異なるタイプ

今日直面していることは、言うまでもなく、明日の予期せぬ課題に対処する準備ができている、意欲や関心が高い学習者をどのように育てるかです。伝統的な学校では、教員は何を教えるかについての指示を受けて教室に派遣されます。しかし、最高の成果をあげる学校では、異なるモデルが登場しました。すなわち、教員に対して同じ目的に対して独自の道筋を切り開くためのツールとサポートを与えるのです。生徒には明確な学習到達目標がありますが、目標を達成するための方法を決めるために教員は専門的な独立性をいかすことが期待されるのです。

シュライヒャーは何度も、各国は外を見る必要があると言及しています。中国のような国を無視することはもはや不可能です。彼がこの原稿を書いている時点では、ヨーロッパ、アメリカ、中国の十分な教育を受けた人材規模は、ほぼ同じでしょう。しかし、今後10年間で、中国の人材規模ははるかに先へと進むだろうと予測しています。2017年には800方人の学生が中国の大学を卒業しました。わずか10年で10倍に増え、アメリカの卒業者の2倍になったのです。次の10年以内に、中国の十分な教育を受けた若者の人口は、ヨーロッパと北米を合わせた同様の若者の人口を上回るかもしれないと言うのです。

生徒、教員、学校管理職のために、これら全ての意味を探るべき時が来たとシュライヒャーは言うのです。

次世代の若者たちは、求職ではなく雇用を創出し、ますます複雑な世界で人類を進歩させるために協力い合うだろうと言うのです。そのためには好奇心、想像力、共感、起業家精神とレジリエンス、建設的に失敗する能力、失敗から学ぶ能力が重要です。学習者が絶え間ない適応と成長を必要とする世界において最も明らかなことは、生涯学習のための能力とモチベーションが必要だということです。これまで私たちは仕事を通じて学ぶのが常でした。今は学ぶことが仕事になったのです。学ぶための情熱や能力を築くことができるコーチング、メンタリング、教育や評価を脱工業化していくことが必要です。

この考えは新しいものではありません。1996年の教育閣僚会議で、当時のフィンランドのオッリペッカ、ヘイノネン教育大臣は生涯学習について力強く語っています。生涯学習という概念は、当時は理論的なものにすぎず、成人学習や継続的な教育訓練の間題以上にはなりませんでしたが、今では教育政策の中心となっています。

学校のカリキュラムの早い段階で、生徒は学校や卒業ではなく、学習の価値を十分に認識する必要があると言います。彼らは自身の学習に責任を負い、学習の過程に注力する必要があります。生涯学習とは単に人々に常に新しことを学ばせるものではなく、はるかに難しいことですが、社会の状況やパラダイムが変わったときに知識を捨て去り、再び学ぶことです。シュライヒャーが若いときは、好きなものを何でも体重を増やすことなく食べられました。彼の代謝が変わったと気付いたとき、古い習慣をやめるのは簡単ではなかったそうです。

生涯学習はまた、効果的な学習方略と情熱に基づきます。PISAは、学問的知識、生徒の学習方略、および生徒のキャリアへの期待との間にある関係(または関係のなさ)について興味深い発見をもたらしたそうです。

異なるタイプ” への6件のコメント

  1. 「次世代の若者たちは、求職ではなく雇用を創出」や「これまで私たちは仕事を通じて学ぶのが常でした。今は学ぶことが仕事になった」などと、いくつものパワーワードがありました。過去との違いに気づき、自分の行動を自ら変化をもたらすためには、やはり自分をコントロールする力が必要になると改めて感じます。感情を抑制し、モチベーションを維持し、目標達成のために建設的に失敗をして、そこからより良くなるための方法を見つけようと新しい価値観を柔軟に受け止め活用できる人材が、生きやすい世の中になっていくことが想像できました。そして、シュライヒャー氏の経験談でもある「若いときは、好きなものを何でも体重を増やすことなく食べられました。彼の代謝が変わったと気付いたとき、古い習慣をやめるのは簡単ではなかった」という文はまさに自分にもあてはまってきたので、人ごとではありません。それを理解しても、生活様式を変革できないというのは「実行機能」の乏しさが関係しているのでしょうね。

