ルーデンス

もっとも、今の彼にはわかるそうです。これは始まりに戻る旅なのだということを。アゴラは狩猟採集民と同じ教育哲学を持っています。自由を与え、あらゆる年代と能力の子どもが入り混じったコミュニティの中で、コーチやプレイ・リーダーが支援すれば、子どもは最もよく学ぶのです。ドラムメンはそれを「教育0・0(ゼロテンゼロ)」と呼びます。ホモ・ルーデンスへの回帰だというのです。

ヨハン・ホイジンガが、「ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み」 (講談社学術文庫)という本を2018年に出版しています。ホモ‐ルーデンス(〈ラテン〉Homo ludens)とは、《遊ぶ人の意》であり、人間観のひとつで、遊ぶことに人間の本質的機能を認める立場から人間を規定した言葉です。オランダの歴史家ホイジンガが提唱しました。そこには、「人生には遊びが大切だ──。気分として心にあっても、言葉にすると空々しい。働く大人はそれどころではない。それでも、ひとが「遊び」の大切さを思うのは大人になって子どもが遊ぶ姿に接し、自分にないその真剣さに触れたときだ。」とあります。最初に『ホモ・ルーデンス』が発表されたのは今から80年前の1938年です。ホイジンガは、人間とは「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」のことであると言っています。遊びは文化に先行しており、人類が育んだあらゆる文化はすべて遊びの中から生まれ、遊びこそが人間活動の本質である、としたのです。ブレグマンが、を定義していましたが、ホイジンガは、「遊びの形式的特徴」として五つにまとめています。

① 自由な行為である

② 仮構の世界である:

③ 場所的時間的限定性をもつ

④ 秩序を創造する

⑤ 秘密をもつ

さらに機能的特徴として「戦い(闘技)」と「演技」を挙げています。

このような事情から、ブレグマンが、「ホモ・ルーデンス」という章の最後に、「自由を与え、あらゆる年代と能力の子どもが入り混じったコミュニティの中で、コーチやプレイ・リーダーが支援すれば、子どもは最もよく学ぶのです。ドラムメンはそれを「教育0・0(ゼロテンゼロ)」と呼びます。ホモ・ルーデンスへの回帰である。」と叫んでいるのです。

そんな彼が、他の章で「共感」について書いています。最初は、共感の危うさについて触れています。タイトルは、「共感はいかにして人の目を塞ぐか」です。その内容は、現在のコロナ禍におけるヒトの心理を見ることができます。こんな逸話を紹介しています。

第二次世界大戦が勃発した時、モーリス・ジャノウィッツは22歳でした。一年後、アメリカ陸軍から召集令状が届き、ついにモーリスも入隊することになりました。ポーランド系ユダヤ人難民の息子である彼は、軍服を着てナチスを打倒するのが待ちきれませんでした。

彼は、長く社会科学に魅了されていました。そして今、クラスのトップの成績で大学を卒業してすぐ、自らの専門知識を大義に役立てるチャンスが訪れたのです。彼はヘルメットとライフルとともに、戦場に送られる代わりに、ペンと紙とともに、ロンドンの心理戦部門に配属されたのです。

地位の意味

2018年に、二人のオランダの経済学者が、37か国の2万7000人の労働者を対象とするアンケートを分析したところ、回答者の少なくとも四分の一は、自分の仕事の重要性に疑問を抱いていたそうです。この人たちの職業は何だったか?清掃人や看護師や警察官ではありません。「当人が重要でないと思う仕事」は、銀行や法律事務所や広告代理店のような民間企業に集中していることをデータは語っています。わたしたちの「知識経済」の基準からすると、これらの仕事に就く人は、成功者と定義づけられます。トップクラスの成績を収め、リンクトインに載せたプロフィールはすはらしく、高給を得ています。それにもかかわらず、自分の仕事は社会の役に立っていないと、感じているのです。

