科学とキャリア

PISAは、学問的知識、生徒の学習方略、および生徒のキャリアへの期待との間にある関係(または関係のなさ)について興味深い発見をもたらしたそうです。それは、30歳の時に科学関連の専門職および技術職に就くことを希望している15歳の生徒の割合のデータを見るとよくわかります。このデークは、PISAの科学的リテラシーでは高い得点を上げているべルギー、PISAに参加した中国の四つの地域、エストニア、フィンランド、ドイツ、日本、マカオ、オランダ、ポーランド、韓国、スイス、ベトナム等のあらゆる国と地域を含みますが、科学を将来の生活の一部にしたいという情熱はあまり強くはないことを示しています実際、生徒の科学的な知識、科学的な方法への信念、科学がキャリアの機会をつくるという見方が一致する国は、ほんの僅かです。すなわち、カナダとシンガポール、科学的リテラシーの得点は若干低いのですがオーストラリア、アイルランド、ポルトガル、スロペニア、イギリスです。もちろん、そのデータは正反対のことも示しています。例えば、イスラエル、スペイン、アメリカの生徒は、科学的探究の方法を進んで取り入れ、科学のキャリアを希望しますが、彼らは自分の夢を実現するための科学的な知識とスキルが足りません。

要するに、学問的成功だけでは不十分なのです。PISAはまた、知識と情然の関係について幾つかの興味深い洞察を与えてくれます。生徒が科学を学ぶことを楽しんでいなければ、科学のより良い成績は、生徒が科学のキャリアを追求する可能性をあまり高めないようです。しかし、生徒が科学について学ぶことを楽しんでいるとき、より良い学習成果は、科学のキャリアに対する生徒の期待と密接に関係するようです。繰り返して言っていますが、成績向上に焦点を当てることで他の望ましい成果が得られると期待するのではなく、学習および教育デサインに対するより多次元的な方法を開発していくことの重要性が明確に示されていると言うのです。

生涯学習とは、子どもの頃の学習から成人期の学習へと資源を移行することだと結論づけたくなるかもしれません。しかし、OECDのデークは、生涯学習が学校での学習成果と密接に関係していることを示しています。確かに、その後の学習機会は学習成果の早期の格差を強める傾向があります。学校で失敗した人は、その後も学習機会を求めることはほとんどなく、また雇用主が基礎スキルの低い人々に投資することはまずありません。要するに、現在私たちが知っている生涯学習は、教育の初期の違いを緩和するのではなく、むしろ強化する傾向があるのです。これは、基礎を正しく習得することがどれほど重要であるか、そして後年における成人の多様な関心を満たす効果的な学習機会を上手に設計することがどれほど重要になるかを強調しているのです。

それでも、学習者が適応できるように政府や社会が支援できることは数多くあります。最も簡単なことは、若者に自分たちの学習と社会や労働市場がどのようにかかわっているかの真実を伝え、教育機関にもっと注意を払うよう奨励することです。教育システムによって情熱が共鳴し、優れた能力を発揮し、社会に貢献できるような研究分野を選ぶことができれば、生徒は成功への道を進むことができるのです。しかし、多くの大学は、依然として提供しやすく簡単で安価な商業的な研究分野に焦点を当てているのが現状だとスライヒャーは嘆いているのです。

科学とキャリア” への6件のコメント

  1. 努力は夢中に敵わないという言葉があると思いますが、「生徒が科学を学ぶことを楽しんでいなければ、科学のより良い成績は、生徒が科学のキャリアを追求する可能性をあまり高めないようです」という言葉とつながる気がします。しかし、決してそれだけではなく、「より良い学習成果は、科学のキャリアに対する生徒の期待と密接に関係するようです」という言葉が気になりました。生徒の学ぶ意欲に比例する同じレベルの学びの機会が与えられなければ意味のないことになるということでしょうか。何をどのように学ぶのか、それをどのように見つけていくのか、そのような学び方を学ぶ学習デザインの必要性を、「学習および教育デサインに対するより多次元的な方法を開発していくことの重要性が明確に示されている」という言葉からも伝わってきました。

