他者理解

個人主義文化の伝統のなかで成長する子どもの社会的なものの見方の発達と、もっと共同体意識の強い伝統のなかで育てられる子どものそれとは異なるかもしれません。子どもたちの自己中心的な段階が、以下に述べるようには顕著に現われない社会もあるかもしれませんが、子どもと一緒に活動しようとすれば必ず、ある状況を同時に多面的に考えることが子どもたちには難しいということに気づかされるであろうとハート氏は言うのです。非常に限られた側面においてではありますが、子どもは3歳までには他人にはそれぞれのものの見方があることを知るようになると言われています。しかし、他人にはそれぞれの感情と思考があることにだんだん気がつくようにはなっても、一方で5、6歳までは、人の行動に潜在する主観的・心理学的側面と、客観的・身体的側面との間で混乱が生じます。例えば、他人がわざとやっていることと、そうでないことの区別ができません。7歳から12歳で、子どもは自分を外から見ることを覚え、他人との関わりを自省的に見ることができるようになり、そして他の人々も同じことができるということが分かるようになると言われています。

しかし、この能力は、実は最近の研究では、もっと早い時期に分かるようになるのではないかということが研究されています。ですから、子どもは早い時期から他の人が考えたり、行なったりしていることを、予測できるようになり、自分と他人のものの見方をうまく整理する能力がだんだんに高まってくるのです。初めのうち子どもは、他人の見方をとり入れて、その結果、他人のものの見方や行為の意図がわかるようになります。おおよそ10歳以上になってやっと、自己と他者の間の心理関係を認識するようになると言われてきました。つまり相互的な見方をすることができるようになるということです。そして子どもはこの頃、興味はあるが少しこわいといったような、多面的で入り交じった感情が人にはあるらしいことを知るようになるのです。

青年期までには、人は他人の考えに気づいているだけでなく、他人が自分のことを考えているかもしれないということを鋭く感じるようになります。そのような内省的な力ができてくると、他人と方略的な計画をもって関わるようになります。互いに相手の見方に立つことは、持続的な民主主義のグループに身をおくことができるためには必要なのです。これらの能力はまた、青年期の初期から中期にかけて特徴的な自己意識を高めることになり、そのためにしばしば仲間から孤立してしまったり、仲間との関係や自分が仲間にどう見られているかに極端に重きをおくようになるのです。こういった感情は、若者が他者と一緒のプログラムに参画しようかしまいかを選ぶうえで重要な役割を果たすとハート氏は言います。

青年期のこうした相互的な見方の能力を超えたところに、もっと次元の高い「社会的・象徴的な見方」がある、とセルマンは仮説を立てています。この見方ができてくると、すべての個人が共有できるような、一般化された社会的・法律的・道徳的な見方を形づくっている、複合的で、相互的なものの見方がどのようなものかを想像できるようになるというのです。

人は、正確に意思を伝達するため、また理解を容易にするために、他人はこの共通の視点を使っていると信じています。12歳以降になればいつでも現われ得るこの最終段階は、子どものためにもっとも実り多い、協力的なプロジェクトを用意するべき段階だというのです。

他者理解” への6件のコメント

  1. 人の心の状態を推測して、理解することが難しい子どもが増えているようにも思います。そういった心の動きに関する理解は、「最近の研究では、もっと早い時期に分かるようになるのではないかということが研究されています。ですから、子どもは早い時期から他の人が考えたり、行なったりしていることを、予測できるようになり、自分と他人のものの見方をうまく整理する能力がだんだんに高まってくる」というように、早い時期から、多様で画一的でないヒトとの触れ合いをしてこなかった子どもは、そういった心の機能を活用せずにきてしまった影響が出ているのでしょうか。そして、他者を理解するよりも、まずは自分を認識しなくてはなりませんね。トマセロ氏は、9ヶ月ごろから他者認識革命が起き始めるといっていましたが、他者を認識する前から、相手と自分は異なる存在だという自分を認識し、次のステップにいつ移行していくのかが肝心なのかもしれないとも感じました。

