支援グループ

環境問題に取り組んでいる、紹介したこの国の三つの主要な地域のPMTは、いずれも、まず最初の段階で情報を提供し、環境のプログラムを継続して支援するための、技術コンサルタントのネットワークをつくったそうです。子どもたちが全国から集まった生態学者と一緒に活動すれば、実行が難しいような活動を選んで、失敗をしなくてすむだろうと期待されました。生態学の専門家のネットワークは、子どもたちや、このプログラムを推進するプロモーターたちが使う多くの小冊子をつくる協同作業にも役立ったそうです。

このプログラムの中心となる考えは、各都市の青年のグループを、環境グループのプロモーター(アニメーターあるいはファシリテーター)として活動できるように訓練することだと言います。PMTは、子どもの参画を年齢別の二重構造にする、つまり4人か5人という少人数の青年のグループが、80人ぐらいの10代初めの子どもたちと一緒に活動するというやり方を生み出して、人数を増やすのにたいへんよい効果をあげました。各都市は、これらの青年グループのトレーニング・プログラムとして、役立つように、地方ごとの攴暖グループをつくりました。こうして注目すべき全国的な構造ができると、PMTは、1993年3月にそのプロジェクトの第1段階に踏み切りました。

最初このプロジェクトは、1年計画事業と見なされていたそうです。というのも、PMTの子どもたちは、毎年国連子どもの権利条約から新しいテーマを選んで活動することになっていたからだそうです。この運動の勢いをさまざまな他の組織にも伝わっていくほど強力なものにすることが、彼らの初めからの考えだったそうです。多くの学校が、環境のプロジェクトに対する子どもたちの熱中ぶりに影響を受けたのは確かだとハート氏は言います。しかし、斬新な課外活動に対して、伝統的に抵抗しようとする公立学校のことや、学校が周辺コミュニティの活動に、子どもを参画させようとして失敗した例は、ハート氏が紹介した通りです。PMTは、毎年国連子どもの権利条約の違ったテーマで活動を続けているそうですが、環境のテーマは、子どもたちにとって非常に興味深く、またコミュニティの支援も得られるので、ほとんどのエスパシオス・アルテルティヴァスの活動の中心であり続けているのです。そして、これらのスペースの多くは、いまでは環境の開発を継続して診断し、行動するための基盤となる3次元の地図を備えています。

世界中の何千もの子どもの団体、例えば環境保護クラブ、自然史グループ、環境行動グループなど、あるいは「地球の友」やエコロジークラブのような環境問題の全国組織の下部組織のような団体が、何とかして環境保護に取り組もうとしています。これらのなかには、コミュニティに足場を置いているものもありますが、多くは学校が拠点になっているそうです。しかし、それらが民主主義的な構造であることはめったにないとハート氏は言います。彼は、自分の知る限り、持続可能な開発のもう一方の側、つまり経済の問題と生活問題に焦点を当てたコミュニティ開発に取り組んでいる、子どもの組織は、ないと言います。子どもたちは主として環境を守り、改善することに関心をもつべきで、経済問題は大人が考えることだという考えは、一見適切なように見えるかもしれません。

働く子どもたち

キトのPMT本部から、各地の「エスパシオス」にいる働く子どもたちのところにスタッフがやって来ます。主に貧しい都市部に置かれたこれらの「エスパシオス」では、国連子どもの権利条約に基づく遊び、学習、討論、そして行動を通して、子どもたちが自分たちの権利を守ることを非公式に学ぶ機会を提供しています。子どもたちは個別に、また集団で彼らの歴史を学び、遊びと芸術活動を通して自分たちの住む多文化社会での自分のアイデンティティを確かなものにしていきます。その目的は、6歳から16歳のこれらの子どもたちに、自分は自分の将来をつくる権利と能力をもった市民なのだと自覚させることです。各エスパシオにいる80名の子どもたちは、毎週3回から5回開かれるボランティアの会合に、自由に出席できます。その場所は、コミュニティがどこを利用できるかにより、公立学校であったり、カトリックの学校であったり、コミュニティの団体の集会所や大学、保健所だったりします。

