オーバーロード

カリキュラム・オーバーロードは、一般的には、カリキュラムにおいて、学校や教師、生徒に過大な負担がかかっている状態として理解されています。カリキュラムには多くの利害関係者がかかわっており、それぞれの関心分野を盛り込みたいと期待しています。そのこと自体は、21世紀になってから生じた新しい現象ではないようだと白井氏は言います。例えば、既に1939年の論文において、「近年、多くの要請が学校に対して寄せられている。(…中略…)そのため、3つのRに使われていた時間は、こうした要請に応えるために大幅に削減された」という指摘が出ているのだそうです。急速に変化する現代社会においては、カリキュラムに対する社会からの要請は、より一層強いものになっているだろうというのです。

実際、生徒が学ぶべき事柄は増大の一途をたどっており、それゆえ、多くの利害関係者も、より多くの内容を教えるべきと主張しているそうです。例えば、以前取り上げたように、近年の社会の変化により、従来のリテラシーの枠を超えて、データ・リテラシーやデジタル・リテラシーまでもが発達の基盤として求められるようになっているのです。

しかしながら、教える内容が多すぎれば、教師は十分な準備をして授業に臨むことが難しくなってきます。また、生徒にとっても、学ぶ内容が多すぎるのであれば、必然的に、内容の深い理解というよりは、「広く、浅く」学習して終わってしまうことになります。アメリカでは、カリキュラムが「幅1マイル、深さ1インチ」と揶揄されているそうですが、実際、とりあえず授業の中で少し触れたものの、本質的な理解にはつながっていないという状態は、程度の差はあっても、多くの国で生じている現象であろうと白井氏は言います。

もっとも、「幅1イル、深さ1インチ」といった「広く、浅く」のカリキュラムが問題だとしても、その逆である「深さ1マイル、幅1インチ」、すなわち極端に「深く、狭く」といった形の教育が望ましいものとも考えられないだろうと言います。学習時間が有限である以上、「深さ(depth)」と「広さ(widthあるいはbreadth )」は常に相反する関係に立つので、カリキュラムをデザインしていくうえでも、この両者のバランスには常に配慮しなければならないのです。

もっとも、オーバーロードが実際に生じているのかどうかを、客観的に判断するのは難しいことでもあると言います。教師や生徒の経験や能力、適性などによっては、大量の内容であっても十分に消化できる教師や生徒もいれば、そうでない場合もあるでしょう。すなわち、たとえ同一のカリキュラムであっても、オーバーロードになる場合もあれば、そうでない場合も想定されるのです。また、カリキュラムにおけるコンテンツの増減を数量的に評価することも難しいです。実際、カリキュラムが簡潔で短いものだからといって、必ずしも内容が少ないわけではありませんし、反対に、カリキュラムの分量が多いからといって、必ずしも内容が多いとも言い切れません。

とはいえ、カリキュラムの分量の多さは、オーバーロードが生じているとの認識に結びつきやすいのも事実だろうと白井氏は言います。

留意点

ここまで、カリキュラムをデザインする段階、また、カリキュラムを実施する段階における基本原理を見てきましたが、最後に、カリキュラムをデザインするうえでの留意点が取り上げられています。ここで特に挙げられているのは、カリキュラムのデザインに際しての教師のかかわり方です。もちろん、これまでも教師がカリキュラム改革に関わってこなかったわけではありませんが、カリキュラムの主要な担い手である教師の状況を踏まえたカリキュラムのデザインが、より重要であるということだというのです。

整合性(alignment)については、「教師の認識や実際に行われる評価が、カリキュラムと整合したものであること。評価については、必ずしも一義的な測定方法が確立しているわけではないので、目的に応じて、異なる評価の仕組みが必要になる。測定しにくい力などについては、新しい評価の方法の開発が必要である。」としています。それは、例えば、「批判的思考力」や「主体性」が大事であるとしても、それをどのように評価するかということについても、カリキュラムと整合したものでなければならないということだと白井氏はいうのです。

教師のエーシェンシー(teacher agency)については、「教師が、教育専門家として、知識やスキル、専門性を発挿して、カリキュラムを効果的に実施していくこと。」としています。これについては、教師が国や州の政策に従って受動的にカリキュラム改革に追随するということではなく、自らもカリキュラム改革を実施するエージェンシーとして、エージェンシーを発揮できるようにしていくことが大切だということだと白井氏は言います。そうでなければ、カリキュラム改革の趣旨が効果的には伝わらない可能性があるからだというのです。