この世界は狂ってしまったのでしょうか?わたしたちは大金を投じて、きわめて優秀な人々がキャリアのはしごを上るのを手伝うのに、トップに行きついた彼らは、全ては何のためなのか?と自問します。一方、政治家は、国別ランキングでより高位につく必要性を説き、国民に、より高い教育を受け、より多くのお金を稼ぎ、経済をより「成長」させよ、と説きます。

しかし、それらの地位は何を意味するのでしょう。創造性や想像力があることでしょうか、それとも、おとなしく座って、うなずくことができることでしょうか。数十年前に哲学者イヴァン・イリイチが語った言葉が思い起こされるとブレグマンは言います。「学校とは、社会は、今のままでいいとあなたに信じさせる広告代理店だ」

遊ぶ学校、アゴラは、別の道があることを裏づけています。そのような学校は、アゴラだけではありません。人々は批判するかもしれませんが、それらの学校の取り組みが機能しているという証拠は多いと言います。英国のサフォーク州にある寄宿学校のサマーヒル・スクールは、1921年の創立以来、子どもには絶対的な自由を託せることを示してきました。米国マサチューセッツ州のサドベリー・バレー・スクールも同様で、1988年の創立以来、数千人の子どもがそこで青春時代を過ごし、その後、充実した人生を送っています。

問うべきは、子どもは自由をうまく扱うことができるか、ではないと言います。

わたしたちは子どもに自由を与える勇気を持っているか、だというのです。

これは急を要する問いです。かつて心理学者のブライアン・サットン=スミスは、「遊びの逆は仕事ではない。うつ病だ」と語っています。近年、自由も遊びも内発的動機もない、わたしたちの働き方は、うつ病の蔓延をあおっていると言います。世界保健機関によれば、うつ病は今や、社会に最も負担をかけている病気です。わたしたちに一番不足しているのは、通帳や家計簿に記された数字ではなく、自分の中にあるべきものだというのです。それは、人生に意義をもたらすもの、すなわち、遊びなのです。

アゴラで、ブレグマンは一縷の望みを見つけたそうです。その後、駅まで送ってくれたシェフ・ドラムメンは、車から降りた彼に、再び笑顔を見せたそうです。「今日は、一方的にしゃべり過ぎたね」。その通りでしたが、彼に聞きたいことは、まだ山ほどあったそうです。短時間でも彼の学校を歩き回れば、昔ながらの信念の多くが、崩れ始めるのを感じるはずだとブレグマンは言います。

コーチの存在

アゴラの中を歩けば歩くほど、子どもを年齢や能力によってくくるのはばかげている、と思えてきたと言います。長年にわたって専門家は、教育格差が広がっていると警告してきましたが、その差はどこから始まるのでしょう。14歳のジョリーは、こう言います。「わたしには違いはわからない。職業訓練を受けている生徒が、優秀な生徒よりずっと筋の通ったことを話しているのを何度も聞いたわ」

さらに、ブレグマンは、学校が日々を時間に切り刻む慣習について考えてみています。「世界が学科の塊に分かれているのは、学校だけです」と、コーチのロプは言います。「他にそんな場所はありません」。ほとんどの学校では、生徒が流れをつかんだと思うとベルが鳴り、次の授業が始まります。これほど学習意欲をそぐシステムがあるだろうか、とブレグマンは言うのです。

しかし、誤解してはいけないと言います。アゴラでは何もかもが自由なわけではありません。アゴラは自由を奨励しますが、最小限の決まりごとがあります。毎朝、学校に行く。毎日、一時間、静かな時間を過ごす。週に一度、コーチと面談する。子どもたちは大いに期待されていることを知っていて、コーチの力を借りて、個人的な目標を設定します。

コーチの存在は重要です。彼らは教育し、刺激し、励まし、指導します。正直なところ、彼らの仕事は、一般の教師の仕事より大変そうに見えます。第一に、彼らは教師になるために学んだことの大半を、忘れなければなりません。「子どもが学びたいことの多くは、ぼくたちには教えられないことです」と、ロブは言います。たとえば、ロブは韓国語を話せませんし、コンピュータブログラミングについても何も知りません。それでも彼は、アンジェリクとラファエルがそれぞれの道へ進むのを手助けしたのです。

