもわかりました。部下のモチベーション(仕事に対する責任感)に対する効果については特に、とても興味深い結果が得られたそうです。

その1つ目は、「ほめどころ」です。部下の責任感を高めたのは、上司が、ほめどころをほめたときでした。「工夫目標」を設定し、意識することが求められた部下たちに、上司が「工夫して、よかったよ!」とフィードバックしたとき、次の仕事も手を抜かず責任をもって努めようという意識が高まったのでした。一方、「基本目標」を持って取り組んだ部下の場合、上司から「工夫していて、よかったよ!」と言われても、責任感の得点は変動しなかったそうです。言葉の上ではほめていても、部下にとってその意味や意図は、きっとピント外れに響いたに違いありません。つまり、より前向きな職務態度を育てる上で、ほめどころを見つけて、それに即した前向きな言葉を伝えることは重要なポイントではないかと山浦氏は言うのです。