「環境」というテーマは、PMTの子どもと青年が、集まる年次大会の1993年度のテーマとして、みんなで選んだものだそうです。もちろん「環境」は国連子どもの権利条約の基本的な部分であり、それゆえに大事なテーマです。しかしながらPMTの子どもたちが、それを選んだのは、このテーマに子どもたちが強い関心をもっていたからであり、ラテンアメリカにおける環境運動の盛り上がりにも影響されていることは疑う余地がないといいます。PMTは毎年、国連子どもの権利条約から取り上げたテーマを発展させていこうとしているのです。しかし環境プログラムはスタート時点から、エクアドルでの子どもたちの権利運動を強化することに、何か特別の価値を持つように感じられていたそうです。なぜなら地域の環境に対する行動は、コミュニティの住民の目に見えるからです。

エスパシオス・アルテルナティヴァスの全国に広がった構造のうえにつくられているおかげで、PMTは、21の地方と23の都市で合計70,000人の子どもとともに、環境のプロジェクトを立ち上げることができたそうです。センターのほとんどは、放課後に利用できるスペースのある公立学校に置かれていました。これらの学校の多くは、それ以前には、地域環境の調査研究などまったくしていませんでしたが、このプロジェクトが立ち上がってからは、正規のカリキュラムに環境のプログラムを取り入れるようになりました。また、いくつかの中流階級の子どもたちが通う学校は、PMTがつくった資料を、自分たちで使うために増刷したそうです。

エスパシオス・アルテルナティヴァスとその環境プログラムは、コミュニティ・レベルでは家族、地域団体、学校、教会、若いボランティアたちなどから支援され、都市レベルでは、行政機関や影響力のある個人によって支援されましたが、こういう支援活動が、子どもたちの権利を守る、大きなネットワークと発展していると言います。これは、環境プログラムと並行して行なわれたテビやラジオや新聞を通しての、幅広い社会的動員のプログラムによって達成されたのだそうです。

きびしい状態

インドのニューデリーのバスターミナルにあるバタフライというストリートチルドレンを世話する団体のレストランは、バタフライのストリートワーカーと一緒に活動することを通して、浮浪生活から抜け出した子どもたちによって運営されています。子どもたちは、バス待ちの乗客に食事を出すことによって、お金を得ているのですが、一方、このレストランの特設コーナーでは、他の働く子どもたちに、非常に安い食事を提供しているのです。

家族のないホームレスの子どもたちが行なう調査や活動は、当然ながら自分たちの生存のための闘いに焦点が当てられます。ただ、良いプログラムは、こういう子どもたちが、自分たちが置かれているきびしい状態から抜け出そうとするときに、たえず仲間のことを思い起こすようにできているのです。きびしい状況にある子どもたちが、将来のもうーつ別の生き方を考えるのを助けてもらい、そのプロセスを通してコミュニティに参画するようになったよい例としては、ジンバブエの有名なNGO組織ENDAの例をハート氏は紹介しています。ENDAが最近開催した都市の教育者のためのトレーニング・ワークショップに参加したある人が、ジンバブエ北部の農村部ンカイの男の子が、仕事を探してプラワヨに来た経緯を書いています。支援団体「飢えからの解放」は、プラワョでの仕事の情報を彼に与えましたが、それだけでなく、もっと全体的に彼の生き方を彼といっしょに、いろいろ考えたのです。その結果、彼は自宅に戻って、菜園プロジクトを始めるべきであるとの結論に達しました。「飢えからの解放」は、彼にフェンスをつくる材料を与えました。彼は6人の男の子を仲間に入れて、野菜を売り始めたのです。このプロジェクトは、その後仲間の男の子全員が、住み込んで働ける店づくりと発展し、さらに他の子どもたちも雇うようになったのです。

