体操家

ヤーンの活動を日本からみると違和感を覚える人もいると思いますが、スポーツクラブが社会的組織であるという点に着目すると、わかりやすいかもしれないと高松氏は言います。そしてヤーンのトゥルネン運動にしても今日の日本でイメージされる「体操」とはかなり異なると言います。むしろ身体運動を介した教育であり、社会運動だったと考えるのが妥当ではないかと言います。ドイツでは著名な人の名前などを公共の建物や道路の名前に使ったりすることが多いという特徴があります。そのため現代でも「ヤーンホール(体育館)」や「ヤーン通り」がドイツ全国の町にかなりあるそうです。

では現在のスポーツクラブの「タメ口カルチャー」はいつ登場したのでしょうか?トゥルネン運動の始まりとされるのが、1811年。ベルリンのハーゼンハイデ運動場に大学生など若者を中心に約300人が集まりました。当時、教師をしていたヤーンですが、それ以前から生徒たちを集めて運動をしていたようです。

思想家・教育家として、ヤーンはナショナリズムの傾向を持っていましたが、出自や信仰などをとりさって、運動場でともに体操をする仲間として考えました。そこでユニフォームの着用を義務づけ、そして体操をともに行う仲間として「おまえ」という親称を使うようにしたわけだというのです。そんな体操家(トゥルナー)たちには、規律、自己抑制を求めました。当時は「男性」のみ対象ではありましたが、それは友情や寛容といった普遍的価値を持ち、社交にとんだ市民像ともつながっていたそうです。19世紀半ば以降になると「体操家の歌(トゥルナーリート)がたくさん作られるようになるのですが、歌詞を見ると「男らしく」「兄弟愛(=連帯)」といったような単語が散見されます。この段階では体操家の結束のなかに「女性」が入っていなかったりするのですが、それにしても平等な人間関係に基づく、現在のデモクラシーにつながるプロセスの一部という側面もあるのではないかと高松氏は考えています。

ヤーンは思い込みが強く、それを現実のものにしようとするエネルギー、そしてカリスマ性を備えた活動家のような人物だったようです。白いひげを蓄え、ゲルマンの民族を思わせる服をまとった晩年の容姿なども、今の感覚でいうとかなりビジュアルを意識しているように思えると言います。

また体育思想や教育論という観点からいえば、18世紀から「ギムナスティック」という「体操」を意味する言葉がすでにありました。ところが「これはドイツ起源の言葉ではない」とし、「トゥルネン」という民族ティストのある名称を作りだしたかたちだそうです。

当時の時代背景を考えると、こういうネーミングが多くの人々に、特に若い人におおいに響いたのかもしれないと言います。コピーライターのような才能をおもわせると高松氏は言います。

この「才能」に着目すると、ほかにも有名な「キャッチコピー」があるそうです。それは、体操家の「4F (フィーアエフ)」というモットーです。Fはドイツ語の頭文字をとったもので、「新鮮な(frisch /フリッシュ)」「敬虔な(fromm /フロム)」「快活な(fröhlich /フレーリッヒ)」「自由な(frei/フライ)」を示すそうです。

森のプロジェクト

体操家” への4件のコメント

  1. 思想をより伝えていくために、言葉や知識だけではなく、このように体から身体感覚として伝えていくという方法はありそうですね。またネーミングのセンスの良さとありましたが、これは見習いたいですし、見習ってできるものなのか分かりませんが、そのいう感覚は私にはないので、羨ましいなと思います。ネーミングとかキャッチーな感じって結構大切だったりします。センスがいいものにやはり人は惹かれますね。現代は特にオシャレであるかどうかということが機能よりも重視されるのではないかと思うことがあります。もちろん、機能性もよく洒落ているのが一番ですが笑。入り口を広くしておくという感じでしょうか?センスがいいネーミングということで若者にはかなり入りやすい入り口なんだろうなと思います。まず、興味を持ってもらうということが大切だと思うと、重要なことですね。

  2. ドイツでも、当初は「男性のみ対象」というものがあったのですね。男尊女卑というものではないのかもしれませんが、そのようなものは世界的にやはりあったのでしょうかね。しかし、そのような世界であっても、思想家・教育家として、ヤーンはナショナリズムの傾向を持ち、運動場でともに体操をする仲間として考え、ユニフォームの着用を義務づけ、仲間として「おまえ」という呼び名をあえてしているという、まさに「意図性」というものを大いに感じられる経緯であると感じました。

  3. ジムという外来語ではなく、ドイツ起源の言葉「トゥルネン」を用いるマインドの背景にはナショナリズムがある。ヤーンの没後100年には、そのナショナリズムはファシズムへと昇華しアーリヤ文化を称揚する体制を生み出します。そうしてアウシュビッツが起こる。日本にも同様の機運みなぎる時期がありました。民族ファシズム。まぁ、政治のことはおいておきましょう。明治時代、多くの日本人がドイツを訪れました。ドイツで行われていたこの「トゥルネン」を日本に紹介した体操家の方々もいたことでしょう。ところが、運動は学校の校庭において軍事教練的に行われ、一方、オリンピックの種目になる競技は一部の日本人が参加する程度にとどまったことでしょう。現代の日本では、やっと、やりたい人たちがやりたい競技種目に参加してスキルを磨けるようになりました。スポーツが大衆化されて久しいですね。果たして「トゥルネン」精神は息づいているのでしょうか。楽しみながらやることが力をつけることにつなあるのではないだろうかと思う今日この頃です。

  4. 〝身体運動を介した教育であり、社会運動だったと考えるのが妥当〟というトゥルネン運動の特徴的な部分が書かれてありました。これは、日本にもあまりない考え方であり、これまであったようにスポーツ通して社会やデモクラシーをという考え方はドイツならではのものなんでしょうか。保育にも同じような考え方がありますね。子どもたちに〇〇を通して社会の仕組みやルールを教えていくようなことがあります。この仕方というのは伝えていく、伝承というのに適した方法なのかもしれないなと思いました。

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