妬みと健康

ここで、山浦氏は、妬みを抱える人の苦しみと、健康上の危険性にも目を向けています。そこで、彼は、中国の中学生を対象にした調査研究の結果を紹介しています。そこでは、妬みの感情は、周囲に被害をもたらすだけでなく、本人の健康面においても深刻な事態を招く引き金になるということから警笛を鳴らしています。

妬み傾向の強い人が、クラスメイトどうしの関係性が良くないクラスに入ると、「もしかしたら、自分がいない間にクラスの誰かが何かご褒美をもらっているのではないか。あの人だけいい目にあっているのではないか」と、疑心暗鬼になる傾向が強まります。自分だけが好機を逃してしまうのではないかという恐れや不安が高まった結果、妬みを抱きやすい人は、スマホを手放すことができず、常にスマホをいじってしまう傾向が高いことが報告されています。

スマホによるソーシャルメディアの過剰使用は、諸問題を引き起こします。例えば、対面での交流の劣化、躁うつ病などの感情障害、睡眠の問題、身体的な健康上の問題の発症などです。この研究結果では、クラスメイト同士の関係性が良い集団であれば、妬みやすい人の問題行動が抑制されることも示されているそうです。

妬みは人と関わらなければ、感じなくて済む心の痛みや乱れですが、私たちが社会で生きて、組織に所属し活動する以上、人間関係を避けることができないと言います。だからこそ妬みの感情は、組織で働く私たちにとって、非常に厄介なものなのです。山浦氏は、こうして見てくると、2つの疑問が生じると言います。一つは、このような不利益をもたらす感情を、どうして人間は捨てきれずに持ち続けているのかという疑問です。もう一つは、妬みをうまくマネジメントし、前向きな人間関係を築くことはできないのかという疑問です。そこで、彼は、これらについて一つずつ順に考察していっています。

まず最初は、「なぜ妬みを捨て切れないのか?」という疑問についてです。妬みが、禍を引き起こす元凶だというのならば、どうして、私たちはこの感情を持ち続けているのでしようか。本当に不必要なものであれば、人間が進化する過程で、淘汰されていてもおかしくないはすだというのです。これは、身体についてもいえることで、必要がないかに見えるものでも、それはその役割がまだ解明されていないだけで、必要があるからこそ、今にまで持ち続けているのだと言われています。では、妬みは必要なものなのでしょうか?

妬みを抱く人は、職場に複数いる同僚たちの中から、ターゲットを抽出する繊細さを持っていると言えます。しかも、抽出する基準は、自分に脅威をもたらし、劣等感を抱かせる相手なのですから、妬む人は、自分を直視する瞬間を経験している人でもあるというのです。他者の存在を強く気にして、自分の存在価値を確認し、維持したいという欲求が強いと山浦氏は言うのです。

このことは、人間がより安全に生き抜くためには必要な能力だということになるというのです。例えば、戦国時代の武将をイメージしてみます。食うか食われるかの乱世競争社会において、自分よりも有能で資源を豊かに持っている敵の武将が、さらに勢力を伸ばそうとして、自分の領地や資源、統治裁量、勢力を奪いにかかってくる可能性がありました。自分の不安を煽り、自分の力量や評判など自分(の存在)に脅威をもたらす敵とは一戦を交えることでできるだけ早く排除し、自分の地位を盤石にしたいと考えます。

つまり妬みは、有能な相手から自分の資源を確実に守るためのセンサーの役割を担っているというのです。

妬みと健康” への7件のコメント

  1. 妬みの感情によって自分自身への健康被害がもたらさせることもあるのですね。妬みとは、百害あって一利なしのようにも感じますが、「有能な相手から自分の資源を確実に守るためのセンサーの役割を担っている」「人間がより安全に生き抜くためには必要な能力」であるという側面がわかりました。やはり、人間に備わっているどのような機能・能力でも、生きていくためには必要なものなのでしょうかね。しかし、現代社会では過去に必要とされてきた能力は、必ずしも必要でない場合もある気がしています。資源を確実に守るためのセンサーも、災害から生き抜くセンサーも、今ではそこまで必須ではないようにも感じますが、そんな感じにはならないのかなとも思いました。

  2. 人間にとって本当に不必要であれば様々な感情は失われていくはずですよね。ただ、それでも残っているということは何かしらの意味があるのでしょう。「妬みは、有能な相手から自分の資源を確実に守るためのセンサーの役割を担っているというのです。」とありました。怒りも自分の力へとつなげることができると聞いたことがあり、使い用とリスクの認識、バランス次第なのかなと感じました。