ストリートチルドレンや働く子どもたち、貧困家庭の子どもたちは、ホームレスの子どもばかりというわけではなく、もっと一般的には、多くの環境問題を抱えた地域で、家族と一緒にきびしい状況下に暮らしています。エクアドルの働く子どもたちのための全国プログラムは、社会がその辺縁に追いやった子どもたちのための、参画のプログラムがどれくらい価値のあるものとなり得るかを、次のように説明しています。

「働く子どもたちのためのプログラム(EI programa del Muchacho Trabajador略してPMT )」は、子どもの組織をつくる軸として「子どもの権利」を掲げ、国連子どもの権利条約を活動全体の基本指針とする、エクアドルの全国組織です。この組織は、子どもたちが主人公になって参加する全国レベルの大きな環境プログラムが、わずか一年で達成できることを証明しました。ただしエクアドルには、これを可能にした二つの特別な要因があるそうです。その一つは、この国がたいていの国より小さいこと。その二つは、より重要なことだそうですが、PMTには働く子どもたちや、貧困のために危険な状況にある子どもたちのためのセンターが、全国的な組織としてすでに存在していたということです。もうーつの場所と呼ばれているエスパシオス・アルテルナティヴァスという、各地域のセンターには、献身的に活動する訓練されたコーディネーターがいて、子どもが国連子どもの権利条約を盾に自分の権利や生活の改善を主張し、活発に活動する人間になるよう、子どもたちに力をつけることに打ち込んでいるそうです。

貧困家庭の子どもたち

イギリスの「子どもの家」では、子どもたちだけの「子ども委員会」をつくり、毎年再選されることになっており、委員会の選挙には、その家の会員全員が参加できます。子どもの委員会はみんなのことをやってくれる役員、つまり議長、書記、会計係、その他を選びます。短時間の委員会は議長が議事進行をし、保護者はガイダンスを与えるために同席します。子ども委員会は、保護者の許可を得れば、いつでも総会を開くことができます。その家が子どもの家として以外の目的に使用される場合には、必ず子ども委員会の許可を得なければなりません。

生きていくのがやっとという暮らしをしている子どもたちは、コミュニティ・プロジェクトに関わらせるべきではないと思われるかもしれません。しかし、これらのプロジェクトが本当に子どもたちやその仲間や家族のことを最優先にしている活動であるならば、子どもたちがそれに関わることによって、学んだり与えたりすることはいろいろある、とハート氏は信じていると言います。かつて彼が述べたように、ストリートチルドレンや、働く子どもたちのような、非常にきびしい状況にありながら、何らかのプログラムに参加している子どもたちは、自分たちの権利を理解し、自分の未来を決めることにより、強く関わり始めているそうです。生活のために闘っている子どもたちを、貧困から脱却させるためには、読み書きの力をつける学校教育の方を優先させるべきではないかと思う人もいるかもしれません。これは、公的な学校教育が受けられない子どもたちのために、学校教育に代わるものとしてボランタリーに続けられてきた活動に対する反応としては、理解できるとハート氏は言います。しかし、これらの子どもたちが貧困なのは、どうしようもないとしたうえで、伝統的な学校教育をちょっと改良しただけの内容を提供する貧しいプログラムよりは、不利な立場に立たされている子どもたちに、自分の権利について実践しながら学ぶ機会を提供するプログラムは、ずっと大きな価値があるというのです。子どものコミュニティ参画のプログラムの中心に読み書きの学習がおかれていれば、それはたいへん効果的なものになり得るというのです。なぜなら、ほとんどの学校の国語のカリキュラムでは、言葉が抽象的に扱われているのに対して、ここでは、言葉が子どもたちの生活と基本的に関係があるところで使われているからです。パウロ・フレイレが「迫害された人が圧制者に変わる危険」を指摘していますが、多くのストリートワーカーは、このことに非常によく気がついていまあす。子どもたちに、個人の権利の意識を持たせることで、子どもに「権限を与える」、あるいはアイデンティティの感覚や、自己の価値の感覚を育てることも大切ですが、それと同時に他人への責任の感覚を育てる必要があると言います。これが、非常に恵まれない子どもたちでも、コミュニティづくりに関わるべきである、一つの理由だと言います。

