ニュー・ノーマルへ

ニュー・ノーマルでは、教育を教育制度単体でなく、より広いエコシステム(生態系)の視点で捉えることの重要性を指摘しています。背景にあるのは、従来型の教育が、教育制度を単体として考えがちであったことへの反省である言うまでもなく、教育は、社会や経済の在り方や技術革新の進展、グローバル化など様々な要素と常に関連し合っているものだからというのです。教育だけをその他の要素と切り離すのではなく、教育自体もエコシステムにおける一つの要素と位置づけることで、より広い視点から捉えることが必要になってくるということです。保育も、経済と結びつけたり、技術革新と結びつけるのに抵抗感を持つ人がいますが、教育も、保育も、社会の中で生きていくための力を身につけていくとしたら、社会がどのような力を求めているのか、経済界は、工業界は、どのような力が必要かを考えないといけないのは当然です。例えば、家庭の在り方、国民の意識、経済や財政の状況、都市化や過疎化の進行など様々な要素を踏まえたうえで教育制度について考えていく必要があると言うのです。

伝統的に、教育政策に関する意思決定や学校での判断などは、例えば政治家や行政教育学者、あるいは校長や各授業を担当する教師など、限られた人によって行われる傾向がありました。例えば、カリキュラムの大枠は国が決めて、具体的なカリキュラムの内容は学校が決めることが多く見られますが、そうなると、例えば、政府や学校などの個別の意思決定の妥当性について、決定を行った国や学校の責任ばかりがクローズアップされるようになってしまいます。しかしながら、意思決定に対する責任を追及しても、それが次への改善につながらない場合も多く、必ずしも生産的ではありません。ニュー・ノーマルの教育では、限られた人だけが意思決定を行うのではなく、雇用者や保護者、生徒や地域の人々など多様な関係者が意思決定にかかわり、責任を共有していくことがより重要になってくると考えられると言います。これが、いわゆる「参画」でしょうか。ここでは、「開かれた意思決定」と言っています。

従来型の教育では、学校にかかわる管理職、教師、生徒などのそれぞれの役割が明確でした。例えば、校長などの管理職は全体の管理を行い、教師はそれぞれの担当する教科を教え、生徒は授業を受けるといった形です。

ニュー・ノーマルでは、生徒の学習について、管理職や担当する教師、保護者も含めて皆が共同して取り組み、その責任についても共有していくことが考えられます。また、従来の役割分担の中では、学校や教師の責任が問われることは多かったですが、学習における生徒の責任という観点は希薄でした。しかしながら、ニュー・ノーマルにおいて重要なのは、生徒自身も自らの教育に責任を負うということです。一人一人の教育に、生徒自身を含めて、皆が責任を持つということです。

従来型の教育では、生徒の学習達成度が教育の中心であり、実際、教育システムを評価したり、必要な改善を行う際の指標として使われる傾向がありました。ニュー・ノーマルの教育では、アウトカムとしての学習達成度だけでなく、学習のプロセスについても、それ自体が固有の価値をもつものとして認識されています。したがって、学習達成度だけでなく、プロセスにも着目しながら評価、改善が行われることになると考えられると言います。