理性的な決断

わたしたちは日々、理性的な議論や証拠を使用し、法とルールと同意に基づく社会を築いています。人間は、自分が思っているよりはるかに上手に考えます。理性の力は、わたしたちの感情的な性質を覆う薄い膜ではなく、わたしたちが何者であり、何が人間を人間にしているかを語る本質的な特徴なのだと言います。

ブレグマンは、刑務所に関するノルウェーの構想を振り返っています。それは直観に反するように思えますが、理性を働かせて再犯率を調べてみると、犯罪者を扱う優れた方法であることがわかると言います。あるいは、ネルソン・マンデラの政治倫理を思い出しています。彼は常に、口を閉ざし、感情を抑え、明敏かつ分析的であり続けました。マンデラは、優しいだけでなく鋭敏でもありました。他人を信頼することは、感情に基づく決断であると同時に、理性的な決断でもあるのだとブレグマンは言うのです。

当然ながら、他の人を理解するために、その人に同意する必要はありません。ファシスト、テロリスト、あるいは『ラブ・アクチュアリー』のファンが、どう考えているかは、ファシスト、テロリスト、あるいは感傷的な映画のファンにならなくても理解できると言います。そして、ブレグマンは、自分は、その最後のグループの誇り高い一員であることを言っています。他者を理性のレベルで理解するのは一つのスキルだと言います。それは、鍛えることのできる筋肉です。

理性の力がとりわけ必要とされるのは、感じのいい人でいたいという欲求を抑制する時だと言います。わたしたちの社交的本能は、時として、真実と公正さの妨げになります。そこで、ブレグマンは、考えてみようと呼びかけています。わたしたちは、誰かが不当な扱いを受けているのを見ても、面倒な人間だと思われたくなくて、口をつぐむことはないでしょうか。平穏さを保つために、言いたいことを飲み込むことはないでしょうか。権利のために闘う人々を非難したことはないでしょうか。

このことは、ブレグマンは、このテーマを考える上で抱える、大きなパラドクスだと思っています。人間は社会的な動物になるために、進化してきたと彼は論じていますが、時として、その社会性が障害になることがあると言います。歴史が語るのは、進歩はしばしば、ビュートゾルフのヨス・デ・ブロークやアゴラのシェフ・ドラムメンのように、他の人から見たら、偉そうな、あるいは不親切に思える人々から始まるということです。彼らは、公の場で堂々と自説を主張できる、ずぶとい神経の持ち主だと言います。あなたを不安にさせる不愉快な話題を持ち出す人々だとも言います。

このような人々を大切にしようと言います。彼らこそ、進歩の鍵なのです。

そして、6条は、「他の人々が自らを愛するように、あなたも自らを愛そう」です。

2014年7月17日、マレーシア航空のポーイング777型機が、ウクライナのクラボヴォ村の外れに墜落しました。乗客と乗員は298名で、うち193名はオランダ人でした。親ロシア分離主義者が撃墜したのです。生存者はいませんでした。ブレグマンが、そのニュースを初めて聞いた時、298名が亡くなったことは、実感を伴いませんでしたが、その後、オランダの新聞を読んで、みぞおちを殴られたような衝撃を感じたそうです。