私立教育

私立学校への入学が多くなると教育の民営化と言われ、教育は公共の利益という考え方から逸脱する動きだとみなされることがあります。しかし、そのような関連づけは短絡的だとシュライヒャーは言います。学校制度の大部分が民間によって通営されている国や地域では、そのような学校は法的には民間とみなされますが、実際には公的に機能しているようです。民間団体が運営しても公的な役割や機能を果たしており、その団体自身も公的教育の一部だと認識しているようです。これらの民間団体は学習指導要領の一部または全部に従い、質の良い教育を提供し、教育の公的な役割を果たしてるのです。また、私立学校が恵まれない地域に教育機会を提供し、公平性に寄与することもあるそうです。

他の分野の公共政策と同様に、公教育と私立教育の違いは往々にして明確ではないと言います。官民連携は、他の様々な公共政策で一般に認められており、教育が例外となる理由はどこにもないと言います。もっと現実に直結する課題は、全ての子どもたちに質の高い教育を提供する等の公共政策の目標をいかにして達成するかだろうと言うのです。

学校選択に対する反対意見の多くは、私立学校の普及は教育の質に悪影響をもたらすのではないかというものです。しかし、PISAのデータは、ある国の私立学校が占める割合と教育制度のパフォーマンスには関係かないことを示しています。学校の社会経済的環境を考慮した後でも、大半の国で公立と私立学校のパフォーマンスには違いがありません。違いがあるとすれば、主に公立に好意的な地域の場合だと言うのです。

国の教育制度レベルでは、公平性と私立学校に入学する生徒の割合は、実質的には無関係です。政府助成の私立学校へ入学する生徒の割合と生徒の成績との明らかな関係は、このような学校の運営の自律性の大きさによって概ね説明できると言うのです。このことにシュライヒャーは注目しています。学校選択の反対派の多くは、私立学校が占める割合が大きくなると学校間の競争や差別が拡大して教育制度が似非教育「市場」に変わってしまうと主張するからです。彼らは、私立学校が公教育と機能的に統合して助成金を受けると学校間の格差を助長し、学習成果という点での学校間格差がますます拡大すると主張します。しかし、国の教育制度レベルでは、私立学校が占める割合と、その割合によって説明されるPISAの点数の変動差に相関関係はないことをシュライヒャーはあらためて伝えたいと思っているようです。

おそらく最も議論が白熱するのは、私立学校にどれくらいの助成金が投入されるべきかでしょう。私立学校の校長からの報告によると、フィンランド、香港、オランダ、スロパキア、スウェーデンでは学校予算の90%以上、ベルギー、ドイツ、ハンガリー、アイルランド、ルクセンプルク、スロべニアでは学校予算の80%から90%が政府からの助成金だそうです。対照的に、ギリシャ、メキシコ、イギリス、アメリカでは、学校予算の1 %以下が政府からの助成金だそうです。ニュージーランドでは1 %から10%の間です。ここで注目すべきは、私立学校が助成金を受ける割合が非常に多い国や地域において、公立および私立学校の社会経済的環境にほとんど差が見られないことだと言います。OECD加盟国では、この45%の差異は私立学校への助成金の水準で説明がつくと言います。全ての参加国において、35%の差異は同様に説明できると言うのです。

私立教育” への7件のコメント

  1. 私立学校に否定的な方々は「学校間の格差を助長し、学習成果という点での学校間格差がますます拡大すると主張します」とありました。それに対して、シュライヒャー氏は「国の教育制度レベルでは、私立学校が占める割合と、その割合によって説明されるPISAの点数の変動差に相関関係はない」と主張しているのですね。数字は嘘をつかないといったところでしょうか。印象として、競合することによってある程度質の向上が促されるのではないかなとも感じています。一般企業などはまさに、価格競合によって消費者は質の高いものをより低価格で購入することができているように、公立や私立、保育園や幼稚園など、切磋琢磨することは悪いことではないように感じました。そして、そのような中「全ての子どもたちに質の高い教育を提供する等の公共政策の目標をいかにして達成するか」が大きな課題であるとありました。つまりは、公立や私立、保育園や幼稚園という区別以前に、質の高い教育を提供することに尽力しなくてはいけないのだと改めて感じます。