策定への参画(engagement)については、「教師や生徒、その他の様々な利害関係者が、カリキュラム策定の初期段階から策定にかかわること。それによって、カリキュラムを実施する段階においても、“自分ごと”としての意義が熟成される」としています。これについては、ほとんどの国において、カリキュラム改革には多様な利害関係者が参画していますが、最終段階でコメントするだけでなく、初期段階から参画することで、当事者意識を持つことができると言います。また、最も重要な利害関係者である教師や生徒が、そうした議論に参画することも重要であると白井氏は言います。

Education2030プロジェクトでは、カリキ=ラム分析を行うにあたって、参加国と議論しながら、各国が概ね共通して直面しているカリキュラム課題を抽出していくこととしたそうです。その結果、最も課題意識が示されたのが、カリキュラム・オーバーロードです。そこで、白井氏は、カリキュラム・オーバーロードを中心に、現時点での検討の進捗状況を踏まえて、特に日本にとってもかかわりの深い論点として、「効果的なカリキュラムの実施」と「カリキュラムにおけるタイムラグ」について取り上げています。

まず、問題の所在はどこにあるかという点です。オーバーロード(overload)とは、「過積載」や「過重負担」といった意味で使われる言葉です。典型的な場面としては、既に荷物で満載のトラックにさらに多くの荷物を積載しようとしている状態がイメージしやすいのではないかと白井氏は言います。

実施する段階

次に、意図されたカリキュラムを実施する段階においては、以下の原理が挙げられているそうです。

①エージェンシー:カリキュラムが、生徒にモティベーションを与えるとともに、既有の知識やスキル、態度・価値観を認識できるような形でデザインされること。

②選択:生徒に、多様で幅のあるテーマやプロジェクトに取り組む選択肢が与えられること。また、十分な情報が与えられたうえで、自分たちでテーマやプロジェクトを選択したり、提案する機会も与えられること。

③柔軟性:新たな社会的課題への対応や、個々の生徒の学習上の必要性に応じて、学校や教師がカリキュラムを柔軟に変更、調節していくこと。

④教科横断性・相互関連性:教科等で学ぶ内容や概念が、他の教科あるいは教科横断的な内容や概念と、どのように関連しているのか、学校外の実生活とどう関連しているのか、といったことを学ぶ機会が与えられること。

としています。それを順に白井氏は説明しています。はじめに、「エージェンシー」と「選択」で挙げられているのは、いずれも、大人が設定したカリキュラムを、生徒がただ受動的に学んでいくのではなく、一人一人が当事者意識をもって学んでいくことが重視されているということです。生徒が、エ一ジェンシーを育成していくためには、そこに変革の可能性が内在されていなければなりません。すなわち、カリキュラムを実施するうえで、何か課題があったり、あるいは、さらに改善していくための方法があれば、生徒が声を挙げて、改善に向けた議論ができるような場があることが必要なのだというのです。ただ決められたカリキュラムを受動的に学ぶように強制されるだけでは、エージェンシーを育成していくことは困難です。それゆえ、テーマやプロジェクトを生徒自身に「選択」する機会を作ることも、エージェンシーの発達につながるものだというのです。

私も保育の中で「選択」を取り入れているのは、子ども達は、ただ決められた課題を受動的に行うように強制されるだけでは、「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく姿勢・意欲」というエージェンシーを幼いながら育成していくことが困難になるからです。何をやるのか、誰とやるのか、どこでやるのか、これを子ども自身に「選択」する機会を作ることは、エージェンシーを発達につながるのだというOECDが提案することと共通します。

次の「柔軟性」を確保していくためには、学校や教師に一定のカリキュラム上の裁量を認めることによって、それぞれが、時代の変化であるとか、地域の実情や生徒のニーズなどに応じて、柔軟にカリキュラムをデザインしていくことが可能になるだろうと白井氏は言います。

次の「教科横断性・相互関連性」については、カリキュラムにおいて、「転移可能性」や「真正の学び」について十分に考慮したうえで、それを実施の段階でも実現できるようにデザインしていくことが求められると言います。

