都市と農村

大都市の教育における特性で最も印象的なのは、文化や言語の違いを超えて、都市がどのくらいその強みと弱みを示し、共有しようとしているかです。ある意味、都市は国全体よりもグローバルな機会に恵まれています。都市のリーダーに会うと、彼らはいつでも外に目を向けて、世界のあらゆる都市から熱心に学ぼうとしています。国の教育リーダーにありがちな、他の都市や文化から学ぶことができるか、あるいは学ぶべきかという質問をすることはありません。

しかし、大都市の生徒がどこでも勝っているわけではありません。都市部の生徒の点数だけを見ると、ほとんどの国で成績は向上しますが、幾つかの国では反対の結果が見られるそうです。例えば、ベルギーとアメリカでは、大都市の生徒の成績が国全体の成績を引き下げているそうです。これらの国々では、大都市のメリットを全ての生徒が享受できていない可能性があると言います。例えば、生徒は社会経済的に恵まれない家庭の出身であり、家庭では授業を受ける言語とは違う言語を話しているかもしれません。または、相談したり助けてもらいたい時に、頼れる親が一人しかいないのかもしれません。

例えば、ポーランドの大きな成績差は、都市と農村の社会経済的環境の大きな違いを反映しているそうです。地理的な社会経済的環境によって利用できる教育資源、文化、教育施設が異なり、これら全てが生徒の成績に影響を与えている可能性があると言うのです。

したがって、PISAの成績で中程度のイスラエル、ポーランド、ポルトガル等は、都市の生徒が最高の教育を受けている生徒と肩を並べることを誇りに思いながら、教育資源や機会の配分の不平等と、生徒の社会経済的環境による学習成果の不平等に対処しなければならないのです。

特に、これらの国々の孤立した地域には、生徒が可能性を最大に発揮できるように対象を絞った支援や方策が必要かもしれないと言います。反対に、都市の生徒の成績が下回るような国々は、生徒が都市環境の文化的社会的なメリットを享受できる方法を見つけなければならないのです。さもなければ、これらの国々は教育の質を高めることができないだろうとシュライヒャーは言います。

2004年3月、ドイツ移民統合委員会のリタ・ジュスムート会長とシュライヒャーは、移民家庭出身の生徒の成績について報告をまとめたそうです。当時の委負会は、生徒が新しい地域に馴染めるように学校が支援する方法に懸念を示しましたが、後々まで優先的な課題として認識されませんでした。その頃ドイツは、他の多くの国々と同様に、多様な生徒のための教育制度をつくりあげるための貴重な時間を無駄にしていました。

10年以上も後の2016年1月に、国連難民高等弁務官のフィリッポ・グランディ氏とシュライヒャーが面会した時、移民問題はまったく新しい側面を持つようになっていたそうです。かつてないほど多数の生徒を含む何万人もの移民や亡命希望者がヨーロッパに流入し、安全とより良い生活を求めていたのです。

それ以前でも、OECD加盟国の移民の生徒数は、15歳で2 0 0 6年の9.4 %から2015年には12.5%に増加していたのです。しかし、メディアが不安を示したにもかかわらず、移住先の国々の教育水準は低下しませんでした。これは驚くべきことかもしれませんが、あくまでも一見での印象だと言います。

都市と農村” への6件のコメント

  1. ベルギーのことはよくわかりませんが、「アメリカでは、大都市の生徒の成績が国全体の成績を引き下げているそうです。」これは何となく察しがつきます。アメリカの自由とは、持てる者は持てることを享受し、持てない者は持てないなりに暮らす、ということのようです。良い教育を受けられるものは良い教育を受け、そうでない者はそれなりに、ということでしょう。国民皆保険制度が施行されない国。銃保持が許される国。教育の平等が保障されない国。子どもの権利条約を批准できない国。白人以外は差別の対象とされる国。「アメリカの自由」がこうした国を創り上げてきたのでしょう。そのアメリカに倣おうとする日本においても格差は拡大してきます。持てる者はどんどん持ち、持てない者は持てないまま。経済格差は教育格差を生み出します。格差を是正するのか、そのまま放置するのか。とはいえ、学力テストで東京都ではなく秋田県が1位になったりします。このことは一体何を意味するのか。大都市にはならくなくても地方においても都市化の波が押し寄せ、結果として、大都市と同じあるいはそれを上回る教育水準の達成ということも行われつつあるのでしょう。日本においては都市化現象によって格差は是正されていくのでしょうか。

  2. ドイツで乳幼児施設を見学させてもらった先に、非常に移民の子どもたちに対して丁寧に対応していたことを思い出しました。当時、かなり多くの移民がドイツに押し寄せているということが話題になっていた時期であったなということも思い出されます。環境を含め、個々の対応など、本当に丁寧に考え、実際に実行しているという印象を持ちました。このように問題を的確に把握し、どうすればそれを改善できるのかということをちゃんとやっているなという印象を受けます。日本はこの問題を把握するのもどこか遅いような気がしますし、把握したとしても対応策への動きが、様々な分野への気遣いからか非常に遅いような気がしてしまいます。このあたりは、自分たちの仕事を進めていく上でもとても大切なことなのかもしれません。問題を明確にし、それを改善するために何をすべきなのかという思考のもと、具体的な方法を伝えていけるような姿勢を持つというのが今の時代に求められるものだったりするのかなと感じました。

  3. 教育において多方面での繋がりが重要であることを感じました。都市の恵まれた環境を生かす、悩んだ時に頼れる人がいる、移民を真に受け入れることの必要性から、人が集団を形成し協働する生き物であり、教育はその中で施され、その集団の多様性の豊かさによって教育の質が図られるのだと考えました。これだけインターネットが普及して、どこでも誰とでも繋がることができ、様々な情報にアクセスできるようになっても、都市における課題は「繋がり」であるというのは、人の在り方を今一度考えさせられます。
    日本の首都、東京で教育に携わる中で、もう少し広い視野を持って、地域資源を最大限生かしていくこと、繋がっていくことを考えていきたいです。

  4. 国内ではなく、世界に目を向けることでどのような利点があるのでしょうか。多様な試みや政策、先進的技術を活用した事例などを知ることができると思いますが、大きくは価値観の創造が生まれやすいのかなと感じます。6Csの1つ「革新的創造」は、0からでは生まれないように、多様で革新的でコペルニクス的発想のもと、未来への明確なビジョンを描くためのクリエイティブさが必要です。それには、既存の価値観に囚われない広い視野が重要であり、同時に国内より世界に目を向けた方が合理的であることが理解できます。ただ、地方で世界の話をしても、相手があまりピンときていない様子は否めません。国内の事例の方が腑に落ちやすいようです。バランスが難しいですね。

  5. 大都市にいてもその環境を生かすようなことをしていかなければ、あまり意味がないものとなってしまうということになるのでしょうか。前回のコメントにも書きましたが、空気を吸うだけではいけないんですね。そこで何をするのかというのが当然ながら求められてくることが理解できます。そして、やはりといいますか大都市においても他人に頼ることや経験を伝えるようなことをしていくことで、その成長が加速していくということを考えると、今日の人とのつながりの希薄さは大都市においても地方においても課題であるように感じました。

  6. アメリカのことはほとんど知りませんが、大都市にいても教育格差は広がっているのですね。
    都市部にいるから安心できるのではなく、いかに教育資源を有効活用するかが重要で、コロナが終わったらまた世界は変化すると思いますが、予測ができない将来、自分自身で考える生き抜く力を身につけないといけないなと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です