当然ながら、大きな疑問は、このモデルはほとんどの子どもにとって有効か、ということです。アゴラの生徒たちの途方もない多様性を考えると、確かにそうだとブレグマンには思えるといいます。しかし、慣れるまでに時間がかかりますが、やがて子どもたちは、自らの好奇心に導かれるままに進むことを学びます。シェフ・ドラムメンはその様子を、バタリー式養鶏場のケージに入れられたニワトリにたとえています。「数年前、わたしは農家から数羽のニワトリを買った。そして、わが家の庭に放したのだが、ニワトリたちは釘付けになったかのように、何時間もそこに立ったままだった。一週間ほどたって、ようやくニワトリたちは勇気をふるって動き始めた」

しかし、悪いニュースもあると言います。どんな種類のものであれ、急進的な動きは必然的に古い体制と衝突するものです。

実のところ、アゴラの教育が想定しているのは、現実の社会とは非常に異なる社会です。この学校の願いは、子どもたちが、自律的で、創造力に富み、積極的な市民になることです。しかし、学校としての標準的な基準を満たさなければ、国の審査を通らず、財政支援を受けられません。このメカニスムは、アゴラのような新しい動きに、継続的にプレーキをかけます。

したがって、わたしたちが問うべきは、より大きな問いだろうとブレグマンは言います。教育の目的は何か?わたしたちは、良い成績と高い給与にこだわりすぎているのではないか。

アゴラといじめ

ブレグマンは、アゴラの生徒たちの目的意識の強さには驚いたそうですが、連帯感の強さにはもっと驚いたと言います。

彼が話をした生徒のうち何人かは、彼が通った学校にいたらおそらくいじめられ

ていたでしょう。しかし、アゴラでは、いじめられている生徒は皆無で、彼と話した誰もがそう言っていたそうです。「わたしたちは、互いをありのままに受け入れています」と、14歳のミルウは言ったそうです。

いじめはしばしば、人間の本質的な癖と見なされ、子どもなら誰でもすると考えられています。それは間違いだ、と、いじめが蔓延する場所を広範に調査してきた社会学者たちは一言っています。彼らはそれらの場所を「トータル・インスティテューション(全制的施設)と呼んでいます。およそ50年前に、社会学者のアーヴィング・ゴッフマンは全制的施設を次のように説明しています。

・全貝が同じ場所に住み、ただ一つの権滅の支配下にある。

・すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む。

・活動のスケジュールは、多くの場合、一時間ごとに厳格に決められている。

・権威者に課される、明確で形式張ったルールのシステムがある。

言うまでもなく、その究極の例は刑務所で、そこにはいじめがはびこっています。しかし、全制的施設は、老人ホームなど他の場所でも見られると言います。一か所に閉じ込められた高齢者は、カーストを築き、一番の強者が、ビンゴの時間に一番良い席を要求したりします。いじめを専門とするアメリカのある研究者は、ビンゴを「悪魔のゲーム」とまで呼ぶそうです。

学校も全制的施設だと言います。いじめは、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』にインスピレーションを与えたタイプの学校である、英国の典型的な寄宿学校に最も蔓延しているようです。そして、これらの学校は、何よりも刑務所に以ています。生徒は、そこから出ていくことはできず、厳密な階層の中に地位を獲得しなければなりません。加えて、生徒と教師の間には、厳格な区別があります。この競争的な機関は、英国の上流階級の秩序の一部になっています。ロンドンの政治家の多くは、寄宿学校の出身ですが、教育学者によると、それらの学校は人間の遊び心を妨げるそうです。