実施の原理

④ 転移可能性:ビッグ・アイディアやキー・コンセプトなど、各学問分野を底支えする重要な概念の発達を促すとともに、スキルや価値観及び態度などの役割を認識できるよう、カリキュラムを構造化すること。

⑤ 真正性:必要に応じて、カリキュラムを現実社会と関連づけていくこと。そのためには学問的な原理(ディシプリン)に基づいた知識を習得するとともに、教科横断的あるいは協働的な経験が必要になってくる。

白井氏は、それぞれの原理について次のように考えているようです。まず、「一貫性」とは、各学問分野における適切な学習順序を重視するということだと言います。カリキュラムを策定する場合には、各教科の学問領域ごとの「タテ」の一貫性が重要ですが、教科横断的な視点で「ヨコ」の一貫性も必要だというのです。

「厳格性」についても、様々なことが求められると言います。学習するコンテンツのそれぞれについて、生徒の発達段階に応じた年齢相当性を考慮することは当然必要ですが、例えば、同じ数学のコンテンツであっても、国によってカリキュラムに位置づけられている学年が大きく異なる場合もあるそうです。例えば、「合同と相似」、「方程式と公式」というトピックについて、各国でどの年齢で取り上げられているかを比較してみると、これだけでも相当な違いが見られます。例えば、「合同と相似」については、スペインでは11歳、12歳で扱われていますが、カナダやハンガリーをはじめ多くの国では、中学校以降の段階を含め、より多くの年齢で扱われています。また、「方程式と公式」については、多くの国において、小学校から高等学校に至る段階まで長期間にわたって扱われていますが、特に日本では比較的早い段階から中心的に扱われているようです。こうした比較分析については、今後、まだ多くの研究余地があると白井氏は考えています。

「焦点化」は、カリキュラム・オーバーロードの問題に密接にかかわる原理だと言います。むやみに多くの内容を盛り込むことよりも、精選することによって、より深い学びにつながることが期待されるというのです。もっとも、取り上げる内容の数が、単純に少なければ少ないほど良いということにはならないのも当然であり、バランスが重要だと言います。

「転移可能性」については、転移といっても「近い転移」から「遠い転移」まで様々なものが想定され、とりわけ「遠い転移」のほうが難しいものとなると言います。一方では、「遠い転移」が可能になるような知識やスキルを身につけることは、一度学んだことを、より幅広く様々な分野において活用できるということでもあり、カリキュラムのデザインにおいても、そうした転移の視点を重視することが考えられると白井氏は言うのです。

「真正性」については、実生活・実社会における課題と結びつけた真正の学びの機会を提供することで、生徒が普段学んでいる内容が、実生活・実社会とどのようにかかわっているかを理解させることで学習の意味を伝え、それによって学習に対するモティベーションを上げることが期待されると言います。

意図された

最後に、「達成されたカリキュラム」は、生徒が実際にどのような力を身につけたか、ということです。すなわち「達成されたカリキュラム」は、学習状況の評価と表裏の関係になります。わかりやすい指慓としては、例えば、日本の全国学力・学習状況調査、 OECDが行うPISA、アメリカにおけるSATのような標準化されたテストが挙げられますが、中間・期未試験や各種の小テスト、プレゼンテーションやレポート・論文なども、もちろん評価の方法の一つです。

もっとも、「達成されたカリキュラム」とはいっても、カリキュラムが定める教育目標は、単にテストで一定以上のスコアに達するというだけでなく、一般に複合的・多面的で、抽象的だと言います。日本語で「学力向上」という言葉はしばしば用いられますが、「学力」の定義も多様であり、単純にテストの点数を想定する場合もあれば、批判的思考力や論理的思考力、メタ認知なども含めて考える場合もあり得るだろうち白井氏は言います。OECD教育スキル局長のアンドレアス・シュライヒャーがしばしば指摘しているように、測定しやすい学力は、デジタル化・オートメーション化されやすい学力でもあります。ペーパ–・テストで簡単に測れる学力をつけたところで、それだけでは、必ずしも教育目標を達成したということにはなりません。算数にしても国語にしても、各教科で身に付ける知識だけでなく、論理的思考力や批判的思考力、対人関係スキルや価値観、規範などを幅広く学ぶことが教育の重要な側面とされていることには改めて留意が必要だというのです。

