アイデンティティの発達

さらにパーソナル・アイデンティティとか自己概念というのは、どちらかというと西欧的な観念であり、他の文化ではより広く社会につながっていることが個人の位置づけとして重視されているかもしれないとハート氏は考えています。しかし、子どものアイデンティティの発達に限っては、アイデンティティとは何かしら個人の内部にだけあるものではなく、社会的なプロセスであるという点が、すべての理論において共通していると考えます。社会への理解と、自分の理解は、相互に影響しあい、規制しあいながらできていくと言うのです。

いろいろな説があるなかで、児童期中期と青年期におけるアイデンティティの発達の度合は違うという点ではみな一致しています。このことは子どものコミュニティ参画ととくに関係があり、子どもと青年とでは違った参画の仕方が必要であると言われています。8歳から11歳の子どもたちは、独立したアイデンティティを形成するにつれて、熱心で、外向的で、勤勉になります。一方、青年はより内省的、哲学的で、自分でつくってきたアイデンティティを試すという特徴があると言います。ですから、子どもにとってのグループが、自分の力や独立心の芽生えを表現する場所であるのに対して、青年にとってのグループとは、つくりあげつつある自分のアイデンティティを試すための舞台の役割を果たすと言います。

児童期中期の勤勉さの高まりは、いろいろなことを他の人と一緒にすることとも関係していると言います。労働というものが、いろいろに分かれていることに気づき、この時期に広がる機会を仲間と分かち合うことを覚えるのです。そして子どもたちは、経験や自己像を自分のものにしていくやり方は、他者が自分を見る見方とほぼ同じであることを、きちんと認めてもらいたがります。この年齢の子どもたちのための団体は、例えば地域調査を行なうというような取り組みやすく、知的な魅力のあるプロジェクトへ誘う刺激と材料を与えるべきだと言います。この年齢の子どもは、自分のアイデンティティを感じようとして、世間に対して積極的になることに、たいへんなエネルギーと意気込みをもっており、また次第に世界を鏡として使うようになります。しかし、10代の初めぐらいの子どもは、強い勤労意識に突き動かされる一方で、努力がうまく実らなかったとき、あるいは適切な反応がなかったときには、劣等感で挫折してしまうこともあり得ます。子どもは、ときには高過ぎる望みを実現しようとしますが、そうしたときには団体がそれをサポートする必要があると言います。団体は、意義のある具体的なプロジェクトに子どもを関わらせるだけではなく、子どもの大きな計画をその団体の仕組みと実際的な資金の面で支え、失敗しないようにできるだけ守ってやることも必要であります。またその団体は、子どもが失敗に対処することを学ぶ手助けをしなければならないこともあります。もし確実なプロジェクトと適切な指導が行なわれるならば、この年齢の子どもは地域の一員としての役割を果たすことができるというのです。そこでは勤勉さが評価され、仲間や大人と一緒に意味のある仕事に従事することができるからです。青年は大きな生理的変化を経験するとき、自分の社会的な役割を確かめようとして、いくつもの違ったアイデンティティを試してみます。有名な理論家エリック・エリクソンは、アイデンティティの意味を定義づけています。

アイデンティティの発達” への6件のコメント

  1. 「アイデンティティとは何かしら個人の内部にだけあるものではなく、社会的なプロセスであるという点が、すべての理論において共通していると考えます。社会への理解と、自分の理解は、相互に影響しあい、規制しあいながらできていくと言うのです」とありました。ついつい自分とは、本当の自分とは何かということを考えてしまいますが、それは個人の中にはないということを感じます。社会的な関係によって自分は常に変化しますね。関わる相手が変わることで、自分も変わります。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ではありませんが、人は常に変わるということを感じます。少し話がそれてしまいました。また児童期中期と青年期の違いについてありました。このように発達を理解することで、適切な子どもへの関わり方が見えてきますね。発達を理解すると、無理に押し付けたり、強制させるような関わり方にはならないように思います。