ストリートチルドレンにとっての「コミュニティ」は、地理学でいう「コミュニティ」の概念とは一致しないとハート氏は言います。なぜなら、これらの子どもたちの多くは、ホームレスだからだというのです。そういう子どもにとって、初めて関わるコミュニティとは、彼らの仲間、つまり似た状態にある他の子どもたちであるに違いないのです。このことを証明する素晴しい例としては、インドのニューデリーのバタフライというストリートチルドレンを世話する団体のレストラン・プログラムがあるそうです。

冒険遊び場

ハート氏は、まず低年齢の子どもたちと、遊びの施設の管理に子どもたちを関わらせることに成功したプレイワーカーのことを考察しています。

ヨーロッパには、子どもたちに遊びの機会を提供している団体がたくさんありますが、こういう団体には、民主主義の構造がいくらかはできていると言います。子どもが学習する場としてつくられた学校では、まだできていないのですが。とくに北欧の冒険遊び場は注目に値すると言います。これらの施設で働く専門のプレイリーダーは、子どもたちの民主的団体に欠かせないファシリテーターのモデルだといいます。これらのセンターは、とくに自然が大事だと言ってはいませんが、知らない間に自然の環境が、子どもたちの活動の中心になってしまっていることが多いようです。冒険遊び場やその管理については、かなり大部の文献があります。子どもたちはいつまでも変わらない自然環境のなかで、遊んだり探検したりして、その間にひとりでに学んでいます。そのうえすぐ近くに良いお手本があるならば、生涯自然に対して深くやさしい思いやりの心を持つようになる基礎ができます。このことが信じられる強い理論的根拠があることは、以前にハート氏は述べています。

会員たちが民主主義の構造を持つことを、もっとはっきりと要求しているもうひとつの例は、イギリスの「子どもの家協会」だと言います。この協会は、主に5歳から11歳の子どもたちを対象にした余暇活動のための家をつくっています。子どもたちの間に責任感といたわり合いの気持ちが育つような雰囲気をもった場所を提供しようとして、そういう家をつくっているのです。

「子どもの家」で起こることは、そこに来る子どもたちによって違ってきます。なんということもないただの場所ということもあります。しかし、子どもが大事だと思うなら、どんな興味、関心や才能でも伸ばせる機会が、できる限り与えられるようになっているのです。「子どもの家」は独立した一棟の建物であるのが望ましいと言います。例えば注文してつくった小屋、店舗を改造したものなどです。しかし、コミュニティの建物の一角であってもいいと言います。例えば教会、あるいはコミュニティ・センターの一室、共同住宅の一部などです。どのケースであろうと、そこが「子どもの家」であることが、はっきりわかるようにすることは、その性格上欠かせません。子どもは自分たちが使っている場所は、自分たちのものであると感じ、その管理と活動は自分たちに責任があると感じるように仕向けられます。

子どもたちだけの「子ども委員会」をつくり、保護者の助けを借りながら、その家の活動やルールを決めることが「子どもの家」の基本です。家ができたばかりの時は、保護者とその家の最初の会員である子どもたちから認められた、およそ6人で臨時委員会が構成されます。会員がおよそ20名ほどになり、子どもたちがもう自分たちでやっていける用意ができていると保護者がみなしたとき、その家の会員全員の無記名投票で、およそ7人の子どもから成る正式の子どもの委員会が選ばれることになっています。