さて、Education2030プロジェクトの議論においては、前述のTIMSSにおけるカリキュラム分析の枠組みも踏まえながら、各国に共通して、今後も妥当するであろうカリキュラムのデザイン原理について議論を行ってきたそうです。2018年2月に公表されたポジション・パーパーにおいても、既にその考えの多くは示されていますが、その後の議論においては、これらの基本的な原理については、( 1 )「意図されたカリキュラム」のテザイン原理、(2)カリキュラム実施の原理、(3)カリキュラムのデザインに際しての留意点、の3つの局面に関するものとして整理されています。それは、順に白井氏は説明しています。

まず、(1)「意図されたカリキュラム」のデザイン原理についてです。「意図されたデザイン」について、5つの基本原理が提案されているそうです。そのうち、①~③までに示された一貫性、焦点化については、TIMSSの研究成果を踏まえて提案されたものであり、その後の各国代表者や専門家等による議論を経て、④転移可能性と⑤真正性加えられているそうです。

①         一貫性:教科で取り上げられる内容は、それぞれの教科の学問的専門性の論理に基づいて、順序だてて配列すること。それによって、学習状況や年齢に応じて、基礎的な概念からより進んだ概念へと進むことが可能になる。

②         厳格性:教科で取り上げられる内容は、生徒の発達段階に応じた、やる気を起こさせる内容になっていて、かつ、深い思考や振り返りを可能にするものとすること。

③         焦点化:各学年において取り上げる内容を、なるべく少ないものとすることによって、生徒の学習の深さや質を上げるべきである。一方で、重要な概念については、繰り返し取り上げることで確実に内容をカバーすること。

ギャップ

2017年・2018年に改訂された日本の学習指導要領においては、「主体的・対話的で深い学びの実現」、いわゆるアクティブ・ラーニングが盛り込まれました。このアクティブ・ラーニングについても、「意図されたカリキュラム」と「実施されたカリキュラム」の間での乖離が問題になったそうです。すなわち、政策立案者である文部科学省や中央教育審議会の意図が十分に伝わっていない中で、様々なアクティブ・ラーニングに関する見解が広まることとなったのです。このような状況は、よく起きてきました。例えば、総合的学習が打ち出されたとき、また、ゆとり学習が取り入れられた時、そのたびに現場はほんろうされてきました。しかも、その成果がはっきりしないうちに、すぐ改定されてしまいます。幼児教育においても、保育指針の中で、保育課程の作成が要求されながら、次の改訂では保育の計画というように変わりました。作成者たちは、多分いろいろと吟味されているでしょうし、それほど大きな見直しではないというかもしれませんが、現場では、戸惑うことが多い気がします。

今回のアクティブ・ラーニングにしても、実際、書店などにはアクティブ・ラーニングに関する解説書などが何冊も並ぶ状況が生じていますが、一方で、それらの中には、例えば、「アクティブ・ラーニングとは、子どもの主体性を重視することであり、先生が教えてはいけない」とか、「アクティブ・ラーングなのだから、授業中に生徒による対話やグループ学習がないといけない」といった趣旨のものも含まれていました。提唱者の真意は別のところにあったかもしれませんが、学校現場はもちろん、教育委員会などにおいても、政策立案者の意図とは異なる理解も広まりつつありました。

そうした状況を踏まえて、文部科学省では、同省が作成する学習指導要領の解説において、アクティブ・ラーニングに関して、「例えば、主体的に学習に取り組めるよう学習の見通しを立てたり学習したことを振り返ったりして自身の学びや変容を自覚できる場面をどこに設定するか、対話によって自分の考えなどを広げたり深めたりする場面をどこに設定するか、学びの深まりをつくりだすために、生徒(児童)が考える場面と教師が教える場面をどのように組み立てるか、といった観点で授業改善を進めることが重要となる。すなわち、主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を考えることは単元や題材など内容や時間のまとまりをどのように構成するかというデザインを考えることに他ならない」と文部科学省から示されています。このように示すことによって、政策立案者と現場の受け止め方の間の乖離を埋めようとしてきたのです。その意味では、このアクティブ・ラーニングの考え方をめぐる問題は、まさに「意図されたカリキュラム」と「実施されたカリキュラム」の間にギャップが生じている状況の典型的な事例であったと白井氏は言っています。