しかし、良いニュースもあると言います。構造化されていないアゴラのような学校では、いじめは起きません。そこでは、ドアは常に開かれていて、必要な時にはいつでも息抜きができます。さらに重要なこととして、誰もが互いと異なっていることです。あらゆる年齢、能力、レベルの子どもが混ざり合っているので、人と違うのは当たり前なのです。

「ぼくが前に通っていた学校では、職業教育の時間に、他の生徒に話しかける生徒はいなかった」と、ブレノトは言います。ブレントと15歳のユップは、最初から職業プログラムに参加していた15歳のノアから、自分たちに何が欠けているかを教えてもらったそうです。それは、計画を立てることです。「ノアは翌年と、自分の人生の半分について、すでに計画を立てているんだ」とユップは言います。「ぼくたちは彼から多くのことを教わったよ」

アゴラ

ドラムメンは、クラス分けや教室をなくし、宿題も成績もなく、教頭やチーム・リーダーという階層もない学校を作りました。その結果はどうなったでしょう。

ブレグマンは、学校の敷地に入って、まず頭に浮かんだのは、廃品の遊び場のことでした。目の前にあるのは、黒板に向かって整然と並ぶ椅子ではなく、急ごしらえの机、水槽、ツタンカーメンの棺のレプリカ、ギリシア風の円柱、二段ベッド、中国の竜、スカイプルーの69年型キャデラックの前半分といった、色とりどりのカオスだったのです。

ブレントはここの生徒です。現在17歳で、数年前までバイリンガルの大学進学者向け中等教育校に通っていました。ほとんどの教科で好成績を収めていましたが、フランス語とドイツ語は苦手でした。オランダの三段階教育制度に従って、ブレントは一般中等教育課程に下ろされ、その後も成績がおもわしくありませんでしたので、職業訓練課程に移されたのです。「先生にそう言われた時、ぼくは怒り、走って家に戻った。そして、母に、マクドナルドで働くと言った」

しかし、友人の友人のおかげで、ブレントはアゴラにたどりつきました。ここでは学びたいものを自由に学ぶことができました。彼は原子爆弾について、あらゆることを知っていて、最初の事業計画を立てておリ、ドイツ語で会話ができます。そしてスペインのモンドラゴン大学の国際プログラムに進むことが決まっています。

コーチのロプ・ホウベンによると、ブレントは同大学への入学が決まったことを、なかなか公表しませんでした。「この学校が、ぼくにしてくれたことに対して、まだ恩返しができていないから」と言って。

あるいは、14歳のアンジェリクの場合、通っていた小学校は、彼女を職業訓練校に進ませましたが、きわめて分析力が高かった。理由は明かしませんでしたが、韓国に夢中で、韓国に留学する計画を立てており、すでに韓国語をかなり独習していました。完全菜食主義者でもあり、肉を食べる人を言い負かす議論を一冊の本にまとめました。コーチのロブは、「ぼくはいつも、その議論に負けてしまいます」と言っています。

生徒の一人ひとリにストーリーがあります。同じく14歳のラファエルはプログラミングが好きです。彼は、ブレグマンにオランダの通信制大学のウェブサイトで見つけた、セキュリティ・リークを教えたそうです。ラファエルはウェブマスターにそれを知らせましたが、リークはまだ修正されていないそうです。ラファエルは笑いながらこう言いました。「もし、そのウェブマスターの注意をひきたいと思ったら、ぼくは彼のパスワードを変えることもできるよ」

ラファエルがフロントエンドの作業をした、ある会社のウェブサイトを見せてくれた時、

ブレグマンは、大変な作業をしてあげたのだから、代金を請求したらどうかと尋ねたそうです。ラファエルは怪訝そうな表情を浮かべてこう言ったそうです。「え?そんなことをしたら、やる気がなくなるよ」

ルールや権威

廃品で作った遊び場は、いくら怪我が少ないからと言って、英国で「冒険遊び場」と呼ばれるようになったそれらの遊び場は、1980年代になると、苦闘し始めました。安全規制が急増するにつれて、製造業者は、自称「安全な」設備を作って、大儲けできることに気づいたのです。結果は?近年では、40年前に比べて、エムドロプ式の公園はかなり少なくなったのです。

