カリキュラムの枠組み

教育を学間的な知識を与えることに限定すると、教育が技術や社会の発展を先取りするための核となる人間の特性を重視せず、最終的にコンピュータと竸い合うために人々を騙してしまう危険があるのは、デジタルテクノロジーは、かつての狩猟採集民よりも容易に現在のオフィスワーカーを置き換えてしまうのかを自間すればよいとシュライヒャーは助言します。その答えは、仕事の組織化とスキルの専門化にあると言います。私たちは、職場では直接的な価値を持たないかもしれない多くの人々の能力を失いました。

2016年11月、シュライヒャーは学習と人的資源間発のための重要な募金の枠組みを提案しているアメリカ・バージニア州の文化高等研究所のジョシュ・イェーツ氏と面会したそうです。彼は真実(人間の知識と学習の領域)、美しさ(創造性、美学、デザインの領域)、善(倫理の領域)、正義と秩序(政治と市民の生活の領域)、持続可能性(自然と身体の健康の領域)について話をシュライヒャーにしたそうです。

シンガポールは、価値観をカリキュラムの中心に置いた最初の国であると言います。彼らは学校教育で敬意、責任、レジリエンス、誠実、ケア、調和を重視します。これらの価値観は、自己や社会の意識、人間関係のマネジメント、自己管理、責任ある意思決定など、生徒の性格面での資質を育てることをめざしています。このカリキュラムにおいて、性格面での資質は「行動価値」と呼ばれています。

全体として、シンガポールのカリキュラムの枠組みは、自信がある人、自発的な学習者、社会参画する市民、積極的な貢献者を育むようにデザインされています。シンガポールの学校はこの枠組みを使って、生徒が必要な能力を伸ばすのに役立つ正課と正課に併設したプログラムを開発します。さらに、全ての生徒は、社会的責任感を塾生する「行動価値」プログラムへの参加が求められています。しかし、シンガポールでさえ、生徒が実際に学び、教員が実際に教える方法には、これらのうち部分的にしか反映されておらず、目標に留まっているようです。

新しい21世紀型のカリキュラムを創造し、実行しようとする事例が増えていますが、変革を妨げる反対勢力が同じくらい存在するようだとシュライヒャーは言います。子どもがテストで不合格になることを心配する保護者は、より少ない労力でより多くの成果を約東するいかなる方法も信頼しないかもしれません。教員とその組合は、社会情動的スキルのような主観的な内容を教えることを求められれば、彼らが教える内容だけでなく、彼らが誰であるかについても評価されなくなると心配するかもしれません。学校管理職や政策立案者は、成功の指標が簡単に定量化できる内容面での知識から、生徒が卒業するまで完全にはわからない人間の特性に変わると、もはや学校や学校のシステムを管理できなくなると感じるかもしれません。これらの懸念に対して説得力のある方法で対処するには、現代のカリキュラムの設計と評価に対する大胆な挑戦が必要です。過去の経験を超えて次世代の学校カリキュラムを考案するには、卓越したリーダーシップが必要だと言います。それは理解の深さを優先し、学習への幅広い関与を促すために、地域社会全体から研究計画と評価への理解を得ることを含んでいると言うのです。

カリキュラムの枠組み” への5件のコメント

  1. なるほど「価値観をカリキュラムの中心に置」く、か。その価値観を達成するために、学びの領域が存在する、そのようにカリキュラムを構成する。シンガポールは国としてそうしたカリキュラムを策定した最初の国。「敬意、責任、レジリエンス、誠実、ケア、調和を重視」「自己や社会の意識、人間関係のマネジメント、自己管理、責任ある意思決定など」。国語算数理科社会英語体育音楽図画工作という履修科目。こうした科目を履修しながら、価値観を身に付けられる。たとえば、こうした価値観について学ぶために算数の「わりあい」を習う。漢字や文章について習うに際しても価値観を習得することを目的とするか。日本ではどんなふうに実現できるのだろうか。やはり思い起こされるのは「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」。再来をこい願うばかりです。しかし気になるのは「部分的にしか反映されておらず、目標に留まっているようです。」というシンガポールの実状。さもありなん。「21世紀型のカリキュラムを創造し、実行しようとする事例」、マスコミにどんどん取り上げてもらいたいことですね。

  2. 成果がなかなか見えにくいものは、難しいですね。「シンガポールのカリキュラムの枠組みは、自信がある人、自発的な学習者、社会参画する市民、積極的な貢献者を育むようにデザインされています」とありましたが、このような力がとても重要であるということは理解できますが、確かに、成果は見えにくいですね。そういう意味では結果というよりも方法に価値をおけばいいのでしょうか。社会情動的スキルを身につけるためにこのようなことをやっています。こういった方法でそれらを育みます。ということそのものが評価されるのかもしれません。もちろん、方法にもしっかりとした根拠があるものを行うべきですね。目標を掲げていればいいという問題ではありませんね。

  3. 「シンガポールは、価値観をカリキュラムの中心に置いた最初の国」ということで、「敬意、責任、レジリエンス、誠実、ケア、調和を重視」しているとありました。日本の教師は、きっと授業以外の「指導」では、この要素を伝えようとしているのかもしれないとも感じました。しかし、これらはきっと「指導」からでは学べないように、生徒自ら経験したところから学びを得る必要があり、それを支えるのが教師の教師や保護者、地域の大人たちであるように思いました。そして、シンガポールのカリキュラムには、「自信がある人、自発的な学習者、社会参画する市民、積極的な貢献者を育むようにデザインされています」という枠組みがあるのですね。まさに、人格者育成、人格の完成、社会を形成する資質を備える心身ともに健康な市民であるところとかぶるようにも思いました。

  4. みなさんのコメントにもあったように、価値観をカリキュラムの中心に置くという点が印象的でした。様々な教科教育を通して、何に価値があるのかを判断する力が養われていくのだと理解しました。
    教科の数、学びの数だけ、物事を多角的に捉えて判断できるようになるのでしょう。一つの事柄について、数学的に思考するのか、科学的に思考するのか、言葉で読み取るのか、数字で読み取るのか、歴史から紐解くのか、音楽や造形といった芸術によって表現するのか…。学びの量が多様性に比例することが分かります。だから、これからの平和の為に、教育が必要なのでしょう。

  5. 〝シンガポールは、価値観をカリキュラムの中心に置いた最初の国である〟とありました。シンガポールは教育先進国の印象が強いだけにこのことは一つのヒントになるのではないかと思いました。その中身を見てみると、日本でもこのことを伝えようとしているのではないかと思います。それが国を上げてなのか、学校単体や個人的になのかというところの違いが大きく影響しているのでしょうね。価値観という可視化が難しいものを中心に据えていくということはなかなか難しいものでもあるのかもしれませんが、本当に大切なものは何なのか考えていかないといけませんね。

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