なお、このアクテイプ・ラーニングに関する事例は、「意図されたカリキュラム」を起点として、いかにして「実施されたカリキュラム」が乖離しないようにするか、という政策立案者側の視点に立った事例です。しかしながら、どれほど丁寧に作ったとしても、完璧な「意図されたカリキュラム」を想定することは難しいと白井氏は言います。実際には、「意図されたカリキュラム」に不十分な点がある場合には、学校や教師によって現場レベルでの修正が行われたり、あるいは、生徒や家庭での学習によって補われてきた部分もあるでしょう。そうした相補関係にも留意しながら、単に、三つのカリキュラムを整合させることだけを目的化することがないようにしていくことも重要であろうと白井氏は言うのです。

大綱化

カリキュラムの大綱化は、カリキュラムの統一性を緩めれば緩めるほど、地域や学校ごとのカリキュラム格差が生じてくることにもなるのは当然です。すなわち、優れたカリキュラムを作ることができる自治体や学校の生徒にとっては良いのですが、そうでない自治体や学校の生徒にとっては逆の結果を招く可能性があると懸念されます。ましては、各施設任せであれば、よりその格差は生じます。

なお、アメリカやカナダ、ドイツ、オーストラリアなど連邦制国家の場合には、一般に教育に関する権限は州が有しているため、カリキュラムも異なってくるのですが、当然、それに伴うメリットとデメリットが生じます。例えば、カナダのオンタリオ州では、州独自のカリキュラムに準拠する外国の学校を認定する制度を導入するなど、オンタリオ州やブリティッシュ・コロンビア州をはじめとした各州が、それぞれのカリキュラムについて切磋琢磨している状況が見られるそうです。

一方で、近年、州ごとのカリキュラムの独自性よりも、全国的な統一基準を志向する動きも見られるようになっているようです。例えば、オーストラリアでは、従来はヴィクトリア州やクイーンズランド州などの各州がカリキュラムを策定してきましたが、 2009年に各州が共同でACARA (オーストラリア・カリキュラム・評価・報告機構)を設立し、ACARAがオーストラリア・カリキュラムという全国的なカリキュラムを策定するという仕組みが導入されているそうです。また、アメリカにおいても、伝統的にカリキュラムは州の権限とされてきましたが、2009年にコモン・コアと呼ばれる全国的なカリキュラム基準が作られ、多くの州が採択する動きが見られているそうです。

次に、「実施されたカリキュラム」は、政府機関等が策定した「意図されたカリキュラム」を受けて、実際に学校で教師が実施するカリキュラムのことです。「意図されたカリキュラム」が優れたものという前提があれば、「実施されたカリキュラム」との間のギャップは少ないほうが望ましいです。しかし、実際には様々な事情によって、「意図されたカリキュラム」と「実施されたカリキュラム」の間にはギャップが生じることが避けられないと言います。

第一に、「実施されたカリキュラム」を考えるうえでは、資源配分や環境整備についても検討する必要があると言います。いかに教員が正確に「意図されたカリキュラム」を理解しているとしても、例えば、十分な数の教員が配置されていない、適切な教科書や教材がそろわない、保護者対応などに忙殺されて十分な授業研究ができない、といったことは十二分に想定されるところであり、こうした側面についても考慮していく必要があると白井氏は言うのです。

第二に、「意図されたカリキュラム」は大綱的な基準であることが多く、学校や教師には、それをどのように解釈して、生徒に伝えていくかという点での広汎な裁量が認められていることが多いようです。その際、「意図されたカリキュラム」の策定者である政府機関等の意図と、教師の考え方に乖離が生じることが起こり得ます。

なお、「意図されたカリキュラム」と「実施されたカリキュラム」との間、「達成されたカリキュラム」との間にも乖離があることは、各国における共通の課題として認識されているそうです。この点については、各国共通のカリキュラム課題のうち、「効果的な実施」として白井氏は取り上げています。

3つの局面

次に「実施されたカリキュラム」となると、「教師の資質能力」として、・採用、育成、研修、「教師の指導法」として、・アクテイプ・ラーニング、「教師を取り巻く環境」として、・定数、働き方改革・免許制度・教科書、教材、指導書・ICT環境、「教師に期待される役割」として、・保護者からのニーズ・子どもの安全管理です。そして最後に「達成されたカリキュラム」となると、「授業を通した評価」として、・形成的評価・通知表、指導要録、調査書、「達成されたカリキュラム」となると、「授業を通した評価」として、・形成的評価・通知表、指導要録、調査書があります。「標準化テストによる評価」として、・全国学力・学習状況調査・各自治体による学力調査・PISA、TIMSSがあります。そして、「入学者選抜」として、・中学入試、高校入試・大学入試があります。

