スポ根

4Fという信条は影響力が強く、「体操家のクロス」という紋章も作られました。アルファベットのFを四つ組み合わせたもので、なかなか力強い造形だと高松氏は言います。現在でもトウルネン関係のイべントや雑誌などにも使われているそうです。「ヤーンホール(体育館)などでもヤーンの胸像とともに「体操家のクロス」の紋章があしらわれているそうです。さすがに最近の若い人は、この4Fやロゴについて知る人は少なくなっているようですが、年配の人だと知っている人も多いと言います。日本でも、この4FがついているエンブレムがついたTシャツが売られています。そして、そのエンブレムの説明に、「斜線左側には“フレッシュ、敬虔、幸せ、自由”を意味する4つの“F”。これはドイツの“体操の父”と呼ばれるフリードリッヒ・ルートヴィッヒ・ヤーンに由来する。」とあります。

またこういう世代で、若い頃に体操していた人の話などを聞くと、4Fを噛み締めながら、スポーツクラブの仲間とともに体操をしていたようです。このように見ていくと「タメ口カルチャー」も、なかなか複雑で、一人の活動家の運動が出発点になっていることがわかります。同時に日本の体育会系文化にある「先輩後輩システム」とは全く逆の方向の人間関係が築かれたということ。これは日独のスポーツ文化の違いにつながる大きなカギだと高松氏は言うのです。

ドイツのスポーツ選手は「視野狭窄」に陥ることがないと言います。それは子どものころからの教育と各人の人生観に関係していると高松氏は言います。そのあたりの事情をこれから見ていきます。

スポーツの定義は、語源であるラテン語“disportare”までさかのぼって説明されることが多いようです。英語でいえは” carry away”「何物かを運び去る」といった意味だそうです。転じて不安や憂いを運び去ること、つまり「遊び」「気晴らし」と説明されるわけです。しかし、高松氏は長きにわたり、「スポーツは遊び」という説明は正直なところピンとこなかったと言います。彼自身は、野球を舞台にした「巨人の星」などのスポ根(スポーツ根性もの)アニメを見ていた世代で、それらの作品群に描かれるのは、ライバルとの競争で勝利を得ること。それからそのために激しいトレーニングなどが必ず出てきます。戦後、高度経済成長期を迎え、「がんばれば成功する」という時代の気分とうまくマッチしたのではないかと考えています。

しかし、ここには「遊び」や「気晴らし」という言葉が入る隙間がありません。「スポーツは遊び」という定義に対する違和感は、今思えば、スポ根アニメが影響していたような気がすると言います。また勝利のための無茶な練習や気合のためのビンタなどは「普通のこと」であるという「体育会系」のスポーツ文化醸成にスポ根作品も一役かっていたのではないかと高松氏は考えているのです。最近のスポーツを主題にした漫画作品を見ても、クラッシックな「体育会系」が物語のフレームとしてあり、その中で「(既存の)『体育会系』(のようなこと)なんてやってられない」、「伝統的な体育会系とは異なるトレーニングで強くなる」といった考えを持つ人物が配されることで、ストーリーを魅力的なものにしている作品が散見されると言います。いずれにせよ、今日でも「体育会系」は日本スポーツ文化を特徴づける価値体系といえるのではないかというのです。

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スポ根” への4件のコメント

  1. 私は、部活は文科系畑を歩んできました。ですから、「体育会系」については、その真意を知っているわけではありません。もっとも部活は体育会系であれ、文科系であれ、「勝利」の二字が至上命題になった時は、根性論が何より優先されてきた経緯はあるのでしょう。ところで昨今は「『体育会系』(のようなこと)なんてやってられない」、「伝統的な体育会系とは異なるトレーニングで強くなる」ということがあり、そうしたマインドで勝利を勝ちとる個人や団体も現れてきました。良い傾向です。わが子が中学の時、部活で区を代表して都大会に進むということがありました。めったにないことだったそうです。コーチは彼らの活動に理解を示す人でした。つまり、自分がイニシアティブをとらないコーチでした。彼の仲間も良かったのでしょう。自分たちであれこれ工夫して練習したそうです。何だか楽しそうでしたね。体育系の部活ではありましたが、練習もそう頻繁になく、むしろ彼らは練習日をもう一曜日増やしてもらうように学校に働きかけたそうです。

  2. 「体育会系」と聞くと、どうしても「強制」「無理強い」などのようなイメージがあるのは、部活動関連の事件に対するメディアの取り上げ方が影響しているのだと思いますが、その一方で、日本の企業は「体育会系」を思いのほか優遇し、積極的雇用しているイメージがあります。体育会系では、競技力を高めようとするストイックさや、公正な態度、チームワーク、競争相手との切磋琢磨など、周囲の仲間との協調性や、相手や自分との戦いに打ち勝つ精神力、課題に向けて取り組む根気強さといった点が求められているのでしょう。しかし、それは管理職の自分たちが扱いやすい理解しやすい人材を雇用しようとしている現れかもしれません。そういった流れから、プログラミングを筆頭に、論理的思考ができる人材を求める傾向に変わっていることも感じます。スポコンはもはや、オワコンということでしょうかね。

  3. スポーツの定義には『carry away”「何物かを運び去る」といった意味だそうです。転じて不安や憂いを運び去ること、つまり「遊び」「気晴らし」と説明されるわけです』とありました。不安や憂いを運び去るなんていう意味があったのですね。思えば、ランニングをするとそれまでのイライラやストレス、不安がスッキリするという感覚を走り終わった時にいつも感じていました。ストレスが溜まっているなと思うときは、あえて走るということもしていました。まさに、運び去られていました。日本ではスポーツが別の目的のために使われてしまったという印象を受けてしまいます。戦後教育からそろそろ脱却しなければいけないのかもしれませんが、その広がりはなかなか見えづらいところまで浸透してしまっているのかもしれませんね。

  4. 日本の「体育会系文化」を築き上げたのもまた、日本の文化として挙げられているマンガやアニメだったんですね。そのように考えていくと、日本の文化もまた複雑に絡み合っているということが言えそうです。マンガやアニメは日本の文化の中での良い部分として近年は挙げられているので、その部分は活かしつつ、海外の文化の良いところを組み合わせていくことが、これからの課題となっていくのだと思いました。まだまだ根深い「スポ根」ですが、そこに自分の意思という要素が加わることで、今後どのように変わっていくのかなど、マンガ好きとしては興味があります。

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