しかし、もっと最近では、ソーレンセンの古いアイデアへの関心が復活しました。無理もありません。現在、科学は、型にはまらない冒険的な遊びは、子どもの心身の健康に良いという証拠を山ほど提供しているのです。ソーレンセンは晩年にこう語っています。「わたしが実現を手伝ったすべてのもののなかで、廃品の遊び場は最も見苦しいが、わたしにとっては最高で、最も美しいものだ」

ここで、ブログマンは、これをさらに一歩進めることができるだろうか?という問いにぶつかります。

もし、子どもが屋外で、よリ大きな自由をうまく扱えるのであれば、屋内ではどうでしょう?多くの学校は今も美化された工場のように運営されており、ベルや時間割やテストを中心に組織されています。しかし、子どもが遊びを通して学ぶのであれば、教育をそれに合わせればいいのではないでしょうか?これは数年前に、芸術家で校長でもあるシェフ・ドラムメンの頭に浮かんだアイデアでした。

ドラムメンは、遊び心を忘れない人間の一人で、ルールや権威を嫌悪していました。鉄道の駅までブレグマンを迎えに来てくれた時、彼は自転車専用道路に車を堂々と停めたのです。その後の数時間、彼は逃げようのないブレグマンを相手に、延々と話し続けたそうです。時々、ブレグマンはなんとか質間したそうです。彼はにやっと笑って、自分は意見を押しつけることで悪名高いのだ、と認めたそうです。

もっとも、ブレグマンがオランダ南西部のルールモントまで電車に乗って行ったのは、ドラムメンのおしゃべりを聞くためではありませんでした。そこで途方もないことが起きていたからだったのです。

ブレグマンは、こう言います。「クラス分けや教室のない学校を想像してみよう。宿題も成績もない。教頭やチーム・リーダーという階層もなく、あるのは、自律的な教師(「コーチ」と呼ばれる)のチームだけだ。」

実のところ、コーチを務めるのは生徒たちです。この学校では、校長は頻繁に校長室から追い出されます。子どもたちがそこで集会を開くためです。

しかも、これは酔狂な親を持つ変わり者の生徒のための、エリート私立学校ではありません。この学校はあらゆる背景の子どもたちを入学させています。校名は?アゴラです。

すべてが始まったのは、2014年のことでした。この学校は隔壁を取り壊すことにしました。ドラムメンは、「檻の中に閉じ込めておくと、子どもたちはネズミのように行動する」と言っています。次に、あらゆるレベルの子どもたちを一緒にしました。「なぜなら、現実の世界はそうなっているからだ」というのです。そして、それぞれの子どもは、自分で学習計画を立てなければなりませんでした。「もし、学校に1000人の子どもがいれば、1000通りの学習方法がある」というのです。

危険な公園

ソーレンセンが作った「廃品の遊び場」は大成功し、平均で一日に200人の子どもをエムドロプに引き寄せたのです。かなりの数の「問題児」はいましたが、「退屈な公園で見られる騒音や叫び声や喧曄が、ここでは見られないのは、遊ぶ機会が豊富にあり、子どもたちはけんかをする必要がないからだ」ということが、しきに明らかになったのです。状況を監督するために「プレイ・リーダー」を雇いましたが、子どもたちとは関わりませんでした。「子どもたちに何かを教えることはできないし、教えるつもりもない」と、最初のプレイ・リーダーになったジョン・ベルテルセンは言っています。

戦争が終わった数か月後、英国の造園家アレン・オブ・ハートウッド卿夫人が、エムドロプを訪れました。彼女は、そこで見たものに「すっかり夢中になった」そうです。その後の数年間、彼女は自らの影響力を活用して、「精神が折れるより骨が折れたほうがいい」と説き、廃品主義を広めました。