国により制度が異なりますが、「意図されたカリキュラム」は、一般に、政府機関などが策定するものです。単に、「カリキュラム」という場合には、この「意図されたカリキュラム」を意味するものとして使われる場合も多いようです。日本やドイツ、フランス、韓国、デンマーク、オーストラリア、カナダ、フィンランド、ノルウェー、オランダ、アメリカ、中国、シンガポール、エストニアなど、 OECD加盟国を含めたほとんどの国では、国または州の教育省、あるいはこれに準じる機関がカリキュラムを策定しています。また、日本を含めた多くの国では、中央政府の教育省がカリキュラムを策定していますが、ドイツやアメリカ、カナダなど連邦制国家の場合には、州ごとに教育省が設置されているので、異なるカリキュラムが作られている場合があるようです。イギリスの場合もイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと、地域ごとにカリキュラムを作ることができる仕組みになっているそうです。

さて、国等やそれに準じる機関が策定するカリキュラムは、あくまでも「意図されたカリキュラム」であるから、実際にカリキュラムに沿って教えるのは教師であり、また、カリキュラムの内容を学ぶのは生徒です。したがって「意図されたカリキュラム」は、カリキュラムについての基本的な考え方を示すものにとどまり、それ以上のことは教師や生徒に委ねられていることが一般的です。例えば、日本の学習指導要領は教育課程の「大綱的」な基準とされています。ですから、幼稚園教育要領にしても、保育所保育指針にしても日本では大綱的な基準のため、解釈にかなり多様性が見られます。この大綱的な書き方の場合は、よほど各施設なりが良心的で、きちんと子どもの権利条約なり、教育基本法なりを理解した上で取り入れてほしいと思いますし、ましては、その存在自体を知らない現場の管理職や保育者さんがいることに情けない気持ちになります。

フィンランドの”National Core Curriculumも「学校の教育や指導を新しいものにしていくうえでの、共通の方向性と基盤を提供するもの」とされているそうです。日本のカリキュラムにおいても、学校選択教科・学校選択科目といった形で学校が独自の教科・科目を設定することは可能であるし、イギリスのように、国が定めるカリキュラムは学校のカリキュラムの5割程度を想定しており、残る5割は学校の裁量の中で決定していくという方法もあるそうです。

カリキュラムという言葉

図に示された結果は、あくまでも政府機関等が策定したカリキュラムを分析したものです。単純に、より多くのコンテンツにおいて、より多くのコンピテンシーを育成しようとした記述が盛り込まれているからといって、直ちに優れた成果を出していると判断することはできないと言います。ここでは、中国や韓国、カザフスタンのカリキュラムにおいて、最もエージェンシーが重視されているように見えますが、そのことと、それらの国でエージェンシーに関する教育が順調に成果を出しているかどうかは、別の問題だと白井氏は言うのです。今後、PISAなどの結果と組み合わせてCCMを拡張していくことも考えられるといいますが、現時点でのCCMの意義は、各国のカリキュラムを「鏡」としながら、自国のカリキュラムを相対化して把握するためのツールとして活用できることにあるというのです。

ところで、これまで「カリキュラム」が何を意味するかという具体的な内容については、特に踏み込んできませんでした。カリキュラムに関連する用語として日本では「教育課程」という言葉が用いられています。「教育課程」とは、「学校教育の目的や目標を達成するために、教育の内容を生徒(児童)の心身の発達に応じ、授業時数との関連において総合的に組織した各学校の教育計画である」とされており、すなわち、各学校が策定するものということになります。各学校が「教育課程」を策定するうえでの基準となるのが、「学習指導要領」です。これに対して「カリキュラム」という言葉は、一般に、「教育課程」よりも広義に解されており、「計画レベルだけでなく、実施レベル、結果レベルまでを含むものである」と考えられています。