  2. エリクソンは、青年期で最も重要なこととしてアイデンティティの確立であると言っていたように、その時期の自己認識は、児童期とは異なるものであって、成人期に向けて多大な影響を及ぼす物であることを感じます。また、「青年にとってのグループとは、つくりあげつつある自分のアイデンティティを試すための舞台の役割を果たす」というように、その時期の仲間集団との関わり方が、自分のアイデンティティ確立のための練習になっているようですね。自分を振り返ってみても、青年期での仲間集団での自分の行動は、社会性と集団、他者と自己などといったものを総合的に捉えて試していた気がしています。そして、その試した結果や過程は、まさに今の自分のアイデンティティに影響しているようにも思います。

  3. 「8~11歳の子どもたちは独立したアイデンティティを形成するにつれて、熱心で、外交的で、勤勉になる」とあります。確かに、その頃はテストというものが将来を決めるというほどの意識でもなく、純粋に「いい点を取る」くらいの感覚でしかなかったです。そのため、中学校以上のように追われるような感覚はなかったですし、知ることや学ぶことにおいても割と楽しんでいたように思います。そして、その頃の「独立したアイデンティティ」を形成するためは個々のアイデンティティの形成が守られるような環境を用意していく必要があるのだろうと感じます。そして、その後青年期において「自分で作ってきたアイデンティティを試す」ためにはそれが保証される環境が重要になってくるのだろうと感じます。これらのことを含めて考えても、どの時期においても、「主体的な環境」というものがどれだけ重要であるのかという事を改めて感じます。「自ら見つけ」「自らで理解できる」環境をいかに作っていくのか、社会の在り方が求められているように思いまし、それぞれの子どもたちに向き合う個人としての尊重がもっと必要なところはあるのでしょうね。

  4. 私が、「アイデンティティ」という概念を意識し始めたのはおそらく高校生から大学生の頃だったと記憶しています。大学で哲学を専攻した私は、このidentityということを友人と語り合ったものです。で、それは何か、という結論は得ないまま、時は過ぎゆきましたが。「青年はより内省的、哲学的で、自分でつくってきたアイデンティティを試すという特徴がある」とありましたが、まさに、友人たちとの討論の場で、あるいはボランティア活動の場で、確かに「自分でつくってきたアイデンティティを試す」ことに精一杯だったような気がします。一方、「8歳から11歳の子どもたちは、独立したアイデンティティを形成するにつれて、熱心で、外向的で、勤勉になります。」ということで、このことから私は「性格スキルのビックファイブ」を思い起こすのです。特に「勤勉」ということに注目するのです。

  5. ”アイデンティティ”という言葉を知ったのは大学生の頃の教養科目での授業だったように思います。と言っても”アイデンティティ”というワードが先行していてどこか雑然としたイメージを感じていました。大人になって改めて調べると”主体性”や”自分が自分であること”や”自己同一性”と出てきます。文中に「8歳から11歳の子どもたちは、独立したアイデンティティを形成するにつれて、熱心で、外向的で、勤勉になります。一方、青年はより内省的、哲学的で、自分でつくってきたアイデンティティを試すという特徴がある」とありましたが、児童期や思春期の頃に意図せずとも、自己形成をする中で自分というものを自分を取り巻く環境や大人に対して問いかけていたのでしょうか。知的・感情的・情緒的に環境から大きく影響を受けながら発達していく子ども達だからこそ、大人達が一人一人に関心を持って接する必要があると感じます。

  6. 「子どもにとってのグループが、自分の力や独立心の芽生えを表現する場所であるのに対して、青年にとってのグループとは、つくりあげつつある自分のアイデンティティを試すための舞台の役割を果たす」という箇所がとても面白く、まさにその通りだと感じます。こうしたことを知るといかに、幼少期にグループにてアイデンティティを形成していくかといった結果が、その後につながっていくという大切さを感じます。

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