じきに、ロンドンからリバブール、コペントリーからリーズまでの被爆地域が、英国中の子どもに開放されたのです。少し前までドイツの爆撃機が死と破壊をもたらしていた場所で、歓声が聞こえるようになったのです。新しい遊び場は英国の再建の象徴となり、回復力の証と見なされました。

とは言っても、誰もが喜んだわけではありませんでした。このような遊び場に対して、大人は必ず二つの異議を唱えます。一つは、「見苦しい」というものです。正直なところ、目障りではあります。しかし、大人には乱雑に見えても、子どもはそこに可能性を見つけます。大人は不潔さに耐えられませんが、子どもは退屈に耐えられないのだとブレグマンは言うのです。

二つ目の異議は、廃品で作った遊び場は危険だ、というものです。過保護な親は、エムドロプ式の公園では、骨折や脳挫傷が多く起きるのではないかと恐れました。しかし、一年間で最悪のけがに必要とされたのは、ばんそうこうだけでした。ある英国の保険会社は非常に感銘を受け、廃品で作った遊び場の保険料を、標準的な公園より安くしたそうです。

このことは、ドイツに行って、痛感しました。日本では、とがった角にはゴムを貼り、釘などは決して飛び出さず、大きな障害物は除かれます。園は、危険個所がないように、行政からの監査で、とてもうるさく指導されます。保育者も、子どもたちが、危険がないように注意深く見張っていて、危ない行為は事前に止めることが多くあります。しかし、ドイツに行くと、私たちから見ると、危険個所が至る所にあります。園庭には、大きな石がごろごろしており、敷石は凸凹してつまずきやすく、しかも、角が鋭利な物が至る所にそのまま置いてあります。しかし、けがについて、ドイツの園長先生に聞いたところ、ここ数年は、絆創膏を貼ったことが何回か貼った程度だと言っていました。また、年内にある救急箱の中を見せてもらったところ、その中にあったのは、絆創膏数枚だけでした。曰く、薬品は、医療行為に当たるので、保育者は研修を受けないと使えないそうです。

教育の変化

今度は、あまりにも遊びが好きな子どもは、病院に連れていかれる恐れが出てきました。この数十年間で、行動障害の診断が急増しています。その最たる例はADHDだろうとブレグマンは言います。ある精神科医は、ADHDは季節的な不調に過ぎないと言いました。夏休み中は問題がないように見えても、学校が始まると、リタリンの服用を必要とする子どもかかなり出てくるというのです。

確かに、100年前に比べると、わたしたちは子どもにかなり甘いです。学校は19世紀には、刑務所のようでしたが、今は違います。行儀の悪い子どもは叩かれるのではなく、薬を飲まされるのです。学校は価値観を叩き込むようなことはしなくなりました。もっとも、教師はかってないほど、多様なカリキュラムを組み、子どもたちが将来、「知識経済」において高給の仕事を見つけられるよう、できる限り多くの知識を伝えています。

教育は耐えるものになったのです。成果主義社会のルールを内在化している新しい世代が生まれつつあります。彼らは出世競争を走ることを学んでおり、勝敗の主な基準になるのは、履歴書と給与です。彼らは、あえて既成概念を破ろうとはせず、夢を見たり、冒険したり、大胆な行動をとったりもしません。要するに、遊び方を忘れた世代なのだとブレグマンは言うのです。

他の道はあるのでしょうか?

自由や創造性の余地のある社会に戻れるでしょうか?

遊び場を作ったり、束縛せず遊び心を解放する学校を、設計したりできるでしょうか?

