共感と思いやり

リカールとの次のセッションでは、シンガーは別のことを試みました。彼女は再びルーマニアの孤児について、考えることを求めましたが、今回は、孤児の境遇に身を置いて、孤児と共に感じるのではなく、リカールが長年磨き上げてきたスキルを用いて、孤児のために感じることを求めました。リカールは、孤児たちの苦悩を共有するのではなく、彼らへの優しさ、気遣い、思いやりを呼び起こすことに気持ちを集中させたのです。彼らの苦悩を自分も経験するのではなく、それとの間に距離を置いたのです。

モニターを見ていたシンガーには、すぐに違いが分かりました。リカールの脳では、以前とは異なる部分が明るくなったのです。前回は前島が光りましたが、今、光っているのは、線条体と眼窩前頭皮質だったのです。

何が起きたのでしょうか?リカールの新しい精神活動は、わたしたちが「思いやり」と呼ぶものです。共感と違って思いやりは、エネルギーを搾りとりません。事実、前回に比べて、リカールは、はるかに気分が良かったのです。なぜなら、思いやりは、よりコントロールしやすく、客観的で、建設的だからです。思いやりは、他者の苦悩を共有することではなく、それを理解し、行動するのに役立ちます。それだけでなく、思いやりは、わたしたちにエネルギーを注入します。それは他者を助けるために必要なものなのです。

他の例としては、たとえば、あなたの子どもが暗闇を怖がっているとします。この場合、共感とは、子どもと一緒に、部屋の隅にしゃがみ込み、声をひそめて話すことです。一方、思いやりとは、子どもを落ち着かせ、怖がる必要はないとなだめることです。当然、あなたはそうするでしょう。

では、わたしたちは皆、マチウ・リカールに倣って暝想を始めるべきなのでしょうか?最初、ブレグマンは瞑想にニューエイジっぽいイメージを持っていたそうですが、実のところ、瞑想によって思いやりを鍛錬できるという、科学的証拠がいくつかあるそうです。脳は鍛えることのできる器官なのです。そして、運動で体形を維持できるのであれば、心に対しても同じことをしてみてはどうだろかとブレグマンは提案しています。

第5条は、「他人を理解するよう努めよう。たとえその人に同意できなくても」です。

正直に言うと、ブレグマンは、瞑想に挑戦しましたが、今のところ、あまりうまくいっていないと言います。どういうわけか、eメールやツィートに邪魔されたり、トランポリンで遊ぶヤギの動画に、気をとられたりすると言うのです。それに、彼は、「五万時間の瞑想だって?申し訳ないが、わたしにも生活がある」というのです。

幸い、ズームアウトする方法は他にもあると言います。それは18世紀の啓蒙哲学者が選択した方法、すなわち、理性、あるいは知性を働かせるのです。物事を合理的に理解する能力は、脳のさまざまな領域を動員する心理プロセスです。理性によって何かを理解しようとすると、前頭前皮質が活性化します。それは、額のすぐ後ろにある領域で、人間のものは動物の中で例外的に大きいのです。

もっとも、この皮質が重大な過ちを犯すことを示す研究は、無数にあるそうです。人間は常に理性的なわけではなく、冷静でもないことを、それらは語っています。しかし、ブレグマンは、そうした報告を過大評価すべきではないと考えていると言います。