  3. 「妬み」という感情は、とても興味深いものと感じます。
     現代のSNSにおいて他者の投稿を頻繁に閲覧することは、あえて自分自身の嫉妬心をかり立てる為の行為なのではないかと思いました。「他者の存在を強く気にして、自分の存在価値を確認し、維持したいという欲求」というお話はしっくりくるものがあります。
     また前職においての経験から思うのですが、多くの「サラリーマン」は人事の話が好きです。他者の昇進や栄転、降格、左遷……。そういったことを酒席で噂することを好むことは多いと感じます。これも同様に妬みを多分に持ってしている行為であり、自ら積極的にその感情を引き出そうとしているような節もあります。妬みを「有能な相手から自分の資源を確実に守るためのセンサーの役割」として考えると、そういった噂話を好む行為も理解できるように思いました。

  4. 「クラスメイト同士の関係性が良い集団であれば、妬みやすい人の問題行動が制御される」のですね。関係性が良いということは人間関係に対して不安や不満が少ないということなのでしょうか。そのような環境下では妬みやすい人も不安を感じて疑心暗鬼になることは少なくて済むのでしょうね。
妬みは「脅威に対して警戒せよ」という「生き抜く遺伝子」なのかもしれないですね。食糧や領土をめぐって戦わなければならなかった時代の方が長いことを考えると、そんな習性が残っていても不思議ではないですね。ヒト以外の動物も妬むのだろうかと気になりました。


  5. 「妬みの感情は、周囲に被害をもたらすだけでなく、本人の健康面においても深刻な事態を招く引き金になるということから警笛を鳴らしています」とありましたが、これを知るだけでも恐ろしい感情だなと思います。確かに、ここまで他者の情報が入ってくるようになった現代、他者と常につながっているような感覚を抱いてしまう現代がいかに異常であるかということを感じます。感情を常に乱されるだけでも確かに不健康だなと思ってしまいます。妬みについて考えること、興味深いです。確かに、この感情がいまだに淘汰されずに残っていることからも人類にとってはそれは意味がある感情ではないかという疑問が湧きます。そして、戦国時代の武将の例えがありました。「つまり妬みは、有能な相手から自分の資源を確実に守るためのセンサーの役割を担っているというのです」ということですが、人類の歴史は戦いや奪い合いがあったと思うと、この力もうなづけますね。しかし、時代は変わってきました。時代の変化と人類が持っている力のバランスというのは様々な部分で考えていかなければいけないことかもしれませんね。

  6. 妬む気持ちがあると心は晴れず、つねにイライラしていることがたびたびあるように思います。そのうえ、その気分から逃れられず鬱屈した気持ちで常にいると、そりゃ体を崩すでしょうね。今の時代、様々なところからとめどもなく情報が流れてきます。自分が知りたくもないものであっても、SNSを通して流れてきます。「エゴサーチ」という言葉を聞きますがわざわざ自分の悪い噂や評判を見てしまったりすることで自分の評価を得ようとしてしまうことがあります。良い噂だけ信じればいいのにも関わらず、なぜとも覆観ますが、「有能な相手から自分の資源を確実に守るため」として「自分の悪いところを直す」ということが目的にあるのかもしれませんね。また、こういったことも日本的なのかもしれません。「良いところを伸ばす」というのではなく「悪いところを無くす」という考えがより人を追い詰めてしまっているのかもしれません。「アンガーマネージメント」という言葉を最近よく聞きますが、感情のコントロールというのは様々なところで今必要なスキルとなっているように思います。

  7. 私たちに内在しているものは肉体の場合も精神の場合も何らかの意味がある、ということを学ぶことができました。妬みがなぜ存在するのか。その理由を「有能な相手から自分の資源を確実に守るためのセンサーの役割」を果たしているから、と山浦氏は言っております。「脅威をもたらす敵とは一戦を交えることをできるだけ早く排除し、自分の地位を盤石にしたい」。なるほど、そういうことのために妬みという感情がある、ということがわかりました。子どもたちの活動にもこのことは表れているのでしょう。何事もおそらくそうなのでしょうが、ネガティブ面ばかりじゃなく、ポジティブ面もあることがわかりますね。「妬み」があるからこそ逆に無用な争いを避けることができる。こうした発想の転換ができると世の中もっと住みやすくなるのですが。

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