答えはすべてイエスだと言います。

デンマークの造園冢カール・テオドール・ソーレンセンは、多くの公園を設計した後に、それらが子どもたちを退屈させていることに気づきました。砂場や滑り台やプランコのある平均的な公園は、官僚にとっては夢ですが、子どもにとっては悪夢です。子どもたちが公園よりも、廃品置き場や建設現場で遊ぶのを好むのは、それほど不思議ではない、とソーレンセンは思ったそうです。

そこでソーレンセンは、当時としてはまったく新しいものを設計しました。ルールや安全規則のない公園、子ども自身が責任を負う遊び場です。

ドイツの占領下にあった1943年に、ソーレンセンはコペンハーゲンの郊外のエムドロプで、自分のアイデアを試しました。7万5000平方フィートの区画を、壊れた車や薪や古いタイヤで満たしたのです。子どもたちは、ハンマーやのみやドライバーで、好きなように叩いたり、壊したり、いじったりすることができたのです。木に登ったリ、火をおこしたり、穴を掘ったり、小屋を作ったりしてもいいのです。あるいは、ソーレンセンが後に語ったように、「夢見たり、想像したり、夢や想像を実現すること」もできました。

このソーレンセンが作った「廃品の遊び場」は、私のブログにも何度も登場しています。以前、紹介したように、この活動は私が大学で建築を学んでいるとこに知りました。そして、日本にも羽根木パークのような実践例があり、今の園の近くの戸山公園にもあります。ドイツでも何カ所か、そのような活動を見学しました。しかし、なかなか特殊な試みに終わってしまって、その考え方が幼稚園や子ども園、保育園に取り入れられていない気がします。

遊びの文化の変化

子どもたちは、一緒に遊ぶことで、協力することを学びます。狩猟採集民の子どもはほとんどの場合、男の子と女の子、そしてすべての年齢層が一緒になって遊びます。幼い子どもは、年上の子どもから学び、年上の子どもは自分が知っていることを伝える責任を感じています。驚くことではありませんが、これらの社会では、競争する遊びは見られません。大人の競技と違って、型にはまらない子どもの遊びは、常に参加者に譲歩を求めるのです。そして、その遊びをつまらないと思う子どもは、いつでもやめることができます。そうなると、その遊びは、誰にとっても終わりになるのです。

人間が一か所に落ち着くようになると、遊びの文化は根本的に変化しました。

文明の始まりは、退屈な農業労働という苦役と、トマトと同じく子どもも育てる必要がある、という考え方をもたらしました。なぜなら、もし子どもが生来、邪悪であるなら、子どもの好きなようにさせるわけにはいかないからです。子どもには、うわべだけでも文明を身に着けさせなければならず、多くの場合、そうするには強硬手段が必要だったのです。親は子どもを殴るべきだという考えは、農村や都市に住む先祖の間で、比較的、最近生まれました。

最初の都市や国家が出現すると、最初の教育システムが現れました。教会は敬虔な信徒を必要とし、軍隊は忠実な兵士を、政府は勤勉な労働者を必要としました。遊びは敵だということで三者の意見は一致したのです。英国の聖職者ジョン・ウェスレーは、自らが設立した学校の規則において、「遊びのための時間は認めない」と定めたのです。「子どものころに遊んだ人間は、大人になっても遊ぶ」というのがその理由です。

19世紀になると、宗教教育は国の制度に取って代わられました。その制度について、ある歴史学者は次のように述べています。「フランスの文部大臣は、午前10時20分に国内の特定の学校の生徒全員が、キケロのどの一節を学んでいるのかが自分にはわかる、と豪語した」。良き国民としての心得は、幼い頃から教え込まれなければならず、また、国民は自国を愛することを学ばなければならなかったのです。フランス、イタリア、ドイツが地図上に描かれると、次は、フランス人、イタリア人、ドイツ人を作る必要があったのです。

産業革命が起きて、製造業の苦役の大半を、機械がこなすようになりました。(もちろん、すべての国においてではなく、バングラデシュでは、今でも子どもたちがミシンで安い服を作っています。)このことは教育の目的を変えました。子どもたちは、大人になった時に経済的に自立するために、読み書きや設計や組織運営を学ぶようになりました。

