ブレグマンは、「自分がされたくないことを人にしてはいけない」という黄金律では不十分だと考えるに至ったそうです。彼は、以前のブログで紹介したように、共感が悪いガイドになる可能性について触れています。他者が何を望んでいるかを、わたしたちは常に正しく理解しているわけではないと言うのです。自分にはそれがわかっていると考えている経営者、CEO、ジャーナリスト、為政者は、他者の声を奪っているに等しいと言うのです。テレビでインタビューされる難民をほとんど見かけないのも、民主主義とジャーナリズムがたいてい一方通行になっているのも、福祉国家が父権主義に染まっているのも、すべて、他者が何を望んでいるかを自分はわかっていると思いこんでいるせいなのだと彼は言うのです。 それよりも、質問から始める方が、はるかに良いだろうと言います。ポルト・アレグレの市民参加型民主主義のように、市民に発言をさせようと提案します。ジャン・フランソワ・ゾブリストの工場のように、従業員に自分のチームを指揮させようと提案します。シェフ・ドラムメンの学校のように、子どもたちに学習計画を立てさせようと提案します。
黄金律のこのバリエーションは、「白金律」と呼ばれますが、ジョージ・バーナード・ショーが、その本質をうまく言い当てているそうです。「自分がしてもらいたいと思うことを他人にしてはいけない。その人の好みが自分と同じとは限らないからだ」
次の4条は、「共感を抑え、思いやりの心を育てよう」です。
白金律が必要とするのは共感ではなく、思いやりだと言います。その違いを説明するために、チベット仏教の僧侶マチウ・リカールをブレグマンは紹介しています。彼は、自分の思索をコントロールする伝説的な力を持つ人物です。「もしあなたが、そんな力を身につけたいと思うのであれば、彼がそうなるために要した五万時間の瞑想に精を出しなさい、というのがわたしからのアドバイスだ」と言います)
数年前、リカールは、神経学者のタニア・シンガーの研究に協力して、脳をスキャンしたそうです。シンガーが知りたかったのは、共感を感じている人の脳内で、何が起きているかということ、さらに重要なこととして、共感に代わるものがあるかどうか、だったそうです。
その準備として、前の晩、シンガーはリカールに、ルーマニアの孤児についてのドキュメンタリーを見せました。翌朝、シンガーは、これからスキャナーに入ろうとするリカールに、孤児のうつろな目、か細い手足を思い出すことを求めました。リカールは、彼女の言葉に従い、ルーマニアの孤児がどういう気持ちだったかを、できるだけありありと想像しました。脳画像では、前島が活性化していたそうです。耳のすぐ上にある脳領域です。
一時間後、彼は打ちひしがれていました。
これが、共感がわたしたちに与える影響だと言います。それは人を消耗させます。後の実験で、シンガーは一群の被験者に対し、一週間のあいだ毎日、15分間目を閉じて、できるだけ深く他者に共感することを求めました。15分は彼らが耐えられる限界でした。その一週間が終わると、被験者は皆、以前より悲観的になっていたのです。ある女性は、列車に乗り合わせた客を見ても、苦しみしか見えなくなったと言いました。