校長の認識

シュライヒャーは、何度も教育の卓越性と公平性は相容れないものではないと説明しています。例えば、フランスとオランダの最も恵まれた家庭の生徒がPISAで同等の学力を示している一方、オランダの最も貧しい家庭の生徒は、フランスの中間所得の家庭の生徒と同等の学力を示しているそうです。これらのデータを調査して最も印象的だったことは、貧困率と同じくらい貧困の感じ方が重要であるということだと言います。

一部の国や地域の校長は、比較的に貧しい場所や恵まれた場所で教えていると自認しているそうです。ブラジル、チリ、マレーシア、メキシコ、ポルトガルの校長は、学校には恵まれない子どもが大勢ることを認めているそうです。同様に、チェコ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、日本、ノルウェー、韓国の校長は、恵まれない子どもがいる学校を担当することがあると理解しているそうです。

しかし、恵まれない子どもの実情と、恵まれない子どもへの校長の感じ方は必ずしも一致しないようです。2012年のPISAでは、アメリカの校長の65%が自校の生徒の30%以上が恵まれない家庭の子どもであると回答したそうです。これは他のどの国や地域よりも高い割合です。しかし、PISAによるとアメリカの恵まれない子どもの割合は、日本と韓国よりもわずかに高い13%に過ぎないのです。ただし、アメリカの校長と異なり日本は6%、韓国は9%の校長しか、学校の恵まれない子どもの割合を回答していなかったそうです。

言い換えれば、子どもの貧困の発生率はこの三つの国でほぼ同じですが、アメリカでは日本と韓国の6倍以上の数の校長が、生徒の30%以上が恵まれない子どもであると回答したのです。一方、クロアチア、セルビア、シンガポールでは、生徒の20%以上が恵まれない子どもですが、恵まれない子どもが相当数いると回答した校長は7%以下に過ぎなかったそうです。

アメリカでは恵まれないとみなされる生徒が、別の国では裕福とみなされることがあるかもしれないとシュライヒャーは考えています。しかし、相対的に見て、アメリカの学校が感じる社会経済的な格差のほうが、生徒の実際の家庭環境よりも問題をはるかに大きくさせているようです。フランスでも同様の不一致があるそうです。

社会経済的な格差は、学習成果に目に見える影響を及ぼします。ただし、目に見えるものであっても不可避ではないと言います。実際、その影響は、教育制度が公平な学習機会を提供する範囲を反映しています。フィンランド、アイスランド、ノルウェーの学校では、恵まれない子どもが比較的少ないため、この影響は低いと考えられます。学の公平性は、社会が富と家庭教育を公平に配分している場合に実現されやすいのです。しかし、さらに印象的な例がPISAの成績上位であるシンガポール等で見られるそうです。これらの国々は、社会経済的な格差はありますが、学習成果への影響は比較的穏やかなのです。

これらの国は、一般的な生徒の類まれな才能を育てることと、全ての生徒が素晴らしい教育の恩恵を受けられるようにすることを両立しているようです。対照的に、フランスの学校は恵まれない生徒の割合は比較的低いものの、校長は実際よりも割合が高いと感じているようです。フランスの生徒の学力は、社会経済的地位と密接に関係しており、チリとスロバキアを除く他のどの国よりも関係が深いようです。驚くべきことに格差に対する校長の認識は、実際の格差がどうであるかよりも、教育機会の不平等に強く関係しているようです。

校長の認識” への6件のコメント

  1. 日本の子どもたちの相対的貧困率は、先進国と言われる国々において米国につぐ高さだそうです。日本の学校の先生たちの口から生徒の貧困について聞く機会がありません。メディアによれば、日本の中で7人に1人は相対的貧困生徒だとそうです。修学旅行や部活にかかる費用を賄えないご家庭の子どもさんたちだそうです。米国社会の格差は有名です。ところが、一億総中流社会を40年前に豪語していた日本は1990年代初頭のバブル崩壊後経済格差社会そして貧富社会を形成してきましたし、現在も加速度的に形成されつつあります。義務教育及び高等教育のおかげで日本の生徒たちは世界のトップクラスの成績を持っていると評価されているようです。果たして本当でしょうか。大学生で小学校の基礎的算数が身に付いていない学生がいるそうです。日本で生まれ育ちながら高等教育機関で使用される日本語が理解できない学生が3割いるそうです。学校関係ない、学歴関係なくても社会で成功できる、という風評が大人も子どももダメにしている国の姿が目の前に見えてきます。恐ろしく、しかも悲しい現実です。