  2. 他者の思いを理解することは社会を形成する力として非常に重要な力になりますね。そして、藤森先生も言われているように、それはかなり早い段階から育ってくると考えられていますね。我が子への影響のこともあり、2021年で一番売れたと言われる「スマホ脳」という本を読んでいるのですが、思っていた以上に内容の中で最新の研究の紹介がされていました。やはりその中でもかなり早い段階から他者と子どもを触れ合わせる重要性、またここ10年で明らかに他者の思いを理解する力が失われている子どもが急増しているという科学的なデータもあるそうです。ますます、乳幼児期における子ども同士の関係、子ども集団という環境の重要性を感じます。

  3. このように子どもの発達段階をもとに子どもの環境を考えていくといかに多様性があり、様々な関わりのある環境を用意することが重要になってくるのかということが分かってきます。昨今のニュースを見ていても、「互いに相手の見方に立つ」ということができていないような事件が多くあり、人との関わりに孤独を感じている人が多いように思います。それでは持続的で民主主義のグループが出来ているとは言えませんし、いくら自殺やうつ病といった問題、社会問題にルールを作ったとしても、良い結果にはつながらないように思います。社会性や法律、道徳といったものを学んだとしてもやはり、根底には実感がなければ意味や意図を理解することには繋がらないのだろうと思います。成績や学歴など以前に、「社会を構成する」ことの重要性にもっと目を向けていくことが重要になってきますね。

  4. 大人と言われるような年齢に至っても「他人がわざとやっていることと、そうでないことの区別ができません。」まぁ、区別できないことがママあります。人をいじる、という行為があります。嫌だな、と思います。しかし、ある時、自分がいじっている、とわかってひどく嫌な思いをすることがあります。人間関係は優劣、強弱、等々を基本にしているのでしょうか。ですから、いじる人、いじられる人、という関係が成立するのでしょうね。私たち大人もかつてはこどもだった。この「区別ができ」ない頃の心情が潜在意識の中に残っているのでしょう。大人にあるこども性、この本性に私たち大人はもっと向き合うべきでしょう。子どもの参画を促す大人になるのであればなおさらそうでしょう。いつからかはわかりませんが、人はある時から他者に押しつけがましくなります。「あなたはあなたのままでいい」という参画の基本を忘れてしまうようです。

  5. 「ある状況を同時に多面的に考えることが子どもたちには難しい」とありますが、大人でもなかなか難しい能力であると思います。大人は経験や知識に基づく対応力や適応力が身についているためにクリアにできやすいのかも知れませんが。昨年の夏の話になってしまいますが、午睡の時間中、起きているすいすい組の子たちに対し、”光のゾーン”を開けることにしました。光のゾーンはせいぜい3・4人しか入れませんから、入りたい子に挙手してもらい、順番制で名前を書いていました。そのすぐあと、他のある先生が”木工ゾーン”を開けるため、そこに名前のない数名の子に声を掛けていました。急でしたし、私とその先生の間に光のゾーンと木工ゾーンを使い分けようという打ち合わせもありませんでした。後々に光のゾーンへの入室に手を挙げなかった子になぜか聞いてみると、「木工ゾーンが開くと思ったから手を上げなかった」との返事が。少し話は逸れてしまいましたが、子どもが先を予測して行動した場面でとても鮮明に覚えています。大人が思うよりも子どもたちは考えて行動していると思わされました。

  6. 先生が講演にてお話してくださる他者と協力するという人類の生存戦略において、この他者理解というのはまず基本の所にあり、とても大切であるというのを感じます。個人的にもこの他者理解というものは、常に意識していかなければいけない永遠の課題だと思いますが、生きていくうえでもそれだけ大切に感じる能力だとしたら、文中の3歳の「他人にはそれぞれのものの見方があることを知る」レベルではちょっと厳しさを感じます。はやりもっと早い段階から、深く知れる能力を身につけている必要がある気がします。こうした認識を正しく持ち、より協力的なプロジェクトを考えていきたいと思います。

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