アクティブ学習

「アクティブ学習」と呼ばれるこの種のモデルでは、複数の学習コーナーで、同時にいくつかのクラスの活動ができるようになっており、もっと進んだ学習をする生徒たちのためには、学校図書館や教室の図書コーナーがありました。そして、大人たちと対等な民主的な集団として、子どもたちが役目を果たそうとするなら、新しいタイプの団体もあります。伝統的なやり方をそのようなアクティブな学習へ、国家レベルで変えようとすると、教師の養成と再訓練に多額の費用と長い時間がかかることが、最も大きな問題の一つとなります。コロンビアで、この点を克服するために取られた方法は、1回きりのワークショップを開くのではなく、地方の学校間で、毎週定期的に教師が集まれるように、研修のプログラムを分散することでした。こうすれば教師たちは助け合って、定期的に、自分たちの仕事を根本から見直すことができるのです。

コミュニティづくりに子どもを参画させる理想的な方法は、地域に根ざした団体を通して参画させることであるとハート氏は言います。多くの村や都市近郊のこういう団体には、コミュニティの改善や、コミュニティのイベントに大人を参画させる方法がすでにあります。しかし、コミュニティの団体が研究や計画づくりや意思決定に子どもも参画させている例はきわめて少ないようです。一般に、プロジェクトのなかでも、体を使う段階、例えば水のプロジェクトでパイプを運ぶといったような仕事に、子どもたちは喜んで参加しようとします。ところが、仕事の相当な部分を子どもたちが実際にやっている場合でさえも、コミュニティの大人は、それを認識してはいないように思われるとハート氏は言います。地域の団体が子どもたちの力を認め、彼らを参画させる方法を見つけ出すには、誰かの助けが必要です。子どもの団体や学校が、地域団体に協力を申し出ることは難しいと言います。彼らにはそのような協同をした歴史もないし、そういう先例もないからだというのです。多くの例をみると、彼らは地域団体のことを知りもしません。これは環境問題や開発問題のNGOが新たに活動を始めるべき、重要な分野だというのです。ハート氏らの「子どもの環境研究グループ」は、子どもたちのグループと一緒に活動をしたのですが、その際ニューヨークの学校および地域、団体は、彼らのようなNGOに対して、これらの団体の間をつなぐ仲介者として働いて欲しいと望んでいることがわかったそうです。そして、これらの団体間のコミュニケーションをはかる既存のチャンネルがないので、永続する協力関係をつくりあげるには、たいん時間がかかることもわかったそうです。

子どものために、民主主義的やり方を一番よく取り入れているのは、放課後の子どもの遊び・レクリェーション・学習の場を提供している団体だと思われるかもしれません。しかし残念ながら、子どもたちに民主主義を体得させさせているのは、「規則」よりも「例外」であるのは確かだというのです。責任について学ばせることは、確かに非常に強調されているのですが、団体の目的や決まりを述べた規約のなかで、団体の管理運営に民主的に子どもが関わることこそ、民主主義を学ぶ最もよい方法だということに触れている団体は多くないと言います。例外的に、最もうまく民主的に運営されているのが、先進工業国では犯罪を犯した少年の更生施設であるということに、ハート氏は興味を持っていると言います。南の国々でも同様に、ストリートチルドレン、あるいは路上で働く子どもとともに活動している団体の方が、明らかにその構造と活動の民主化が進んでいると言います。

新しい学校

世界の各地にみられる進んだ学校のさまざまな例は、先に述べたコミュニティ・スクールの民主化の原則を満たしています。なかでもコロンビアの新しい学校は、とくに重要な事例です。なぜなら、それらはこれらの原則のすべてを、いろいろな度合で取り入れたモデルを作り出すことに成功しているからだというのです。これらのモデルでは、特別な環境プログラムを探す必要はないと言います。学校の概念そのもののなかに、環境プログラムが組み入れられているからです。なぜなら、もし、学校が子どもたちにコミュニティの問題を調べさせ、活動させるように組織されているのであれば、そのコミュニティの物理的環境にも働きかけずにはいられないからです。