Education2030プロジェクトにおいても、カリキュラムを幅広く解しており、過去のTIMSSにおいて行われたカリキュラム分析の枠組みを踏まえて、カリキュラムを(1)意図されたカリキュラム、(2)実施されたかリキュラム、(3)達成されたカリキュラムの3つに分けています。

この分け方について、白井氏は、政府機関等がどれほど理想的な「( 1 )意図されたカリキ=ラム」を策定したところで、それが円滑に実施されないことには画餅に終わってしまうことに留意する必要があると警告しています。彼は、カリキュラムの実施の段階において、例えば、採用時における教師の質やその後の研修の内容、教師の定数や働き方なども当然問われることになります。こうした制度が整っていなければ、カリキュラムは十分に実施することができないというのです。また、学校や教師が円滑にカリキュラムを実施することができたとしても、その次には、生徒がそれをどのように受け止めているのかが問われることになります。一人一人の生徒に対して適切な指導・評価が行われ、生徒の学習改善に生かされていくことが必要になってくるというのです。これが「( 3 )達成されたカリキュラム」の問題となるというのです。

それぞれを個別に見ると下記のように白井氏は整理しています。

「意図されたカリキュラム」として「カリキュラムの質及び量」があります。それは、・教科の専門的知見・新しい社会的ニーズへの対応・知的好奇心、チャレンジ精神・焦点化、適当な分量・順序性、年齢相当性としています。

国際比較

国際比較を行うという前提から、コーディングの対象として、多くの国で設定されている7つの教科・領域を対象としました。そのうえで、各国から推薦された教科の専門家やカリキュラムの専門家との協働により、教科に含まれるコンテンツを整理する作業を行ったそうです。例えば、数学を例に見てみると、「数」「測定」「データと確率」「式・方程式・代数」「関数」「幾何」「その他一般」とするコーディングが行われています。さらに、これらの項目の下に、例えば「数」であれば、「実数(有理数及び無理数)」や「複素数」などの小項目(ここではトピック等と呼ばれる)が分類されており、これらの項目を、各国ごとのカリキュラム分析を行う前提としての符号(コード)として用いることとしたのだそうです。このコーディングの作業が終わると、次に必要となる作業が「レイティング(レベルづけ)」です。すなわち、各教科ごとに分類が完了したコンテンツの項目(トピック)ごとにそれらがどのようなコンピテンシーの育成を目指しているのかについて、レベルを明確にする作業です。これについては、いくつかのレベルを検討したそうですが、最終的に4段階のレベルに分けることとしたそうです。

例えば、前述の数学で「三角関数」といコンテンツを例にすると、「問題解決能力」の育成についてはレベル4、「共感性」についてはレベルは2 、といった形でレイティングを行っていくのです。この「レイティング」を踏まえて作成されるのが、各国ごと、各教科ごとに作られるヒートマップです。ここでは、それぞれの国が、カリキュラムにおいて、どのようなコンテンツを通して、どのようなコンピテンシーを育成しようとしているかということの関係性を、視覚的に整理しているようです。ただ、この段階では一つの国の事例をまとめたに過ぎません。重要なのは、国ごとのヒートマップを参考にして国際的な比較を行うことです。それによって、例えば、同じ「問題解決能力」という、コンピテンシーでも、国によって、数学の三角関数が重視されていたり、体育のゲーム形式の、スポーツが重視されているなどの違いが見えてきますし、あるいは、同じ「ダンス」というコンテンツでも、創造性を重視しているのか、健康に関するリテラシーを重視しているのか、といった違いが見えてくるのです。すなわち、この作業を通じて、各国の政府機関等が策定したカリキラムが、各コンピテンシーの育成を、どのようなコンテンツとの関連で測ろうとしているのかが明らかになってくることが期待されるのだそうです。

ここでは、エージェンシーに関するCCMの分析結果として、OECDから公表されている資料を参考に白井氏は示しています。この図は、コンテンツ全体において、エージェンシーの育成という点で、主目標またはサブ目標(レイティングがレベル4または3 )とされたコンテンツの分量(パネルA)と、その教科ごとの内訳(パネルB )を示したものです。日本の場合、エージェンシーの育成を目的にしたカリキュラムは全体的に少なく、かつ、そのほとんどが国語となっていることがわかります。一方、例えば中国、韓国、カザフスタンなどの場合には、様々な教科においてエージェンシーがターゲットとされている様子がわかっています。