  2. 生涯学習という言葉がありました。まさに生きていくために必要な力であるということを感じます。また、このような力を実行機能や非認知能力と呼ぶのかもしれないなと感じました。定義できるようで、明確には定義し難い、しかし確実に存在し、重要な能力であるということなのかもしれません。
    「好奇心、想像力、共感、起業家精神とレジリエンス、建設的に失敗する能力、失敗から学ぶ能力が重要です」とありましたが、このあたり、まさに生きる力ですね。生きる力というのも非常に曖昧な言葉でもあります。だからこそ、その力を明確にすることで多くの人に伝わりますし、それを育むことにもつながっていきます。しかし、同時に明確にすることで逆に見えなくなるものもあったりするのかもしれませんが、そういったことを繰り返していくことの大切さを感じます。

  3. 好奇心、想像力、共感、起業家精神とレジリエンス、建設的に失敗する能力、失敗から学ぶ能力、これらは単一ではなく強く結びついており、相乗的に育まれていくものと考えます。保育をしていると、これらの力を、乳幼児期の子どもたちは既に持っていることを感じます。改めて、教育とはそれらを決して摘んでしまわないように、伸ばし、磨き、支えていくことなのだろうと思いました。

    これだけ、より良い教育とは?ということを考えている日々の中で、ふと、いじめによる自殺のニュースを目にしました。あじめに関わらず、今もどこかで人々が苦しめあっているのでしょう…。

    それらを無くそうと対処療法的に考えても、ゼロにはなりませんね。むしろ、現行の教育が、いじめや戦争、その他様々な争いを生んでいるのかもしれません…。それらを、改善する唯一で最善の方法が教育改革であらのでしょう。

    学べば学ぶほどに、好奇心は掻き立てられ、探究心は深まるものであると思います。そうなった時、無駄な争いをしている場合ではないことに誰しも気づくことができるはずだと信じています。

  4. 中国の台頭は本当にめざましいものがあります。1970年代、80年代の中国を日本で報道されるニュース番組で知っていた私にとって、一昨年来実際目にした中国(上海、杭州、南京、北京)は、私が抱いていた中国観を根底から覆すものでした。彼の国が持つ可能性は無限大と言ってもいいでしょう。それほどの人口を有しますし、「2017年には800方人の学生が中国の大学を卒業しました。わずか10年で10倍」。凄い数です。入るのも出るのも大変な中国の大学。中国の大卒の皆さんのできの良さは、残念ながら、日本の大学を出た若者たちの比ではないでしょう。これからの若者たちは教育機関を出たあとは「雇用」を創出する側の中心を占めていくでしょう。昭和のスタイルは文字通り過去のものになっていくでしょう。ジョブクリエーターとしてのこれからの若者たち。私たち年寄りは、その成長を見守ることが必要です。支援していくことが必須です。

  5. 人類はこれからのますます複雑になっていくであろう社会に適応していくために〝好奇心、想像力、共感、起業家精神とレジリエンス、建設的に失敗する能力、失敗から学ぶ能力が重要〟だとありました。この中のものを全て網羅しているのがSTEMなのではないかと読みながら考えました。そして、これらは子どもだけではなくて、一緒にする大人もその能力を伸ばすのに必要なのではないかと思います。建設的な失敗と感じる、失敗したところから立ち直るなど、周りにいる人の協力なくしてはこれらの能力は育たないものなんだと思います。自分たちはそんな子どもたちを支援していくことが必須なんですね。

  6. 「生徒には明確な学習到達目標がありますが、目標を達成するための方法を決めるために教員は専門的な独立性をいかすことが期待される」江戸時代、寺子屋での学びの風景が浮かびます。子どもたちはそれぞれに机を構え、その向きもまばらながら、指導者はその子たちに合った学習を提供していました。学習が目指す到達目標が人格錬磨、人間力の向上のような、より高みへと人間を押し上げていくような、真の教育がそこにはあった気がして、その頃の日本の本当の豊かさをどうにかして思い出す必要があるように感じられてしまいます。

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