議論の場

PISAによるグローバル・コンピテンシーの評価は、各国が教育を通じてより持続可能な社会を構築していくために必要なデータを提供する道筋を示します。若者が互いを理解し、自身の周辺以外の世界を理解し、団結した持続可能なコミュニティをめざして行動を起こすような学習環境を作る教育制度上の取り組みについて、包括的な概要を提供するのです。これは、落第、差別、暴力の根底となる無知、先入観、憎悪と日々闘う多くの教員の助けになるだろうとシュライヒャーは言います。

当然、グローバル・コンピテンシーは様々な場面で開発できるものですが、学校はこの点において極めて重要な役割を果たします。学校は、若者が世界全体と自分たちの生活の両方にとって重要な開発を批判的に検討する機会となり、生徒にデジタル情報やソーシャルメディアプラットフォームを批判的かつ責任を持って使用する方法を教えることができると言うのです。また学校は、生徒に多様な人々、言語、文化への理解を育む体験を与え、異文化間の気配りや配慮を促すことができるのです。

第二次世界大戦以降、世界の論壇では自由主義社会が自信に満ちた発展を遂げてきました。しかし、21世紀になって、自由および民主的理想や価値は、新たな脅威に直面しており、競合する世界観に対して改めてその価値を証明する必要に迫られています。

教育の議論もここから始まるとシュライヒャーは考えています。大学や学校は、オンライン講座も含めて、このような考え方や価値観が共有され、議論される重要な場所です。教育がグローバルに考えをやりとりする役割を担えるように支援し、強化することは重要であると言うのです。

最高の教育機会を得るために国境を越える毎年500万人の子どもたちは、異文化間の対話と国際理解のチャンビオンであると言います。教育に十分な投資をおこない、若者の心を掴むためのイデオロギー闘争が激化し、危険度が驚くほど高い国々にいる聡明な人々に魅力的な機会を提供すれば、国境を越える子どもたちはさらに増えるかもしれないとシュライヒャーは考えています。

この文章を発表したのは、2019年の9月です。この頃は、まだ新型コロナが世界を覆いつくすことは創造していませんでした。しかし、この提案は、コロナ禍でも十分と説得力があります。すでに、オンライン講座も視野に入れているのです。それも含めて、学校を「建設的な議論の場」として提案しているのです。また、PISAによるグローバル・コンピテンシーの評価は、各国が教育を通じてより持続可能な社会を構築していくために必要なデータを提供する道筋を示していると言うのです。この点も、最近特に様々なところで課題としている、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた持続可能な開発目標であるSDGsに対して必要なデータへの道筋を示していると言うのです。SDGsは様々な分野からの取り組みがありますが、私たちは、教育・保育を通じてSDGsを考えることが必要です。

議論の場” への5件のコメント

  1. 「また学校は、生徒に多様な人々、言語、文化への理解を育む体験を与え、異文化間の気配りや配慮を促すことができるのです」とありました。学校の役割、価値を再認識する必要があるのかもしれません。ただ、何かを教える場所ではなく、あらゆる価値観、考え方を伝えることができる場であると考えると、日本における学校の役割ももう少し変わってきそうです。「第二次世界大戦以降、世界の論壇では自由主義社会が自信に満ちた発展を遂げてきました。しかし、21世紀になって、自由および民主的理想や価値は、新たな脅威に直面しており、競合する世界観に対して改めてその価値を証明する必要に迫られています」このことについてはしばらく理解するのに時間がかかりそうですが、間違いなく新たなフェーズに入ってきているなと感じます。日本にも見え隠れしますが、世界の国々にも自国第一主義のようなものがかなり強まっているそんな危機感を感じます。多様さを受け入れないそんな姿勢にもつながっているように思えます。だからこそ、これかの教育として示されているものの中に、それらに対応していかなければいけないという方向性が盛り込まれているのかもしれませんね。間違いなく、時代の転換期にいるということを感じます。

  2. PISAの提案は「すでに、オンライン講座も視野に入れている」ようであったように、準備をしておくことの大切さを感じます。また、何かのきっかけが、事を大幅に進めていくということがわかります。今回は、「コロナ」というきっかけでしたが、今後はより良い内容のきっかけを用意していくことで、教育改革、保育改革、補助金政策、革新的創造が生まれていくことが想像できます。そして、今回とても大事だと思ったのは、そのような変革の時期における「議論の場」です。成功例や誰も通ったことのない道を通るには、話し合いは欠かせませんね。政策による立場の強い主張のみが優遇される環境下では、軌道修正が難しくなる印象です。より良い考え方や価値観が共有される議論を、恐れず見通しやビジョンを掲げて行って行きたいです。

  3. 学校の機能を再定義することで、その存在意義を再認識することができますね。最近、学校に行かないことを売りにする小学生YouTuberの存在を知りました。
    社会を知り、学ぶ意味、教育の意義を知らなければ、学校の価値を理解できず、子どもの教育を受ける権利を侵してしまう保護者が出てきてしまうのですね。教育の質は様々に問われる中でも、日本ほど義務教育が行き届いている国も、そう多くはないでしょう。その恵まれた環境を自ら破棄してしまうわけです。

    また、多様性という言葉が、そんなYouTuberや保護者の価値観を生み出してしまっているとしたら、考えものであります。果たしてYouTuberになり、教育を受ける権利を破棄することか、真にその子どもの選択であるのか?その子どもは、そのことの意味を本当に理解できているのか?

    子どもの選択を考える際には、「発達に合っているか」を考慮しなければならないことを、逆説的に再認識しました。

    これからの教育に携わる人は、なぜ教育機関が必要なのか、説明責任を話していく必要があることを強く感じます。

  4. Think Globally, Act Locally. 「地域、グローバル」の両視座においてこれからの地域、世界について私たちは考えていく必要があるでしょう。今回のブログの最後にSDGsについて取り上げられていました。SDGsは貧困や飢餓を撲滅する、そして人々のウェルビーイングを追求することをまず掲げています。私たち保育現場に関わるSDGsは4.2。質の高い就学前教育のあり方です。SDGsに先立って、遵守すべき国際条約CRC「子どもの権利条約」があります。「子どもの最善の利益」とは何か?それは、乳児からの集団の体験ですし、発達が違う子どもたちが共生する子どもグループの存在です。集団は3歳以上児から、とか発達が同じ子どもたちをグルーピングして、というのは既にして、「子どもの最善の利益」違反です。子どもの成長発達を最大限に遂げさせる環境の構築こそがSDGs4.2の実践に他なりません。発言する機会があったら、このことを声高に主張したいものです。

  5. 〝教育がグローバルに考えをやりとりする役割を担えるように支援し、強化することは重要である〟ということでしたが、オンラインでの講座も視野に入れていたということが書かれてありました。やはり、先をよんで考え、準備していくことの重要性が分かりますね。きっかけがなんであれ、今回のコロナで教育の世界も劇的な変換をしている途中だという認識でいます。コロナ禍であっても変換期にあるという意味でも題名にある「議論の場」というのはこれからも欠かすことのできないものであるのではないかと思います。グローバルな価値観や先のビジョンなどを共有できることが今後も続いていくようなことになると、さらなる発展ということになるんだと思いました。

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