統合的な方法

キー・コンピテンシーとして特定された「異質な人々から構成される集団で相互にかかわり合う力」、「自律的に行動する力」、「道具を相互作用的に用いる力」の3つについて、このように補足しています。「異質な人々から構成される集団で相互にかかわり合う力」は、A他者と上手にかかわりあう力、B協力する力、C対立を処理して、解決する力です。「自律的に行動する力」は、A大局的な視点に基づいて行動する力、B人生設計や個人的な計画を作り、実行する力、C自らの権利や利益、限界や必要性を主張する力です。最後の「道具を相互作用的に用いる力」は、A言語やシンボル、テキストを相互作用的に用いる力、B知識や情報を相互作用的に用いる力、C技術を相互作用的に用いる力です。

特に複雑化する世界においては、「自律と連帯」、「多様性と普遍性」、「変革と継続」といった二項対立がしばしば生じることがありますが、そうした相克を乗り越えていくためには、それらの「総合的なつながりや相互関係を配慮して、いっそう統合的な方法で考え、ふるまう」ことが必要になってくると言うのです。

DeSeCoプロジクトにおいて策定されたキー・コンヒテンシーは、 OECDを中心に、複数の国や研究者が参加して、コンピテンシーの国際的な枠組みを設定するプロジクトとして、各国政府の行政官や研究者の注目を集めることとなりました。とりわけ、キー・コンピテンシーの考え方は、 PISAで示されたリテラシー概念と相まって、伝統的な教育観を変えるものとして受け止められるようになったのです。また、キー・コンピテンシーやPISAの動きと、概ね時期を同じくして. 20世紀後半から21世紀の初頭にかけて、様々な国や国際機関、シンクタンク、研究者等から、コンピテンシーに関する提言が続くこととなりました。

この時期、インターネットが急速に普及し、E – mailなどのコミュニケーシンはもとより、 Amazonをはじめとしたオンライン・ショッピングなど、日常生活の中にもICT技術が広く普及するようになってきました。そうした急激な社会変化の中で.それまでの伝統的な教育は時代遅れになっていて通用しないのではないか、これから必要とされるのは従来の教育で培ってきた力とは異なる力ではないか、といった危機感を背景にして、様々な教育に関する提言が行われるようになったのです。たまたま、この時期が20世紀から21世紀への移行期であったこともあり、この時期に行われた教育に関する提案の多くが、「21世紀型~」などの名前を冠しており、これらの提案を総称的に「21世紀型スキル」と呼ぶこともあるようです。

たまたま私はそのことを知っていたわけではありませんが、「21世紀型保育のススメ」という本を2000年6月に出しています。この内容は、この数年前にある冊子に連載していたものを要望があって単行本にしたものです。その内容紹介には、「小学校に行って、自分で考え、自分から行動できる子になるようにできないのでしょうか。もう一度、子どもらしさや集団保育の中での子ども同士の関わりの大切さ、自由と責任の考え方などを見直してみましょう」とあります。この本は、日本では随分と興味を持ってくれた人も多かったのですが、この時期に、世界的に注目を浴びた提案の一つが、 2002年から、アメリカで官民共同による検討が進められた「21世紀型スキルのためのパートナーシップ」です。

統合的な方法” への5件のコメント

  1. 「異質な人々から構成される集団で相互にかかわり合う力」の中には、「他者と上手にかかわりあう力」「協力する力」「対立を処理して、解決する力」などとさらに具体的に力が示されていて分かりやすいですね。園での子どもたちの姿もまさにこのようなことの連続であるように思います。今はうまくできなくても、その基礎となる部分が培われていればいいなと感じますし、子どもによってはこういったことをうまくやっているなと感じる子もいます。また、「自律的に行動する力」もいくつか具体的に示されていました。自律・自立ということに関して、私自身、どういうことが具体的にそれにあたるのかなかなか掴めない部分もあったのですが、なんだか少しスッキリしたような気分になりました。「大局的な視点に基づいて行動する力」とあるように、自分自身の行動を先を見通すことで律していく、考えていくということが重要になってくるのですね。また「自らの権利や利益、限界や必要性を主張する力です」というのもある意味では日本人が苦手な部分かもしれませんが、しっかり考えてみる必要はあるのかもしれませんね。