19世紀後半までに、子どもたちは再び遊ぶ時間を持てるようになりました。歴史学者はこの時期を、自由な遊びの「黄金時代」と呼んでいます。この時期、児童労働は禁じられ、親は子どものしたいようにさせるようになったのです。ヨーロッパや北米の多くの地域では、子どもを監視しようとする人はおらず、子どもたちは一日の大半を、ふらふらと遊んで過ごしました。

しかし、この黄金時代は短かったのです。1980年代以降、職場でも教室でも、次第に生活は忙しくなりました。個人主義と成果主義が幅を利かすようになったのです。家族は少人数になり、親は子どもが将来、成功するかどうかを心配し始めたのです。

遊びの定義

今起きていることをより理解するために、遊びの意味を定義するとしたら、規則に縛られず、自由で拘東されない。遊びとは、親がサイドラインの外から声援を送る人工芝の競技場においてではなく、親が監視しない戸外で、子どもが遊び戯れ、そうするうちに自らゲームを考え出すことだとブログマンは言います。

この種の遊びをする時、子どもたちは自分の頭で考えます。リスクを冒し、安全圏から外に出ます。そうしながら心を鍛え、意欲を高めるのです。型にはまらない遊びは、退屈に対する自然な救済策でもあります。しかし、近年、親が子どもに与えるのは、詳細な組み立て指示のついたレゴ社のスター・ウォーズ・スノースピーダーから、電子的な調理音の出るミーレキッチン・グルメ・デラックスまで、あらゆる種類の作られた娯楽だとブレグマンは言うのです。

すべてが事前に作られていたら、好奇心や想像力を育むことはできるでしょうか。退屈はおそらく創造性の源です。「創造性を教えることはできない」と、心理学者のピーター・グレーは書いています。「できるのは、開花させることだけだ」

生物学者のあいだには、遊びは人間の本怦に深く根差しているというコンセンサスがあります。ほとんどすべての哺乳動物は遊び、他の多くの動物も遊ばずにはいられません。アラスカのカラスは、雪に覆われた屋根を、滑り降りるのを楽しんでいるそうです。オーストラリアのビーチでは、クロコダイルが波乗りする様子が目撃されました。カナダでは、実験室で飼われているタコが、空の薬瓶を狙って水を噴射するそうです。

表面的には、遊びは時間の無駄のように見えるかもしれません。しかし、、興味深いことに、最もよく遊ぶのは、最も賢い動物なのです。家畜化された動物は、おとなになっても遊びます。さらに、ホモ・パピーほど子ども時代が長い種はいません。遊びは人生に意味を与える、とオランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガは1938年に書いているそうです。彼は人間にホモ・ルーデンス(遊ぶ人)という名前をつけました。わたしたちが「文化」と呼ぶものはすべて遊びから生まれたとホイジンガは語っています。

人類学者は、人類の歴史の大半を通じて、子どもは好きなだけ遊ぶことができたと推測しています。狩猟採集民の文化は、それぞれの社会によって異なりますが、総じて遊びの文化はよく似ています。研究者たちによると、何より意義深いのは、子どもに無限の自由が与えられていることだと言います。狩猟採集民は、子どもの成長を大人がコントロールできるとは思っていませんので、子どもたちは朝早くから夜遅くまで、終日遊ぶことができるのです。

しかし、子どもは学校に行かなくても、大人になった時に必要なことを身につけられるのでしょうか。狩猟採集民の社会では、遊びと学習は同じだというのが、その答えであると言います。幼児は、テストを受けたり、点数をつけられたりしなくても、自然に歩いたり話したりできるようになります。それは周囲の世界を探検したいという強い欲求があるからです。同様に、狩猟採集民の子どもは、遊びを通して学びます。昆虫を捕まえたり、弓や矢を作ったリ、動物の鳴き声をまねするなど、ジャングルではすることがたくさんあるのです。そして、そこで生きていくためには、植物や動物について非常に多くの知識が必要とされるのです。