  2. 「アメリカでは日本と韓国の6倍以上の数の校長が、生徒の30%以上が恵まれない子どもであると回答したのです」とあるように、実際の割合と印象とで不一致が起こっているのですね。なんだか根深いものがあるような気がしますが、どうなのでしょうか。差別問題なども関係があるのかなと思ってしまいます。差別や刷り込みというのはなかなか簡単に解決することができないのかもしれません。最後の「これらの国は、一般的な生徒の類まれな才能を育てることと、全ての生徒が素晴らしい教育の恩恵を受けられるようにすることを両立しているようです」という言葉は素晴らしいですね。このようなことは言葉としては言えるかもしれませんが、具体的な政策に反映していくというところまではまだまだ日本は追いついていないように思います。どうしたらいいのかというノウハウもないのかもしれません。であるならば、やはり他国からもっと学んでいくということが必要になってきますね。グローバル時代の利点をもっと活用していかなければいけませんね。

  3. 感覚の重要性、人が動物であり、本能的であることを感じました。校長の職に就く人は様々な情報に触れているだろうに、実際との差が出てしまうのも、情報や知識、そこで示される数字に対する見方考え方に、その人個人の感性が働いてしまうからでしょう。ファクトフルネスの重要性を感じます。校長など、重役に就く程に柔軟性を失ってしまうこともあるでしょう。どんなにボトムアップ的な組織を築いても、役職がある限り、ピラミッド型の影響はあり、それが子どもたちの学びへ大きな影響力を持つのですね。
    私たち保育士がどんなに子どもと対等であることを考えていても、大人が子どもに与える影響は、想像より大きいのかもしれないなと考えました。改めて、自身の一挙手一投足を見つめ直したいと思います。

  4. 実際の数値を理解していなくとも、校長職につける世の中であることは把握しながらも、現状の子どもたちの生活環境が、教育そのものに影響を及ぼすことがあることを教育者は認識しておかなくてはと感じます。いまだに貧困問題を絶えませんが、数値で見れば世界的に貧困は減っています。しかし、それに甘んじることなく、人間はより良く生きるために、邁進していかねばなりませんね。より多くの社会的弱者と言われている子どもたちが、自ら学びたいという欲求を叶えられる教育環境になることを願っています。そのためには、やはり公平な学習機会の提供は、なくてはならないもののようですね。

  5. 社会経済的な格差は校長先生の認識と実際は違うことがあり、その影響は子どもたちに降りかかることがあるんですね。ということは、校長という立場にいるならば、自分の国や地域の実情を把握しておかなければならないということになりますね。このことは言葉では簡単ですが、難しいものであることも感じます。「地域に根ざした」ということは結構聞く言葉でありますが、そのことがなぜ大切なのかということの意味が理解できます。そして、そのことは親であり、保育者でもある自分にも同じことが言えるのではないかと感じました。

  6.  チーム保育の要訣は多角的な子ども理解と保育者のチームワークです。そのプロセスでは三省に照らして子どもの様子を話し合うことと保育者同士のファシリテーションです。この仕組みを園長や主任が支え、折に触れて保護者や地域にも様子を知らせる図式です。配慮が必要な子ども、配慮が必要な保育者に対しても、一方的ではなく多様な意見から総合的に支援方法を考えます。困難に迷う時こそ、理念を信じて取り組むことが良いと思います。昨日のブログでは教育や理念が万能ではないことを知り、今日のブログではそれでも教育や理念を信じることを学びました。

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