  2. 初期の教育が生涯の学ぶ意欲に結びついているということを各国は受け止めていかなければいけませんね。だからこそ、どのような教育をしていくのかという中身の議論をしなければいけませんね。まだまだ日本では何かを教えないとというイメージが強いです。もちろん、教えなければいけないこともありますが、やはり大切なのは自ら学ぶことを楽しめるような子どもたちですね。このような保育で小学校に行ってこまりませんか?という質問に対して、藤森先生はあらゆることをこたえますが、その中のひとつに、自分から様々なことを楽しむ力をつけた子は小学校の教育もまた意欲的に自ら進んで楽しもうとするのではないかと言われます。だからこそ、我が国もやはり、早急に学ぶ意欲を育てる教育というのをしっかり体系化していかなければいけません。それが、この保育にはあると思っています。

  3. 「成績向上に焦点を当てることで他の望ましい成果が得られると期待するのではなく、学習および教育デサインに対するより多次元的な方法を開発していくことの重要性が明確に示されていると言うのです。」という点についての内容を深く理解することに繋がる内容でした。

    「学校で失敗した人は、その後も学習機会を求めることはほとんどなく、また雇用主が基礎スキルの低い人々に投資することはまずありません。」ということからは、学びの始まりである、乳幼児期の重要性を再認識します。

    勉強とはやらされるものではなく、自ら求めていくものであるのでしょう。自分たちの学習と社会、労働環境がどのように結びついているのか真実を伝える必要があるという点において、乳幼児期はむしろ社会にある物事全て、それそのものから遊び、学びとっていくのであり、より強化していく必要性があるなと考えました。

    乳幼児期で社会への関心を持つことができれば、それを抽象化、細分化した教科を学ぶ意義を自ら手にしていくのでしょう。

  4. 好きこそものの上手、と言います。私もこれまでさまざまなことを学んできましたし、現在も学んでいます。かつては、仕方がなく学ばなければならないこともありました。しかし、最近特に思うのは、自分がその時学びたいと直観的にでも省察の果てでも思ったことを学んでいく、ということです。それがたとえ「偏っている」と言われても。もっとも、自分がほしい情報ネットワークにだけアクセスするつもりはありません。なぜなら、自分の限界を知っているからです。この限界を突破するには、やはり、一見自分の興味関心の範疇外であると思い込んでしまっている情報にも耳目を傾けることが必要となってきます。実は、そこに、自分の興味関心の領域を飛躍的に広げる可能性、というものがあるからです。好きなことを学ぶ。これは大切です。しかし、あまり自分には関係ないな、と自己判断してしまう危険性については、頭のどこかに入れて置く必要があるな、と考えます。

  5. 学習についてもスタートの段階というのは大切なものに何だということが理解できます。学習においてのスタートの段階というのはやはり、乳幼児期ということになりますね。その時期にどのように学習への興味を持つような、何より楽しむようなことができるのか、その時期に関わる人というのは、その後に影響するということを知った上で関わることが求められてくるのだと思います。そして、〝若者に自分たちの学習と社会や労働市場がどのようにかかわっているかの真実を伝え、教育機関にもっと注意を払うよう奨励すること〟で自ら学ぶことへの後押しとなるのではないかと感じました。

  6. 「科学を将来の生活の一部にしたいという情熱はあまり強くはないことを示しています」実際に科学がどのように生活に役立っているのか、収入に影響があるのかは、わからないところと思いながら、収入の高さというのは、その発想力、協働力にあると思うと、子どもの頃から科学に触れ続け、学び続けた日々がある人とない人とではそれは異なる人生像を描くことになりそうです。豊かな未来の為に、科学的に物事を考える脳内習慣を子どもの頃から子どもたちに身に付けさせる必要があるのかもわかりません。

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