もっとも、今の彼にはわかるそうです。これは始まりに戻る旅なのだということを。アゴラは狩猟採集民と同じ教育哲学を持っています。自由を与え、あらゆる年代と能力の子どもが入り混じったコミュニティの中で、コーチやプレイ・リーダーが支援すれば、子どもは最もよく学ぶのです。ドラムメンはそれを「教育0・0(ゼロテンゼロ)」と呼びます。ホモ・ルーデンスへの回帰だというのです。
ヨハン・ホイジンガが、「ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み」 (講談社学術文庫)という本を2018年に出版しています。ホモ‐ルーデンス(〈ラテン〉Homo ludens)とは、《遊ぶ人の意》であり、人間観のひとつで、遊ぶことに人間の本質的機能を認める立場から人間を規定した言葉です。オランダの歴史家ホイジンガが提唱しました。そこには、「人生には遊びが大切だ──。気分として心にあっても、言葉にすると空々しい。働く大人はそれどころではない。それでも、ひとが「遊び」の大切さを思うのは大人になって子どもが遊ぶ姿に接し、自分にないその真剣さに触れたときだ。」とあります。最初に『ホモ・ルーデンス』が発表されたのは今から80年前の1938年です。ホイジンガは、人間とは「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」のことであると言っています。遊びは文化に先行しており、人類が育んだあらゆる文化はすべて遊びの中から生まれ、遊びこそが人間活動の本質である、としたのです。ブレグマンが、を定義していましたが、ホイジンガは、「遊びの形式的特徴」として五つにまとめています。
① 自由な行為である
② 仮構の世界である:
③ 場所的時間的限定性をもつ
④ 秩序を創造する
⑤ 秘密をもつ
さらに機能的特徴として「戦い(闘技)」と「演技」を挙げています。
このような事情から、ブレグマンが、「ホモ・ルーデンス」という章の最後に、「自由を与え、あらゆる年代と能力の子どもが入り混じったコミュニティの中で、コーチやプレイ・リーダーが支援すれば、子どもは最もよく学ぶのです。ドラムメンはそれを「教育0・0(ゼロテンゼロ)」と呼びます。ホモ・ルーデンスへの回帰である。」と叫んでいるのです。
そんな彼が、他の章で「共感」について書いています。最初は、共感の危うさについて触れています。タイトルは、「共感はいかにして人の目を塞ぐか」です。その内容は、現在のコロナ禍におけるヒトの心理を見ることができます。こんな逸話を紹介しています。
第二次世界大戦が勃発した時、モーリス・ジャノウィッツは22歳でした。一年後、アメリカ陸軍から召集令状が届き、ついにモーリスも入隊することになりました。ポーランド系ユダヤ人難民の息子である彼は、軍服を着てナチスを打倒するのが待ちきれませんでした。
彼は、長く社会科学に魅了されていました。そして今、クラスのトップの成績で大学を卒業してすぐ、自らの専門知識を大義に役立てるチャンスが訪れたのです。彼はヘルメットとライフルとともに、戦場に送られる代わりに、ペンと紙とともに、ロンドンの心理戦部門に配属されたのです。