グループの活動

困難な課題の取り組み方を学生に教えるもっともよい方法は、やり方の「お手本」を示すことであると考えられていることが多いようです。しかし、お手本を示すことは、彼らに自由で民主的な問いを出せさせようとする試みとは相反すると言います。つまり、子どもたちが課題に対して、自分たちの解決案をつくるのを励ますのではなく、逆に何かをやるための決まった方法、あるいは好ましい方法を示すことになるからだというのです。子どもが民主的に参画することを促すもっとも適切な方法は、対話に基づくものだと言います。さらに、人はばらばらな行動の連続ではなく、行為や相互作用の一連のパターンを、習得していくということが、現在一般に認められています。子どもや青年は、何かの話題について討論するなかで、明らかになる意見の違いによってだけでなく、仲間と論争し、相手を説得しようとすることによって、自分のものの見方と他人のものの見方の違いにさらに自覚的になるのです。このような内省する能力によって、将来の社会的な相互作用が生み出されるのだというのです。ときとして、調整役としての大人の介入が必要かもしれませんが、参画する子どもは、できるだけ自分たちの民主主義を、自分たちでつくるように奨励されるべきであると言います。成功するグループでは、何かの案について討論したり、どのように課題にとりかかるかを決めるようなときに、いろいろなメンバーから出された代替案を考慮に入れるよう促されるでしょうし、またお互いの貢献を認めあうように促されるでしょう。またそういうグループの活動は、グループのメンバーが相互に学び合うことの価値を、はっきりと反映するように計画されているでしょう。その価値とは、道理にあった言動、秩序正しさ、他者の感情を尊重すること、平等性、リスクを冒す自由、他者のいうことに耳を傾ける能力などだというのです。

ハート氏は、最後に述べておくべきことは、大人と一緒の調査研究では、グループ・アイデンティティを確立することが、社会的な協力関係を育てるうえで非常に大事であることがわかってきた、ということだと言います。したがって、子どもに対してこのようなグループ・アイデンティティの感覚を養う機会をつくり、それを支えることは、彼らの民主主義が発展するための糧になるだろうというのです。

次にハート氏は取り上げているのは、「コミュニケーションと協力」です。ごく幼い子どもは、言葉の基礎がまだ充分できていないために、コミュニケーションの能力が限られています。3歳から7歳ぐらいで上手に話すようになりますが、もっと年齢の高い子どもや大人とは違ったコミュニケー-ションの取り方をします。自分の考えや経験・感情・欲求を流暢に表わす彼らの能力には、ときとしてハート氏は感動を覚えると言いますが、彼らは他者の視点に立つことができないため、聴き手に合わせて話を調整することができないのです。こうした限界があるので、彼らは上手に駆け引きしたり、交渉や妥協をすることができません。コミュニケーションのスキルは、子どもから成人になるまでに、徐々に発達していくものです。しかしながら、そうしたスキルは育成することができるというのです。

グループの活動” への5件のコメント

  1. お手本を示すことについて「子どもたちが課題に対して、自分たちの解決案をつくるのを励ますのではなく、逆に何かをやるための決まった方法、あるいは好ましい方法を示すことになるからだというのです」とありました。なるほど、このような見方もできるのですね。確かに、共通の目的に向かっているならばこのお手本を示すということも有効的なのでしょうが、子どもたちから引き出すということに対してはある意味では答えを暗示してしまっているということにもなるのかもしれませんね。自分から子どもがそれを見て学ぶのはいいのでしょうが、「ほら、こうやるんだ」はまた違ってくるのかもしれませんね。「子どもが民主的に参画することを促すもっとも適切な方法は、対話に基づくものだと言います」とありました。言葉が発達した子ども達を想定しているのかもしれませんが、子どもにいろいろ聞いてみることで、漠然としているものがくっきりとしてくるということはありそうなので、このような関わり方は参考になりますね。

  2. お手本を示すことは、「自由で民主的な問いを出せさせようとする試みとは相反する」「逆に何かをやるための決まった方法、あるいは好ましい方法を示すことになる」という面があるということでした。大人はお手本を示すことに注力してしまうのは、やはりこれまでの子ども像が関連しているのでしょうね。お手本を示さなければ正しいことができない存在であると認識していた時代から、能動的で有能な存在として社会の貢献者である子どもたちが、問題や課題に対して、自分たちの解決案をつくるのを励ましたりサポートすることが我々の役割であることが近年ではスタンダードになっていくことを以前学びました。そして、子どもや青年が、「討論」や「論争」によって「自分のものの見方と他人のものの見方の違いにさらに自覚的になる」といった力が身に付く大切な要素であることが再認識できました。

  3. 「お手本を示すことは、彼らに自由で民主的な問いを出させようとする試みとは相反する」とあります。確かに「お手本」というのは一つの提案であるのですが、その一方で、「答え」であると考えてしまうということもあります。こういった一つのジレンマは保育の中でも度々出てくる悩みではないでしょうか。全くの提案が無い状態で活動をしていてもいいのだろうか。意図や意味に合った結果になってくるのだろうかと不安になる部分もあります。しかし、それ自体が大人の考える活動に子どもを当てはめていることになるのかしせれません。そのため、対話や討論というものが必要になってくるのでしょうが、そこでも大人の介入の仕方には気を配らなければいけませんね。大人の一言は子どもたちにとって影響力のあるものだという事を自覚し、あくまで討論が円滑になるようなフォロー的な距離感でいなければいけないのだろうと思います。これには「大人の余裕」や「結果ではなく、過程に意味があるということ」、「子どもの権利」というものを理解していないとできないことなのかもしれないと思いました。なかなか、手放しというのは勇気のいることです。

  4. この「お手本」に関する知見、まことにその通りですね。「 子どもたちが課題に対して、自分たちの解決案をつくるのを励ますのではなく、逆に何かをやるための決まった方法、あるいは好ましい方法を示すことになるから」。「お手本」を示されると、自分を殺して、そのお手本通りにしようとします。真似てもなかなか真似られないことがあります。それもそのはずです。そのお手本を示す人と真似る人とでは生い立ちが違うのですから。人とあれこれやり取りする中から「自分のものの見方と他人のものの見方の違いにさらに自覚的になる」のですね。ある発達過程までの子どもたちは、そうなるまでジレンマや葛藤の中で生きてくる。人との関わりの中から自分というものを知り、そして他者の存在を知るようになるのでしょう。具体的な物や空間、事象を介して、人間関係が形成されていく。ある時期の子どもが「自分でやる」とやれもしないことにチャレンジすることがあります。これも自己主張にとどまらず、来るべき社会参画のための準備と捉える必要がるのでしょう。様々なことに気付かされますね。

  5. 「お手本を示すことは、彼らに自由で民主的な問いを出せさせようとする試みとは相反する」とありますが、大人でも何かの課題に直面した際、ただ他を模倣しただけではしっくりこないということがよくあると思います。頭よりも手が優先されて動くために、形だけは及第点に達するものが出来あがる。大人であればそこにアレンジや工夫を加えることができるのでしょうが、子どもは模倣して完結させてしまうことがあるかもしれませんね。本来子どもは自由で豊かな発想をもち、それをはっきり「〜したい!」と伝えることができます。困っていれば大人がヒントや方向性を指し示す必要があると思いますが、「参画する子どもは、できるだけ自分たちの民主主義を、自分たちでつくるように奨励されるべきである」とあるように、彼らのコミュニケーションや想いから生まれるアイデアや考えや感覚を育み、実現させる手助けをしてあげることが望ましいのですね。

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