  2. 保育所というところに勤め始めた時、公立私立の別をあまり感じず仕事をしていました。とにかく私が驚いたことは、認可保育所の収入のほぼ全額が公費によって賄われているという事実でした。役場に勤めるか認可保育所に勤めるか、その二者択一の中で選択したのが認可保育所でした。今から20年前のことです。それまで小学校以上の学習塾をやっていたので、小学校以前の幼稚園または保育所の子どもたちの学びに関心がありました。その興味関心により役場への入職を辞めて認可保育所勤務を選択しました。その後わかったことは、役場にせよ認可保育所にせよ、勤めて頂く給与は公費から出されていたということです。以後20年間、公費によって私の生計が成り立っています。準公務員の自覚があります。よって、「私立園」と言われる園に勤めていても、公費で運営が賄われているから、やはりよって立つべきは、国が定める法律や要領・指針の実現ということになります。この実現を「見守る保育」として果たしているのが藤森メソッドなのです。このメソッドの特徴は現行指針・要領の先に焦点を当てて実践を展開しているところにあります。

  3. 日本の私立学校というと、学費を高く徴収する一方で、施設面や教育内容が充実しているものと思っていました。その私立学校の運営費に、どれだけ助成金が使われているのかというのは、あまり考えもしませんでした。保育園に置き換えてみると、選択制や教育の質について、公立と私立の差が少なく運営されているのではないかと考えました。
    また公立の学校でも、その格式を守っている学校があり、大学においては私立大学ではなく、東京大学が日本のトップであることが、それを物語っていると感じます。
    国からの助成金を使うのであれば、各学校が各家庭の社会経済的状態に寄らずに、入学できるようなシステムであることが望ましいと考えます。もしくは公立であれ、私立であれ、学校の運営の予算は統一するのか…。細かなところは分かりませんが、資本の差が教育の質の差になるのではなく、どのような教育実践をするのかという、思考の違いが、各学校の特徴を生むような形が望ましいのではないでしょうか。

  4. シュライヒャーのように、データを用いて論理的に思考し、結論を出しているこのような分析はとても信頼性があるように思います。やはり、イメージであったり、印象、なんとなくで物事を判断しては本質の遂行ができないような方法を選んでしまいますね。このようにきちんとしたデータのもと分析していくことの重要性を改めて感じました。「他の分野の公共政策と同様に、公教育と私立教育の違いは往々にして明確ではないと言います。官民連携は、他の様々な公共政策で一般に認められており、教育が例外となる理由はどこにもないと言います」とありました。保育において公立、私立によって質が異なるということは思ったこともありません。しかし、一般的にはどちらが質が高くて、低いというイメージを持っている人が多いのでしょうか。実際に働いていると、そんなことは全く思わないのですが、このあたりは全然畑違いの人に聞いてみたい部分でもあります。

  5. 自分は高校は私立に行きました。公立の高校と私立の高校では何が違うのでしょうか。授業の内容もほぼ一緒、施設の作りや種類もどこもあまり変わらない。となれば、どこが違うのでしょう。自分が通った高校ではそのようなことはなかったのですが、宗教に特化していたり、創設者のことを学ぶ機会があったりするというのは聞いたことあります。ほぼ変わらないのではないかと思います。そうであれば、気にしなければいけないのはそこでの「教育の質」になってくるのではないかと思います。先生も教諭もみんなでそこの部分に力を注ぐことが大切なことのように思いました。

  6. 毎日私服で通って良いという点に魅力を感じて、3年間通う高校を決めました。その時に出会った友だちから受けた影響は今も尚残っていて、その時に楽しかったことは今も生きていることを感じます。それがその学校のねらいで、その学校の教育の賜物であるのかはわからない所ですが、少し違う学校へ入っていれば、毎日喧嘩や窃盗に溢れていたような環境だったかもわからないと思うと、入る学校というのは、大切かもわからないと思えてきます。

  7. 「私立学校が占める割合が大きくなると学校間の競争や差別が拡大して教育制度が似非教育『市場』に変わってしまうと主張する」とあります。しかし、その反面「国の教育制度レベルでは、私立学校が占める割合と、その割合によって説明されるPISAの点数の変動差に相関関係はない」ということが見えてきたのですね。このデータは考えさせられるものがあります。確かに考えてみるとでは今の大学には私立と公立とではそういった差はあるかというとそれほどないように思います。むしろやはり公立大学の方が優秀であるように見えます。しかし、私立である強みはそれぞれに独自で強みを持たせることができるメリットもあります。つまりは教育に対する向き合い方であったり、質の実践であるようにも思います。保育園に当てはめると企業立は確かに商売に走るところもありますが、その反面、ビジネスとして投資と考えれば思い切ったこともできるところはあるように思います。つまりはそれぞれの形態によって善し悪しがあり、結局はどういった方向性にあるのかといった指針があるのであれば、ある程度の競争はかえって質の向上にも向かうかのせいがあるようにも思います。

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