  2. VUCAと言われる複雑化する時代の生き方や振る舞い方が注目されています。そのような時代を生き抜くポイントが記載されていたと思います。『「自律と連帯」、「多様性と普遍性」、「変革と継続」といった二項対立がしばしば生じることがありますが、そうした相克を乗り越えていくためには、それらの「総合的なつながりや相互関係を配慮して、いっそう統合的な方法で考え、ふるまう」ことが必要になってくる』というように、周囲を取り巻くつながりを再確認して「統合的」な発想のもと、思考して行動していくことが二極化社会を乗り切る重要な視点であると感じました。まさにコロナ禍は「ゼロリスク」という言葉があるように0か100か、生命か経済かの二項対立構造でもあります。そのような中、生命か経済かの総合的な繋がりとはなんなのか、統合的思考とはなんなのでしょうね。生きるためには経済が必要ですし、経済は人によって回っていくはずです。表裏一体であるという統合的視点と、両者を束ねる確たる組織の再構築が必要であり、これらにはきっとコンピテンシーが関連しているのでしょうね。

  3. 教育というシステムは、前例踏襲型の石橋を叩いても渡らない、というところがあるようです。個々では新しい、斬新なことを教育分野でも取り組めるのですが、それはシステムにはなっていかない、なるにはかなりの時間が要する。「伝統的な教育観」は根強い。OECDは経済協力開発機構です。教育の教の字も冠にありません。教育を受けおう世界組織は国連教育科学文化機関UNESCOです。その組織に与する学者はOECDのECEC提言を「経済」という二字熟語で切り捨てようとします。温故の強い組織システムが教育制度ですね。変わらない。変わろうとしない。変わることのリスクばかりを考える。個々ではやれても、システムとしてやれない、ということはこのことでわかりますね。しかし、経世済民の経済を司るOECDは人類のウェルビーイングのための教育を考えようとして尽力していると私は考えています。子どもたちの学びを解放する必要がある。20世紀の教育システムからの解放ですね。20世紀パラダイムでは21世紀というミレニアムを生き抜くことはできないのですね。OECD発の3つのキー・コンピテンシー。とても重要だと直観するのです。

  4. 自分は頭が固く凝り固まっていることがあるので、しばしば二項対立に陥ってしまうことがあります。YESかNOか、0か100か…。そんな時はランチの配膳の時に「ちゅうくらい」を選んだ子に「なんでちゅうくらいにしたの?」と聞いた時の言葉を思い出すようにしています。
    「だって、あんまり好きじゃないけど、お腹空いてるから」ということでしたが、しっかりと自分の状況を把握し、メニューを確かめて、「これならいける、いってみよう」という覚悟のあるものだったのではないかと勝手ながら解釈しています。第三の選択とでも言いますか、自分にはあまりなかった考え方を教えてもらった瞬間のことを今回の内容を読んで思い出しました。あまり、関係はなかったかもしれません。

  5. 「二項対立」といったことは保育現場においてもしばしば起きますね。特に新型コロナウィルスにかんしては、「行事をするかしないか」など様々な2項対立による選択肢が上がってきました。確かに、「0か100か」で考えることは簡単なことですが、そこで終わるのではなく、一歩踏み込んで考える重要性というものがたくさんあるという事をコロナの時期に感じることはたくさんあったのを覚えています。このことについて「総合的なつながりや相互関係を配慮して、いっそう統合的な方法で考え、ふるまう」とあることの重要性がよくわかります。物事を一方向だけで見ると二項対立の構造に見えるのかもしれません。違った側面であったり、違った方向から物事を考えていくと意外と「0か100か」ではない選択肢が出てくるように思います。とりわけ、そもそもの「大切にしたいもの」を念頭において考えると枝葉末端のアプローチには幅が出ていたように思います。現在行われている重大通りの教育方法や保育方法ももしかするとその枝葉末端である可能性があります。しっかりと洞察する力を養うということは重要なことであると同時に、そのために、3つのキー・コンピテンシーは重要な力として必要とされるのでしょうね。

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