リテラシーのもつ意味

2030年には、コミュニケーションの手段自体が大きく変わってくると考えられます。IoT(Internet of Things)などの形でデータが様々な形でつながったり、より多様な形で使われるようになると、例えば、オンライン、ニュ一スなどのコンテンツ、電子書籍、プログ、 SNSなど、我々の生活が、より一層デジタル形式のテキストやデータに依存することは概ね確実な方向性だろうと白井氏は言うのです。IoTとは、一般的に「モノのインターネット」と訳されますが、電化製品や自動車など、様々なモノがインターネットにつながり、情報が収集、活用されるような状態のことを指すそうです。最近、そのようなものを確かに多く見るようになりました。

そうした時代においては、リテラシーのもつ意味も必然的に変わってきます。これまでは、印刷されたテキストを読んで、解釈し、それらに基づいてコミュニケーションをとることができれば足りたかもしれません。しかしながをこれからの時代において必要なリテラシーは、「デジタル化されたテキストや様々なオンライン・メディアの情報を通じて、読み、解釈し意味づけし、そしてコミュニケーションをとる能力」となることが考えられます。また、その前提として、「非常に簡単に生産され、アクセスされ、公表されている情報を、批判的に評価したり、選別する能力」も求められると考えられます。PISA2018における読解力に関する調査においても、必要な情報をブログに書かれている情報の中から探し出す問題が出題されていますが(国立教育政策研究所2019)、こうした例も、古典的なリテラシー概念では捉えきれないものであろうと白井氏は言います。

また 、ニューメラシーについても同様に、従来のように計算をしたり、定式化された問題を解くだけでは足りなくなってくると考えられます。これからは、例えば、「日常生活や職業において必要となる様々なデータや数字に関する情報を活用し、解釈し、計算していくことができる」というレベルまでが必要とされるようになるだろうと言います。

デジタル時代においては、情報伝達の手段が多様化していくことが想定されます。例えば、伝統的な印刷物であれば、テキストを読み進めていくことが基本となります。ところが、デジタル化されたテキストの場合には、ハイパーリンクが埋め込まれていたり、音声や動画などの形で脚注が付加されている場合もあるでしょう。そうなってくると、単に文章を読んでいくだけでは足りず、様々な情報を取捨選択しながら、的確に読み取っていくことが求められることになります。すなわち、より高いレベルでの認知的能力を必要とする、デジタル・リテラシーが求められるのです。もっとも、デジタル・リテラシーといっても、従来は存在しなかったタイプの全く新しい能力でないことには留意したいと白井氏は言います。デジタル化されたテキストを読み取ったり、デジタルの手段を使って情報を伝達する力は、あくまでも伝統的なリテラシーの基盤の上に成立するものと考えられるからです。

デジタル・リテラシーと共に必要となるのが、データ・リテラシーです。というのも、情報のデジタル化が進むのと同時に、社会で扱われるデータ量は急激に増大を続けており、こうしたデータ量の増大が、人間社会の在り方に対して本質的な変化をもたらす可能性があるからです。

リテラシーのもつ意味” への5件のコメント

  1. デジタルリテラシーと聞くと、新しい考え方だと思ってしまいますが、決してそうではなく「デジタル化されたテキストを読み取ったり、デジタルの手段を使って情報を伝達する力は、あくまでも伝統的なリテラシーの基盤の上に成立するものと考えられる」というところは非常に大切な視点だなと感じました。新たに何かを学ぼうとするのではなく、これまでの経験を活かして行う、これまで経験してきたこの要素が実はこれにも活かすことができるという「関連づけ」は、別のところでも重要視されていたことでした。そして、「時代においては、リテラシーのもつ意味も必然的に変わってきます」ということだったり、これからの時代において必要なリテラシーは、「デジタル化されたテキストや様々なオンライン・メディアの情報を通じて、読み、解釈し意味づけし、そしてコミュニケーションをとる能力」というように、アナログの上に成り立つデジタルとの向き合い方や、活用術のような意味合いが強いことを感じました。

  2. 「非常に簡単に生産され、アクセスされ、公表されている情報を、批判的に評価したり、選別する能力」とありました。この力の必要性は日に日に高まっていくように思います。少し意識するだけでも、私たちの周りには多くの情報であふれています。溢れていますし、気がつかないうちに自分でどんどんと情報を取りに行ってしまっているようにも思います。人が根源的に持っているであろうと「知りたい」という欲求が満たされることはないのではないかというくらい、次に次にと情報を仕入れています。ここまで情報過多の時代は人類史上なかったことですね。しかし、好奇心を持って様々なことを知りたがるというのは悪いことではないはずですね。それこそ、先にあったように、それらの情報を全て鵜呑みにせずに、検証し、批判的に思考し、はたまた選別していくということを行なっていかなければいけませんね。あたかも本当っぽいけど、怪しい情報というのはたくさんあります。人の弱みにつけ込んだような情報もあります。それらをしっかりと検証しいく、立ち止まって考える力が重要になりますね。

  3. あるデータによると、日本人の3割は日本語で書かれた文章が理解できないとか。日本以外の先進国の国民はもっと悲惨だとか。デジタル化が進み、従来型のリテラシーの習得がないがしろにされる傾向がある昨今。「デジタルの手段を使って情報を伝達する力は、あくまでも伝統的なリテラシーの基盤の上に成立するものと考えられる」という示唆はとても重要だと私は思います。検索エンジンを用いて瞬時に情報にアクセスできます。しかし、アクセスできたところで、日本語を読解できなれば意味がありません。ましてや、英語を始めとする外国語の情報にアクセスしてもチンプンカンプン。もっとも、翻訳アプリを用いて日本語にしたところで肝心の日本語が読めない、しかも翻訳アプリが作り出す日本語は、ある意味で、難解極まりない、ですね。やってみたらわかると思います。翻訳アプリが提供する日本語が読解できてもそこには危険性が伴います。まぁ、それは良いとしても、「伝統的なリテラシー」は重要です。しかし、従来型のリテラシー手法の学習では、日本語が読めない日本人の割合を増加させていくことになるでしょう。

  4. 「デジタルリテラシー」と聞くと昨今のSNSの問題における「メディアリテラシー」を思い浮かべます。以前、ある番組でTwitterの話題が話されていて、若いタレントの方が「最近では、Twitterのあり方が変わってきて、これまでは何でもつぶやく場であったのが、それがオーディションであったり、仕事の依頼であったりもして、今までの使い方ではなく、もっと考えて発信しなければいけない場になっている」と言っていたのを思い出しました。そのときは「へ~」と思っただけなのですが、今の時代かなりSNSには敏感になっている時代であるだけに、こういったデジタルツールをいかに使いこなすかということが今後はより重要になってくるのでしょうね。私はこのSNSにおいては常々、新しいコミュニケーションが必要なのだろうなと思います。これまでの顔を合わせて関わる人間関係から見ず知らずの人との関わりに変わってきました。それはメリットでもあり、デメリットでもあると思います。相手を知らないからこそ、より相手に対する予測というのはより配慮しなければいけないものになります。デジタルリテラシーというのはア非常に便利なものでありますが、使いこなすにはそれだけのスキルも必要であると思います。使う側も発信する側もそういった情報をうまく利用し、活用する力はこれからはこれまで以上に重要になってきますね。

  5. 新聞を読むだけでなく、それについて考察し、意見交換し、解決法を探し出し、それをグループ同士で共有し、という授業風景を想像します。クリエイティブなやりとりある毎日は、クリエイティブな思考を育てることが容易に想像できます。

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