コロンビアの「新しい学校」のプログラムは、きわめて成功した、高く評価される学校教育の新しいあり方だとハート氏は評価しています。それはまた、お金をかけない新しいやり方でもあるというのです。それは臨時支出のわずか10パーセントを使うだけで、貧しい多くの国のモデルになり得るというのです。いまや、コロンビアにある教師が、1人か2人しかいないような小さい学校のすべてを含む24 , 000の地方の公立学校のうちの18 , 000ほどの学校に、何らかの度合でそのプログラムはとり入れられているそうです。「新しい学校」が、どのような点で革新的と言えるのか、そこにみられる多くの方法を要約することは難しいと言います。なぜなら、20年以上もかかって練り上げられてきた、洗練されたものだからです。ハート氏は、これらの学校の環境に関する、民主的なコミュニティ活動に焦点を当てていますが、子どもたちに民主的な市民権に対する知識と技術と関心を持たせる複合的な方法を明らかにするために、まずはこのモデルを概観する必要があると言います。

コロンビアの地方の子どもは、長時間を労働に従事しています。学校は、1人か2人の教師しかいないような、ひじょうに小規模のもので、他のラテンアメリカ諸国と同様、教育の質は貧しかったのです。子どもたちは、農繁期には働かなければならなかったので、いきおい出席は不規則になりました。落第を繰り返し、勉強がほとんど進まないことを、自分でもわかっていました。そのため、異年齢の子どもが混じったクラスで、柔軟なカリキュラムをつくるという実験が行なわれるようになったのです。ほとんどの学校には、50名足らずの子どもしかいませんでしたので、そういう実験はやりやすかったのです。お手本となったのは、伝統的な教室での勉強に代わる、新しいやり方をすでに実験したよその国々でした。

子どもたちが1人で、あるいは他の子どもたちと一緒に、小グループでカリキュラムに従って自主学習をし、教師は教えるという役割から解放されて、子どもたちの自主学習の結果出てくる質問にファシリテーターとして答えるという、いままでよりもよく学べるプログラムがつくられました。一般に「アクティプ学習」と呼ばれるこの種のモデルでは、複数の学習コーナーで、同時にいくつかのクラスの活動ができるようになっており、もっと進んだ学習をする生徒たちのためには、学校図書館や教室の図書コーナーがありました。

多機能センター

ブラジルのレチフェのマリア・ダ・コンセイサン保育園は保育園であり、デイ・ケアセンターであり、6歳の子どものためには読み書きを教える学校であり、もう少し大きい子どもたちのためには、小学校です。ここは、通常11歳ないし12歳まで、子どもによっては14歳まで在籍しています。このような具合に、いろいろな機能を兼ねています。それはまた、小学校を卒業した10代の若者が1日のうちの数時間を学校で勉強し、数時間は職業訓練を受ける職業訓練センターでもあるのです。また、住民の委員会やさまざまな特別の目的をもったコミュニティ・グループの集会の場所でもあります。ここでいうコミュニティ・グループの多くは、例えば雪崩防止の活動を目的に結成されたグループなど、10代の若者たちの関心から生まれたグループだそうです。このセンターは、貧しい人々に喜ばれる活動の一部を担っていることを、たいへん誇りにしており、レチフェやその他の地域の「民衆の教育者たち」のための、組織的管理コースと教育コースを備えた訓練センターにもなっています。

このセンターは保育園から出発したものですが、経験を積んで、その方法論を発達させ、改善を重ねながらだんだんに大きくなっていったそうです。これをつくったグループは、学校を運営し、それをコミュニティへ広げようとしていますが、コミュニティへの参加を活発にするには、この地域の伝統文化、とくに音楽とダンスを利用するのが最良の方法であると気づいたそうです。この学校の最初の生徒たちは、いま4年生になっているそうです。これは公立ではありませんが、連邦政府からいくらかの資金が出ているそうです。このグループが強調しているのは、コミュニティの住民のための社会的、文化的なアイデンティティの大切さです。一般のセンターと同様に、この学校は文化を発展させ、政治活動を通してコミュニティの生活を良くしていこうとしています。カリキュラムはいろいろなテーマでつくられ、毎月の最後には、子どもたちがその月のテーマで学んだことすべてを網羅した、遊びとダンスとスピーチからなるパーティーが開かれます。

