認知的基盤

認知的基盤のうち、伝統的に重視されてきたのが、リテラシーとニューメラシーです。2030年あるいはそれより先の未来においても、リテラシーとニューメラシーが重要であることには、変わりはないだろうと白井氏は言います。日本でも「読み書き算盤」という言葉があるように、伝統的に、リテラシーとニューメラシーは学習基盤の双璧とされてきました。それは長年にわたる教育の成果でありますし、人類共通の知恵とも言えます。

リテラシーとニューメラシーが大切だとされるのは、それらが、学習を進めるうえでの基盤であるというだけでなく、学校教育を終えた後の人生で、充実した生活を過ごしていくための基盤にもなるからです。というのも、一人の自立した市民として商品やサービスを購人したり、自分の考えに沿って選挙で投票をしたり、地域コミュニティの活動に参加したりするといった社会的な活動を行っていくためには、リテラシーとニューメラシーが必須だからです。それゆえ、ラーニング・コンパスにおいても、発達の基盤の一つとして位置づけられているのです。

ところで、リテラシーの概念は、近年、 ICTリテラシーやメディア・リテラシーなど様々に派生して使われていますが、本来の意味でのリテラシーとは、「他者と効果的にコミュニケーションをとったり、様々な事柄を理解することができるように、読んだり、書いたり、話したり、聞いたりする能力」とされています。より具体的には、「様々な様式や文脈、目的のテキスト、あるいは視覚で得た情報を理解し、解釈し、活用し、創造する能力」ということになりますが、いずれにしても、リテラシーは、人間のコミュニケーションにとって不可欠な基盤ということになります。

ニューメラシーについては、OECDが行ったPIAAC (国際成人力調査)の専門家グループでは、「成人の生活の様々な状況における数学的な需要に対応して、数学的な情報やアイディアにアクセスしたり、活用したり、解釈したり、伝えたりする能力」と定義しています。また、各国教育省においても様々な定義が見られますが、例えば、オーストラリアではニューメラシーについて、「生徒が様々な状況において数学を用いるのに必要な知識、スキル、ふるまいや性向であり、社会における数学の役割を認識し、理解することや、数学の知識やスキルを目的的に活用しようとする性向や能力を含むもの」と、より広く定義されています。コンセプト・ノートにおいては、ニューメラシーはデジタルの環境も含めた日常生活において、数学的ツールや推論、モデリングなどを使う能力と理解されるとしますが、とりわけ、デジタル環境の場合には、ニューメラシーとデジタル・リテラシー、データ・リテラシーを組み合わせて活用していくことが、より重要になってくるだろうと白井氏は言います。

もっとも、リテラシーやニューメラシーが大事だとしても、2030年の未来においては、それらが、必ずしも従来と同じような形で求められるわけではないだろうと言います。例えば、リテラシーがコミュニケーションを支えるものであるとしても、2030年には、コミュニケーションの手段自体が大きく変わってくると考えられます。

認知的基盤” への5件のコメント

  1. リテラシーとは、「様々な様式や文脈、目的のテキスト、あるいは視覚で得た情報を理解し、解釈し、活用し、創造する能力」ということで、学びの本質のような能力であることが伝わってきます。以前、藤森先生は「学び方を学ぶ必要がある」とおっしゃっていたことがありました。これはまさに、リテラシーのような能力を日常の中で習慣化させることを意味しているかとおもいます。子どもが目の前の他児の動きを理解して解釈して活用して自分の力としてそれを活かした新しい価値や行動へと結びつけらるような環境設定となると、自然と「異年齢保育」や「ゾーン保育」などになっていくのでしょうね。同時にそれらは、「いずれにしても、リテラシーは、人間のコミュニケーションにとって不可欠な基盤」ということで、コミュニケーションの本質でもあることが伝わってきます。

  2. メディアリテラシーという言葉は最近では耳にする機会が増えてきました。なんとなくの印象で理解していましたが、言葉の意味としてはそのような物だったのですね。他者とコミュニケーションをとったり、様々な事柄を理解できるように、読んだり、書いたり、話したり、聞いたりという能力はまさに基盤的な能力そのものですね。こうやって知ることで、漠然と印象で理解していたものが少しクリアになります。印象で理解してしまい、それをそのままにしておくと間違った解釈で広がっていくので、ここで知ることができてよかったです。そう考えるとメディアリテラシーというように、リテラシーの前に何かがつく場合はそのものに対する基礎的な知識という意味になるのでしょうか。それともそもそもの基礎的な知識ということなのでしょうか。

  3. 文字や数を知りたての園児たちは、文字に触れたり親しんだり、数を数えて楽しんだり、時には足し算や引き算をしてみせたり、もう国語や算数、大好き、といった感じです。現に、卒園する頃の子どもたちから、小学校に行ったら、国語をがんばるとか、算数をがんばるとか、そうした声を聴くことができます。うれしいですね。本当にがんばってもらいたいと願うのです。ところが、小学校に行って数年経つと、そうした声は減っていきます。なぜだろう?と不思議に思います。保育園や幼稚園を卒園する子どもたちは、学校の学習、ということに大いなる期待を寄せているようです。楽しいものだと認識しているようです。それがやがてそうではなくなる。「学校教育を終えた後の人生で、充実した生活を過ごしていくための基盤にもなる」ことは事実です。大人になってから「学校時代にたくさん学んでいればよかった」という反省の声を聴くことがあります。「いれば」ではなく「いて」という大人時代を迎えたいものです。

  4. 今回の内容を見ていて、日本で勉強嫌いな子どもが多いのはニューメラシーがないからなのかもしれないなと感じました。ニューメラシーにおいて「生徒が様々な状況において数学を用いるのに必要な知識、スキル、ふるまいや性向であり、社会における数学の役割を認識し、理解することや、数学の知識やスキルを目的的に活用しようとする性向や能力を含むもの」とあります。不思議な言葉がいっぱいです。まず、数学において知識・スキルが必要なことは分かります。しかし、その後の「ふるまいや性向」とあります。数学において「ふるまい」なんて考えたこともなかったですし、「性向」(性質の傾向)ここでは「社会的な数学の役割」でしょうかといったことも考えたこともなかったです。その後、「社会における数学の役割」「目的的に活用しようとする性向や能力」も数学を学ぶことに関して考えることもなく、数学を学んだり、その他の教科においても、「進学のため」という目的になっていたと思います。なぜ、その教科が必要なのか、どういったところに活用され、それを知る必要があるのかといった「目的のために学ぶ」といったものが見えれば学ぶ意欲に大きくつながるでしょうね。よく子どもたちが「なぜ勉強しなければいけないの?」という言葉に対して、答えをしっかりと持っておく必要があるのだろうと改めて感じました。

  5. リテラシーの概念、言語化され具体化され、よく意味がわかりました。コミニュケーション能力が高い人はリテラシーが高いと言えると思うのですが、それをどのようにして育んできたのか、元々持っていたものが、どのようにして磨かれていったのか、そのような環境を保育や教育が整えられるものなのか、興味深く思えてきます。

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