提案から

国際機関や民間シンクタンク等からも様々な「21世紀型スキル」に関する提案が出されていますが、これらの様々な提案から読み取れることとして、特に次の2点を指摘しています。

第一に、様々な「21世紀型スキル」の提案の多くが、伝統的な教育において重視されてきた「知識」や「認知的スキル」といった要素を含みながらも、それ以上の何らかの付加的な要素が含まれているということです。もちろん、ICTや情報リテラシーなど技術の発展に応じて必要となるスキルも考えられますが、とりわけ、コミュニケーションや協働性、異文化理解などの人と人の関係性に関するスキル(inter-personal skillsと分類されることもあります)であるとか、責任感やメタ認知、メタ・ラーニングなど個々人の内面に関するスキル(intrapersonal skillsと分類されることもあります)、価値観なども含めて、多様な要素の重要性が強調されているという点であると言います。こうした21世紀型スキルに特徴的に見られる要素を、コンピテンシーの枠組みの中にどのように整理していくのかということが、後にEducation2030プロジェクトの重要なミッションの一つとされたそうです。この分を読むと、あきらかにこれからはICTや情報の時代になっていきますが、その中で必要なスキルは集団の中で身に付くものが中心になっていく気がします。それは、いわゆる、対人知性と心内知性ですね。

次に21世紀型スキルに関する提案から読み取れるものとして、改めてコンピテンシー概念の不統一性が明らかになったことだと言います。前述のように、マクレランドやスペンサー夫妻をはじめとして、コンピテンシーについての研究は行われてはいましたが、なおコンピテンシーの定義は確定的ではありませんでした。例えば、ACT21Sが示しているコンピテンシーの枠組みの名称が「21世紀型スキル」となっているように、「スキル」と「コンピテンシー」が、概ね同様の概念を表すとして用いられる場合がある一方で、前述のように「スキル」は「コンピテンシー」に含まれるとする考え方もあれば、反対に「スキル」は「コンピテンシー」の上位概念と提える考え方なども見られます。すなわち、全体として「スキル」や「コンピテンシー」を重視する傾向では一致しながらも、その内実については十分な整理ができていない状態であることが改めて浮き彫りになったと言うのです。多様な能力概念に関するターミノロジー(用語の使い方)とタキソノミー(分類法)についての整理が必要であり、この点についても、後にEducation2030プロジェクトのミッションの一つとされることとなったと言うのです。

伝統的に、カリキュラムは、それぞれの国の将来を担う子どもたちにどのような教育が必要かという考えを反映するものであり、各国の文化や伝統とも密接にかかわる事柄でした。それゆえ、各国が独自に政策決定を行う内政事項としての色彩が強く、カリキュラムの国際的な比較分析などもあまり行われてこなかったのが実態です。ところが、近年では、国際的な動向が、様々な形でカリキュラムの検討においても考慮されるようになってきているようです。その主要な背景の一つが、前述のようなPISAや、その理論的根拠であるキー・コンピテンシーであり、様々な「21世紀型スキル」に関する動きと相まって、各国のカリキュラム改革に対して大きな影響を与えることとなったのです。

提案から” への5件のコメント

  1. プログラミングや語学力など、個人が行うレベルの高い能力ばかりが目立ちますが、その能力を最大限発揮させたり、それらを持続させ、より良いものにブラッシュアップさせるには、やはり潤沢で円滑な人間関係の構築が必須だと思います。「これからはICTや情報の時代になっていきますが、その中で必要なスキルは集団の中で身に付くものが中心になっていく気がします。それは、いわゆる、対人知性と心内知性」というように、集団で中で身につくスキルによって、洗練された人格になっていくのであれば、私たちはいかに良い集団を作るかが課題ですね。そして、それは同時に良い個を育むことであると以前学びましたし、洗練された教育者である必要があると、再確認しました。

  2. 『伝統的な教育において重視されてきた「知識」や「認知的スキル」といった要素を含みながらも、それ以上の何らかの付加的な要素が含まれているということです』とありました。どちからに偏るのではなく、やはりどちらも必要であるという意識はどんな場合でも意識したいことだなと思いました。両輪あってということ、バランスという感覚はもっていたいです。ただ、やはりこれまでも、また日本はとりあけ認知的な教育に力を注ぎすぎていましたし、現在も教育といえば、まだまだ認知的なものというイメージが強いので、そうではない部分を明確に具体的に実践し、強調していかなければなりませんね。各国独自に策定されていたものがこれからは国際的な枠組みで考えるということが重要になってきますね。それだけ国同士の境界がなくなっているということも現代の特徴ですね。しかし、すくなからずその流れから逆行するような国もみられますし、日本もどこかそのような雰囲気を感じるというのは危機感をもたなければいけないことなのかもしれません。

  3. 普段、日本語で生活している私たちは、英語を始めとする欧米語による概念表示の理解の困難さ、を感じます。スキルとコンピテンシー。日本語では、技能と能力、などと翻訳されます。ところが、この訳語は果たして原義を反映しているのか、ということになると甚だ疑わしい。そこで、昨今は、日本語として熟していない欧米語の訳語は、例えば、skillとcompetencyは、それらの英語発音の日本語バージョンで表記されるのですね。すなわち、「スキル」や「コンピテンシー」という具合に。そして、残念なことは、これらカタカナ表記によってその意味するところを理解できる日本人はそれほど多くはない。しかも、厄介なことは「「スキル」は「コンピテンシー」に含まれるとする考え方もあれば、反対に「スキル」は「コンピテンシー」の上位概念と提える考え方なども見られます。」というところでたん的に概念規定の難しが表明されています。そうそう、先日の東京2020オリンピック開会式の演説においてIOCのバッハ会長は何回かSolidarityという英単語を使用しました。同時通訳者は「連帯」という日本語をあてました。「連帯」という日本語は実に政治色を帯びた二字熟語として日本語の中では定着しているのです。しかし、欧米では人間の堅い繋がり程度の普通概念として通用しています。まぁ、そういうことがスキルにもコンピテンシーにもあるのです。厄介です。

  4. これからの時代を生き抜いていくためには、自らが情報処理や精査、活用することが必要不可欠になることは今日の社会から予想できますが、その力を養うには〝必要なスキルは集団の中で身に付くものが中心になっていく〟ということでした。一見、一人で行うことができるものがこれからの社会には必要なもののような気がしますが、実はそれは〝集団の中で身につくものが中心〟ということで、この力の養い方は誤解しそうですね。このことは知る必要がありますし、勘違いすることのないようにしていかなければならないものだと思います。これからの時代にも「集団」が必要であること、むしろこれからの方が必要かもしれないということが理解できます。

  5. 『伝統的な教育において重視されてきた「知識」や「認知的スキル」といった要素を含みながらも、それ以上の何らかの付加的な要素が含まれている』というのは非常に21世紀型スキルを表すのに分かりやすいなと思いました。この「付加的な要素」といったスキルは座学ではなかなか伝えることも難しいものなのだろうと思います。そのためにはもっと「主体的」で「自発的」な活動を要するところでしょうが、日本はそういった教育に関してはとても弱いように思います。保育において、「環境をとおした自由遊びの大切さ」などを話していても、やはり不安になる保護者はたくさんいます。そこにどれだけの意味があるのかの発信であったり、こちら側の理解ももっと深めて、保育を厚くする必要があるのでしょう。目に見えないからこそ難しい、評価となるともっと難しいといったスキルにおける視点をどのように社会に向けて理解していくようにするのかとても大きな課題であると思います。

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