センター全体がコミュニティづくりに関わっているので、子どもや10代の若者も自然にコミュニティに関わるようになり、そして新しいプロジェクトを立ち上げさえするようになります。子どもたちと10代の若者は、コミュニティのいろいろなグループに所属します。ハート氏が訪問したときは、政府がその伝統的な文化の魅力を売り物にして、そのコミュニティを観光地化しようとしていました。もし、観光地化が進めば、彼らの伝統的な文化の多くが失われると心配する住民が大勢いました。このプロジェクトに関わった子どもたちは、コミュニティの歴史を記録するためにお年寄りをインタビューしましたが、このことで観光開発反対の一翼を担ったのでした。「文化的な抵抗運動」は、一般に学校にとって重要なテーマですが、この観光地化に立ち向かう活動をしている間は、特別の注目を浴びたのでした。

このような団体は、一般に環境保護の専門家や環境教育者からの技術的援助を得られるものですが、この学校はコミュニティの問題を正しくつかんで、それへ働きかける方法だけでなく、その組織や学校とコミュニティとの関係の点でも、世界中のどの公立の学校より進んでいます。ただ、これらの学校は国のシステムに組み込まれていないため、子どもたちがさらに高度な教育を受けるために進学することがたいん難しい点が残念だとハート氏は言います。

決められたカリキュラム

環境教育の時間を設定するのがよいとする最も明らかな理由は、社会科、理科、芸術、国語といった別々の教科で学んでいたことを、地域コミュニティの研究と行動、すなわち野外活動での学習を通して統合する特別の機会ができるということです。別々の科目を通して、こうした統合を行なうこともできますが、多くの教師がそれぞれ専門の科目を教えている学校では、調整のために、教室外での時間を多く取りすぎるかもしれません。そこで、この特別な環境教育の授業は、子どものコミュニティ研究と行動計画のすべて、および他のすべての科目と教師たちをひとつにまとめていくものになるのです。

ハート氏が提案している環境の研究と、行動を進めようとするときにさらに困ることは、国定のカリキュラムがあまりにも詳細に決められている場合に、子どもと教師が、自分たちがコミュニティのなかで見い出した問題の追究に、どこまで関われるかという点です。教師がこの障害を、真正面から乗り越えるための方法は、環境プロジェクトで子どもが続けている活動と、カリキュラムが要求している内容の概略を、定期的に照らし合わせてみることです。これは、環境のアドバイザーと理想的な協同ができれば、毎週の教室での効果的な計画づくりの活動にすることができるというのです。そうなれば、決められたカリキュラムは研究の障害になるのではなく、むしろ環境研究によって育つ子どもたちの、いろいろな技術や知識を判断する貴重な材料になり得ると言います。計画をたてるために、少し余分な時間を必要としますが、よい教育のためには、それは当然のことだというのです。

世界中の多くの家庭にとっては、毎日きちんと出席しなければならない公立の学校のシステムは、非実用的である場合があるでしょう。その理由は、子どもに仕事をさせたいとか、自分や家族の毎日の生活にとって、国のカリキュラムは見当違いのものである、といったことです。地域コミュニティが独自に、公的機関からも私的機関からもほとんど援助を受けないで、いろいろなタイプの非公式な学校をつくっていることがよくあります。そういう学校では、そのコミュニティ特有の問題を敏感に受け止め、そこで必要とされている基本的な学習要求に焦点を合わせており、標準的な公立の小学校でその標準の修学年限と年齢構造と教育方法によって与えられる教育よりも、もっと柔軟な教育を授けることができるというのです。こういう学校は、コミュニティが仕事で忙しい時期かどうか、例えば、農繁期、農閑期などに合わせてスクールカレンダーを変えたり、生産のための活動と勉強を結びつけるといった、新しいやり方を創り出しているだけでなく、コミュニティによりよくマッチしたカリキュラムをつくっていることも多いようです。

