体罰や怒鳴り声

日本では、戦績重視の学校になると、なんとしても勝てる「スポーツ組織」にしょうということになります。そこでモチベーションを高め、チームの統率をはかるために体罰を与え、練習で「しごく」というようなことが一般的な「方法」として行われたのでしょう。「気合を人れる」ためには「声」も重要な要素です。大きな声であいさつすることや、練習中の「声出し」、指導者が大声で指導することともつながっているように思えると高松氏は言います。こういう現場で指導者が未熟だと、高まった感情と結びつき、もはやトレーニングの「方法」ではなくなると言うのです。

体罰や頻発する怒鳴り声、それからしごきといったものが、戦績のために選手たちを追い込んでいく方法とすると、ドイツの地域スポーツクラブでは、そこまで追い込む必要がありません。それは、スポーツ組織としての目的が戦績第一ではなく、厚生にあるからです。ただし、ドイツに体罰がなかったわけではないそうです。「禁止」の法律化を追っていくと、19世紀初頭にプロイセン軍の鞭打ちが廃止。同じころ配偶者を処罰する権利廃止などが見られます。20世紀に入ると、使用人や見習いに対する体罰禁止が出てきます。

学校の体罰に関していうと、1970年代ごろから各州で禁止されていったそうです。両手を差し出させて鞭でうつ、教室の角に立たせるといったことが行われていました。親による体罰の禁止は2000年に入ってからだそうです。体罰そのものは、服従、懲罰などの意味で人類が思いつく「手っ取り早い方法」なのではないかと高松氏は考えています。それにしてもスポーツクラブやスポーツの世界では彼が知る範囲では聞いたことがないそうです。

では、ドイツのトレーニング、たとえばサッカーの練習はどのようにしているのでしょうか?。ウォーミングアップの運動をして、そのあと、コーンをつかった練習、模擬試合などといった程度です。しかし素人でもわかるクラブのトレーニングの特徴があるそうです。それは、日本の部活に比べてかなり短いということです。

スポーツクラブのサッカーは複数の年齢のチームがあるので、時間を決めてサッカー場を使えるようにしなければなりません。平日の昼間でしたら、小学生が楽しそうに練習しています。高校生ぐらいの年齢の若者でしたら、夕方5時ごろからといった具合です。そのため3時間も4時間もサッカー場を占拠できないようです。トレーナーも有給のケースが多いですが、報酬はそう高いものでもありません。もちろんサッカーが好きで、自由意思でトレーナーとして関わっているわけですが、「仕事」として考えると「副業」のようなものだと言います。自分の「可処分時間」をつかった有給ボランティア兼ホビーとして考えるのが妥当ではないかと高松氏は言います。ですから、彼らも毎日、半日近い時間を指導に費やすことはできないと言うのです。チームのレベルを勘案しながら、トレーニングの「量よりも質」を重視しているのです。あるいは限られた時間で質を追求しなければならないのがドイツのスポーツ環境といえそうだと言うのです。

高松氏は、スポーツと「国のあり方」はつながっていると言います。ドイツのトレーニングを見聞した日本の指導者のレポートをいくつか読んでみたそうですが、たとえば、「日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修事業」の平成27年度帰国者報告書です。この報告書の中で、ドイツへサッカー指導の研修に行った元サッカー選手の山尾光則さんが「育成年代」のドイツの指導状況について書いているようです。

体罰や怒鳴り声” への4件のコメント

  1. ドイツのスポーツの目的には「戦績第一ではなく、厚生にある」という言葉が印象に残りました。生活を健康で豊かなものにするものの一つとして、スポーツが存在しているという前提があれば、これまでのドイツのスポーツクラブの意義や人々の中に根付いている「同好」、そして、何よりも学校でも家庭でも学童でも塾でもない、第3、第4の自分の居場所であるクラブという存在があるということが非常に腑に落ちます。また、スポーツクラブの練習時間の短さは非常に共感します。日本では、ただなんとなく長い時間やれば強くなれる、長時間やれば上手くなれると信じる節があります。それは間違った考えではないとは思いますが、その時間の長さが、生涯スポーツとしてのモチベーションを損ねる要因の一つになってしまうのは否めません。

  2. やはり日本は世界からは少し遅れているんだなということを感じるような内容でした。また、スポーツのそもそもの目的が違うとありましたが、これが重要ですね。日本ではこの目的がそもそもドイツとは違うので、方法にばかり注目していてはなかなか根本は変わらないのかもしれません。大声での練習というのも日本ではもはや当たり前のように受け入れられていますね。「高まった感情と結びつき、もはやトレーニングの方法ではなくなる」というのはとてもグッときます。日本というのは人との関係性を大切にする国ですが、そのあたりと関係しているのでしょうか。そのような「やっている感」が見える練習というのは多いように思います。あそこのチームは声が出ててるから一生懸命にやっているというようなことを周りに認めてほしいというような風潮が何かそのような目的を見失った、もはや目的が周囲から認められるというようなことにもなっている気がしてしまいます。

  3. 日本において親による子どもへの体罰が禁止されるようになったのは、昨年か一昨年前のことです。ドイツでは「親による体罰の禁止は2000年に入ってから」。日本はドイツに遅れること20年です。とにかく、この国は変化するのが遅い。20世紀前半の反省からなのでしょうか。変わること自体に抵抗しているように思えてなりません。できない理由をあれこれ挙げながら。「日本の部活に比べてかなり短い」、これも大切なことですね。朝練だとか夜遅くまでの練習に何か美徳を感じている風が日本の私たちにはあります。仕事もそうですね。早々に帰宅することが何だか悪いというような雰囲気を醸し出す職場があります。部活の考え方の延長にあるのでしょうか。「体育会系」とは思いませんが、日があるうちに帰宅する。これは部活も会社も食属する人々はそうあってほしいと思います。おそらく人生がより充実することでしょう。

  4. 〝限られた時間で質を追求しなければならないのがドイツのスポーツ環境〟ということが書かれてありましたが、日本は強豪校になればなるほど練習環境は良くなり、グラウンドを交代しなければならなくなるなどの制約がなくなる節があります。それでは、長く練習する方が上手くなると、思ってしまうのも当然だと、練習量で勝ち負けが決まると信じてしまいそうですね。大切なのは自らが練習を楽しむ、その競技を楽しむことだと気付かされます。日本でも雪国がサッカーや野球など外で行うものが弱い方かと問われれば、一概にそうではないはずです。効率的と自主性などいろんな要素があることが理解できました。

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