二人称

一般にドイツ社会では年齢による序列感覚がほとんどないそうです。初対面で自分よりかなり歳が上であるような場合、どこか丁寧な話し方になることもありますが、日本の年齢の序列感覚と比べると全くといってよいほど異なるようです。

ドイツ語では、二人称には親称「ドゥ(Du /おまえ、君)」と社交称「ジー(Sie /あなた)」の2種類があります。「あなた」から「おまえ」に変わるタイミングは属生によっても異なります。若い人同士ですと、最初から「おまえ」です。仕事関係ですと何年たっても「あなた」ということもあります。その場合、呼び方もずっと「タカマツさん」「ミュラーさん」と名字だそうです。自然に「おまえ」に変わることも多いですが、そのタイミングはネイティブでも迷うことがあるそうです。

「そろそろ『おまえ』で呼び合いませんか?」とどちらかが提案するケースもあるそうです。その時に「そうしましょう。私はヘイゾーです」「トーマスです」と改めてファーストネームで紹介しあい、握手をします。ちょっと儀式めいていますがそんな風に関係を作っていくこともあると高松氏は言います。ですから他人の会話を聞いていると、二人称から人間関係が少し見えてくるわけだと言うのです。日本語の感覚でいえば、いつからタメ口で話せるか、必要以上の丁寧語や敬語をいつから外すか、というのと近いのかもしれないと言います。

冒険広場

その点、スポーツクラブでははっきりしているそうです。メンバーになったとたん「おまえ」なのだそうです。たとえ16歳の若者が50歳の大学教授と話すときでも、外国人であっても、身障者であっても、性的にマイノリティであっても、メンバー同士なら「おまえ」です。高松氏は、これを「タメ口カルチャー」と名付けています。これはトレーナーに対しても同じだそうです。

こういった呼び方からも、スポーツクラブはスポーツをともにする「仲間」という意識を感じるとることができます。そういう人間関係を意識的に作るわけだと言うのです。ですから、その仲間がクラブのために何か貢献した、なんらかの顕著な働きをしたというと、「われわれのトーマスが、こういうことをしてくれた」と皆の前で紹介するようなことがあると言うのです。「われわれ意識」を伴うような表現が出てくるわけなのです。

こういう感覚から考えると、仕事や学校で少々ストレスの多い状態が続いても、「われわれ意識」が持てる場所が生活の中にあるのは救いです。外国人や難民などにとってもスポーツを通して「われわれ意識」を持てる場所があるだけで、孤独感や排除された感覚が薄らぐはずだと高松氏は言うのです。

日本語が母語である高松氏にとって柔道は面白いと言います。ドイツでも柔道は盛んに行われていますが、運営組織はスポーツクラブです。つまりここで日本文化とスポーツクラブ文化が混ざることになります。そして、ドイツのスポーツクラブの特徴が明確に見えます。その特徴を紹介しています。

二人称” への4件のコメント

  1. スポーツクラブでの「おまえ」という二人称は衝撃ですね。これこそカルチャーショックです。きっと、日本の謙譲語や尊敬語文化では、受け入れ難い文化なのでしょうね。しかし、一部の教育機関では先生のことを「〇〇さん」という呼び名で呼んでもらっているところがあるようですね。それはどちらかというと、「仲間」というよりも、立場を「平等」にするための象徴的役割として機能させている印象です。子どもの名前を呼び捨てにする教師は、どこか乱暴で距離感の履き違えた感じになりますが、それも親近感あってのことであるという基盤があれば良いのでしょうか。決してそうではく、1人の人間として、持ちつ持たれつの関係性であると認識すれば、自ずと呼び方は決まってくる気もしてます。

  2. 日本には様々な呼び方がありますね。自分を表現するのに、本当に様々な物がるなと思います。他者との関係性を大切にする国ですから、その他者が変われば、自分はどんどん変化するということなのかもしれません。武士なんかは幼名があり、大人になるにつれてどんどん名前が変わっていきます。諸行無常ではありませんが、移り変わっていく日本の文化を体現しているものでもあるのかもしれませんね。『こういう感覚から考えると、仕事や学校で少々ストレスの多い状態が続いても、「われわれ意識」が持てる場所が生活の中にあるのは救いです』とありました。これは本当にそうですね。職場以外にそのような居場所があることで救われるということは大いにあるでしょうね。日本では物理的にそういった関係を作る時間がないというのはやはりありますね。

  3. 私は、この「二人称」関係ということではいろいろと考えますね。まぁ、それには、私が育った環境というものが大いに影響しているのでしょう。そして、何よりも、自分にとって二人称相手との距離感、というものがあって、少し厄介ですが、対人関係を形成するに際し大きく作用します。「タメ口カルチャー」という表現はおもしろいですね。私がこのカルチャーを行使できる相手は妻と息子ですね。そしてこのことは逆も真なり、で彼らからも私に対しては「タメ口カルチャー」。息子からは私のファーストネームで呼ばれるという「タメ口カルチャー」。「お父さん」などと呼ばれたことが今までのところあったかな?しかし、呼称はそうであっても、何かを説明する段になると、ですます調で話してくる可愛さ?もあり、何とも形容しがたい親子関係です。他人とはそういう「タメ口カルチャー」関係を築いたことはなく、仮にドイツに行ったらどうなるのだろう、と思ったところです。

  4. ドイツのスポーツクラブの「タメ口カルチャー」はなかなか衝撃的なものですね。部活動での先輩後輩や監督にも「おまえ」というのは日本では浸透しづらいものがありそうです。学生時代の呼び名や関係は、大人になって久しぶりに会ってもそのままのことが多くあるのではないかと思いますが、それを意識的に変えていくことで、「われわれ意識」を持つことができるということでしたが、例えば、違うチーム同士の交流なんかはどのように行っているんだろうと思いました。

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