ハート氏がみてきた非公式の学校の最も魅力的な点は、子どもを教育するという目的とコミュニティをつくるというより、大きな目的を合わせた教育のモデルになる可能性が高い点だったそうです。次に紹介する学校を訪問している間、彼には、学校の子どもたちの勉強がどこで終わったのか、そしてどの時点からコミュニティ参画の活動が始まったのかが、よくわからなかったそうです。なぜなら、それらは同じ建物の中で起こっていて、しかも多くの点で同じ事柄であったからだったというのです。

コミュニティ参画

コミュニティに参画させることが、子どもの発達を促すよい手段だと以前から認められてきてはいますが、公立の学校のシステムを通して、子どもや青年のコミュニティ参画を促そうという、国をあげての試みはほとんどないようです。ほとんどの国のほとんどの公立学校は、周辺のコミュニティおよびその環境の問題から完全に隔離されたままであると言います。市民が民主的な参加に興味をもつようになるには、その良さを体験するしかないと思われますが、「市民の責任」はいまでも、他のカリキュラムと同様に、教科書によって教室のなかで教えられる状況にあります。ジョン・デューイの進歩的な教育哲学や、その後に続いて出た多くの教育哲学さえも、学校を社会の縮図とみて、「民主主義」は学校を使ったシミュレーションによって教えられるものと考えていました。世界中で環境危機に対する認識が高まり、環境教育プログラムを開発しようと多くの国が急いでいる昨今、子どもが自分の周辺のコミュニティの環境の問題に、本当の意味で関わることが必要であると強調することは、きわめて大事であるとハート氏は言います。

小学校は世界中のほとんどの子どもが在籍するところなので、とくに重要だといいます。残念ながら教師の多くは、子どもと一緒に野外で活動することにまったく関心がないか、それをこわがっているようです。学校は持続可能な地域づくりの長期戦略の拠点であり得るということを、開発NGOおよび環境NGOにわかってもらう必要があると言います。ハート氏らの究極の目的は、学校および学校のカリキュラムをコミュニティづくりと結びつけることが、当り前の教育概念となるようにすることだそうですが、それにはまず、環境NGOがその仲介者の役割をすることだと言います。環境NGOは、コミュニティづくりと環境問題の目的を、国が制定した学校カリキュラムの目的と結び付けることによって、その手助けをすることができるというのです。このためには、プログラムづくりで教師と協同することと、教師が地域の環境の調査と行動を通して、カリキュラムの目的を満たせるように、継続して授業を援助することが必要だと言います。

ハート氏が述べているような、コミュニティや地域問題と結びついた環境教育を、学校で取り入れようとするときには、公立の学校のカリキュラムが、多くは国によって定められていることが大きな障害の一つとなります。コミュニティの環境の研究を学校と共同で行ないたいと思って働きかけをしている人は、環境教育は新しい別の科目ではなく、どんな科目にも統合されうるものであることを教師に納得させることが大切だと言います。環境教育は新しい分野の内容を持つものではありませんから、これは可能だというのです。環境教育のどこが学問的に「新しい」かといえば、生態学的なものの見方だと言います。この見方は、各科目で別々に教えられるべきものではありません。理科と社会科と芸術分野に環境教育を割り当てることは非常に重要であり、そうするときに最もよく理解されます。この意味でそれは、国語(読み書き)と同じだと言います。つまり、生態学的な考え方は、国語と同じように、いろいろな科目で学ぶことができるのです。しかし国語でもそうであるように、環境問題を強調するために、カリキュラムのなかに特別にその時間を設けることが望ましいと思う学校があるかもしれません。